FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

野田秀樹/透明人間の蒸気(ゆげ)/WOWOW

2006年03月21日 | Weblog
2004年3月31日/東京/新国立劇場での中継の再放送を3月20日にWOWOWで。1991年劇団「夢の遊眠社」で初演されているのを13年ぶりに演出、再演したのだそうだ。宮沢りえ、阿部サダヲ、野田秀樹、手塚とおる、高橋由美子などのキャスト。

昭和16年12月8日、「20世紀を後世に伝えよ」という天皇の勅命が下り、華岡軍医、愛染かつら看護兵(高橋由美子)、のらくら軍曹、ロボット三等兵は「20世紀で消滅してしまうもの」を大きな日の丸の風呂敷包みに集める。(味噌カツや番台やアルミの弁当箱やら)最後に「20世紀を生きた人間」を入れるとして、消えても誰も困らない結婚詐欺師の透アキラ(阿部サダヲ)を選び、人工冬眠のカプセルに入れられるが爆発事故で透明人間になってしまう。

アキラは騙した娘の父親の刑事に追われていたが鳥取砂丘まで逃げてきて、そこでみやげもの屋をやっているサリババ先生(野田秀樹)と暮らしているヘレン・ケラ(宮沢りえ)と出会う。彼女は目と耳が不自由で足の裏で振動を聞きその和音で世界を感じる少女。会ってすぐにアキラにながいキスをされたヘレン・ケラは「口の中のゆげをお前の中に入れた」と言われ、それを「神様のゆげ」と思い、私がずっと待っていた奇蹟を起こす神様、砂浜で因幡の白兎の肌に薬を塗ってくれる神様とアキラの言葉を「ことだま」と信じてしまう。

ヘレン・ケラにだけは透明人間のアキラは見えていた。サリババ先生が世間は冷たいのだと憎悪とか嫌いとかいう言葉を教えられても、それは象(ゾウ)、とか家来(ケライ)といって覚えようとしなかったヘレン・ケラもアキラを砂丘から自由にし、必ず帰ってくるものと信じて、あらゆる追っ手から彼を守ろうとウソを言い続けることになる・・・

ヘレン・ケラーとサリバン先生の有名なシーン。ものには名前があるというのをわからせるために、手に水をかけてウォーターと言わせるという、サリバン先生のヘレン・ケラーへの人間教育の原点となったシーンを野田と宮沢が演じている。華岡軍医が自分たちが残そうとしたのはこんな腐った果実のような20世紀ではなかったというセリフ。この華岡軍医のセリフの中に野田秀樹の言いたいことが詰まっているようだった。

昭和16年12月8日というのは日米開戦、真珠湾攻撃の日。この日に立ち返ってから現在の日本を考えようということのようだ。スサノオ=アキラに代表される自由にものをいう戦後民主主義(と私は解釈した)の力が坂の上を上ってくる前に(皇居のことだろうか?)、つぶしてしまわなければならないといった、現世での現人神は天皇一人でいいという華岡軍医に代表される旧勢力の亡霊たち。しかし彼らの砂丘の奥深く根を張った地続きの未来がほしいと思わないかという問いかけも、ケラとスサノオが死ぬラストが待っている。

初演のときには最後にアキラに長いセリフをいわせて、それは二人が死なないことを暗示しているのだそうだ。もっと希望のある終わり方ということだったらしい。野田秀樹の言葉によるとそういう詐欺師の言葉というのは、物を作っている人たち、世を作っている人たちという意味で、それに対する自分なりの不信表明なのだそうだ。これはイラク戦争の始まりが関係しているような気がするけど、どうなのだろうか。最後に死へ向う二人をより悲劇的にしたかったのだろう。

奥行きのある舞台から走って登場してきた宮沢りえがなんといっても素晴らしかった。彼女のすきとおるような透明感、いつまでもか細く、肉体を感じさせない少女のような清潔な輝き、それでいて周りが明るくなる華やかさ。これがこの作品を成功させていたような印象をもった。台詞回しも思ったよりはっきりと聞き取れて、随分頑張って練習したのだろうと感心した。脚本の核になるセリフをいう華岡軍医役のちょっと狂気が入ったようなおどろおどろしい表情が印象的。

野田秀樹は加齢に負けず!いつまでも舞台狭しと動き回るエネルギーには脱帽する。彼だからこういう役は出来るのだろうと納得。速いテンポに最後まで引っ張られてしまう。何回も見ないとわからないというむずかしい内容でしたねえ。

スサノオというのは「古事記」に登場するイザナギとイザナミとの3人の子供の3番目で、乱暴を働いてアマテラスに追放された後、ヤマタノオロチを退治してクシナダ姫と結婚すると言う神話があると書いてあった。アマテラスは太陽で弟のツクヨミは月、スサノオは海や嵐の神様だそうだ。

【追記】
因幡の白兎を検索したので追記します。

「古事記」に出てくる因幡の白兎は、隠岐島のうさぎが因幡の国へ渡る方法として、ワニをだまして一列に並べ、数えながらその上を通って、渡り終える前に、「お前たちは私にだまされたんだよ」といい終わるや否や、最後に並んでいたワニがうさぎを捕らえて皮を剥ぎ取った。

砂浜で泣いていると大勢の神様が通って、「海水で洗い乾かせ」というのでその通りにすると、かえってひどくなって苦しんでいたところ、大国(大黒)主命が通りかかり、「真水で洗って、ガマの穂の花粉を取ってまき散らし、その上に寝転がっていれば元の肌になる」といわれ、その通りにしていたら治ったというもの。

ガマの穂の花粉は「蒲黄」(ほおう)と呼ばれる漢方薬で、止血剤や鎮痛剤として用いられている。ここでいうワニとはこの地方独特の言い方で、鮫(さめ)のことだそうだ。また劇中、サリババ先生が、アキラはウソをいって騙したので、肌をなくした透明人間になったのは因幡の白兎と同じだ、といったセリフがあった。

































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2 コメント

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キラキラ輝く透明感 (ONEE)
2006-03-26 10:07:16
「透明人間の蒸気(ゆげ)」はWOWOWで中継されていたのを見た覚えがあります。そのとき、宮沢りえさんにはあまり期待していなかったのです。



可憐な美しさはあっても、台詞がどうもフワフワしている気がして、舞台でどこまで聞こえるのかなと思っていたのですが、舞台を走りぬけ、手をいっぱいに広げて、瞳をキラキラさせて話す姿が、まさに「生きている」という感じがでていて、驚きました。



阿部サダヲさんが好きで観たのですが、ああ、この劇は宮沢りえという役者さんの透明で生きるパワーに溢れた、華やかな存在感で成り立っているのだなぁという感想でした。



NODA・MAPを観ていると、いつもそのテーマにいろいろと考えさせられます。でも、今回そのことだま、神のあたりは私には少し難しかったようです。歴史的な知識が足りないこともあるのでしょう。



でも、とにかく舞台はLIVEで見ることが一番だと思います。何か観たい舞台があれば、それを観に来たらもっといいでしょうね。

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難問に苦しむ? (henry)
2006-03-26 18:18:21
コメントありがとうございます。

野田作品はいつものことながら、このお芝居も難しかったですね。

2回目になると、多少わかるようになりましたが。

何が正しいということではなく、あくまで自分なりにということでしょうか。

各人各様の受け手の解釈があっていい、という考えだと私は受け止めています。



宮沢りえはヘレン・ケラ役にぴったりでしたね。あの透明感と植物的な肉体!によって、このファンタジーの世界にはまってましたね。

野田秀樹の作品は、どれも見終わった後、難問に苦しむ?感じがします。

しかし、時代への批判と問いというのは確かに感じました。

そういうものが根っこにあるからこそ、また次の舞台を見たい気持ちになるのだと思います。



WOWOWで放送された『贋作・罪と罰』は、95年当時と今では時代が余りにも変わりすぎていて、今はもっと大きな問題を抱えているような気がして、ちょっと違和感がありました。

それで記事にしようかどうしようか、迷っているうちに、時間が経ってしまいました。
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