FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

木靴の樹

2011年05月22日 | 映画

WOWOWで放送された「カンヌ映画祭特集」~シネマクラシックでは普段あまり放送されない長編映画、「木靴の樹」(1978年/イタリア/190分)をもう一度見ることが出来てうれしい。この年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。

巻頭場面で”出演者はベルガモ地方の農民である。19世紀末ロンバルジア州に4軒の農家が暮らしていた。住居や樹木、一部の家畜は地主のものだった。収穫の三分の二が地主のものとなる”という字幕が出てくる。

貧しいながら息子のミネクだけは学校に行かそうとするバティスティ一家、地主に差し出す収穫物の計量日、馬車の底に石ころを詰めてごまかそうとするフィナール、夫に死なれた後洗濯女をしながら15歳を頭に6人の子供を育てているルンク未亡人、ブレナー家の美しい娘マッダレーナは働いている工場のステファノと結婚する。(マッダレーナ役のルチア・ぺツォーリは素人なのだろうかと思えるほど魅力的!)。

その後マッダレーナとステファノはミラノで修道院長をしている伯母を訪ねると、そこで伯母が連れてきたのは身寄りのない子。帰路は引き取ったその子を連れて帰ってくることになった。ミネク(学校への6キロの道のりを木靴を履いて通うけなげな姿!)は放課後履いていた木靴が割れてしまい、父さんは川沿いに立ち並ぶ樹の中から1本を切り倒し、知られぬように新しい木靴を作ったが…。

まるで全篇ドキュメンタリーのように農民の生活が生き生きと描かれている。早く出荷したいために朝早く人目につかないうちにトマトの苗に牛糞ではなく鶏糞を撒くとか、貴重な家畜の牛の病気を治すために教会で祈りを捧げた聖水!?を牛に飲ませると一晩で回復するとか、生き抜くために知恵を振り絞る。貧しさから抜け出せない彼らの苦しみと対照的なのが地主の暮らし。計量日に農民が集まった地主の家の窓から聞こえてくるのは、手回し蓄音機から鳴り響くオペラ。邸宅では息子が弾くピアノの音楽会が開かれる。

水車がある粉ひき所、歌を歌いながらの共同作業、夜になると集会所に集まって過ごす、などは記録映画のようでもあり、ローソクや自然光に映し出された場面は陰影が強く、西洋絵画のようだ。牛が耕した後の畑に種をまく農民の姿は、ブリューゲルの「種まく人の譬えのある河口風景」(1557年)やミレーやゴッホが描いた「種をまく人」の構図そのもの。家の中で食事をする光景はゴッホの「ジャガイモを食べる人々」(1885年)を思い起こさせる。

ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」に影響を受けたとされるエルマンノ・オルミ監督は撮影も脚本も手掛けている。今でも印象に残るアルジェリア独立戦争を描いた「アルジェの戦い」(1966年)の監督はフランス人でもアルジェリア人でもなく、実はイタリア人だったことを思い出した。見事なドキュメンタリー的手法でその場に居合わせたような臨場感があった。イタリア映画は戦後映画史に残るネオリアリズムの伝統を生み出してきたが、この作品もその列に並ぶ必見の名作だろうと思う。



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