ワールドカップが行われているブラジルでのこの大会の開催に反対するデモのことが、日本でもなんどもニュースになっていた。16日朝日新聞オピニオン紙面、~W杯を読み解く~3人の識者のうちの一人、東京外国語大学教授(専門は文化人類学、中南米が研究対象)、今福龍太(いまふく・りゅうた)さんへのインタビュー、「勝利至上主義に抵抗する」という記事。
今回のW杯はこれまでにないほど多くの矛盾を抱えている。サッカーが岐路に立っていることが明らかになるはずです。…点を取られることをネガティブに考えず、相手のゴールからもインスピレーションを受け、自らの力にする。失点を恐れ、勝利だけを目標にするサッカーはブラジルでは支持されません。
…勝利至上主義に支配されたサッカーは、ナショナリズムやレイシズムと結びつきやすい。4月にはスペインで、ブラジル人選手ダニエウ・アウべスに、観客がバナナを投げて挑発する事件が起きた。そのときアウべスは平然とバナナを食べ、プレーを続けた。差別への実にスマートで機知に富んだ批判で、これがサッカー本来の精神です。
…(最初の開催1950年の)64年前と比べ、サッカーは極度にグローバル化し、商業化しました。ブラジルでも、若く有望な選手はみな欧州のチームに高値で買われてしまう。欧州では、いかに合理的に勝利するかが重視される。選手は経済的に豊かになっても、サッカーの美しさは失われつつあります。
今回のW杯に、ブラジル民衆から抗議の声が上がっています。巨額の税金がつぎ込まれ、福祉は切り捨てられる。大都市では、建物の壁に「欲しいのはボールじゃなくて食べ物」「ブラジルは売られた」など、国や国際サッカー連盟(FIFA)への批判があふれている。
サッカー王国ブラジルで、なぜW杯に反対なのか。それは、深い意味でのサッカー文化を守ろうとしているからに他なりません。民衆の中で育てられたサッカーが、FIFAや多国籍企業に経済的に独占されることへの強い抵抗のあらわれです。ブラジルは、人種差別やグローバル化、経済至上主義に対してもっとも抵抗し、深い問いかけをしてきた国です。W杯への反対運動の本質もそこにあるのでしょう。
現在の商業化したサッカーには誰もが疑問を感じている。これまでW杯は、消費的な祝祭を提供することで社会問題を隠ぺいする役割を果たしてきました。でも、もう隠ぺい出来ないところまで来ている。今回はそれを自覚する機会にしなければなりません。(おわり)
たしかに…、文化人類学の先生に「これがサッカー本来の精神」などと言われると「?」となってしまうが、それは脇に置いといて!?、ダニエウ・アウべスの行為はその試合で見ていたし、ブラジルの至宝ネイマールもスペインのバルセロナへ売られている。
選手の移籍に巨額の資金が使われ、一試合の勝利に大金が動くようなヨーロッパサッカー界の現状。「W杯は、消費的な祝祭を提供することで社会問題を隠ぺいする役割を果たしてきた」という指摘もグサリと胸の奥につきささる。
日本でも東京オリンピック招致に対する批判がある。福島原発で作られた電力の最大消費地である東京なのに、あの浮かれよう。そんな資金があるのなら、被災地や被災した人々への復興や補償に使ったらどうかというのはブラジル同様、出てきてもおかしくない。
ギリシャではこの大会期間中にも反政府デモが行われているそうだ。日本だって非正規雇用者の待遇改善どころか、残業代ゼロなどという労働者締め付け政策。さらに徴兵制という言葉まで出てくるような、解釈改憲による集団的自衛権行使容認が閣議決定されようとしている。政府に対してもっと怒っていいはず。日本人は豊かな消費生活と引き換えに、目くらましに長けた自民党政権に飼いならされ、怒ることを忘れてしまったのかもしれない。