4月29日 水曜日
天気もいいし、お散歩。
今日は多摩川を河口に向かって歩いてみる。
六郷橋を後ろにみて、進む。
川崎河港水門
「大正15年(1926)11月に着工、当時の予算で54万円の費用と1年半の歳月をかけて昭和3年(1928)3月に完成した。
この水門は、2つの塔と、それをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されている。渦巻き模様と飾り窓のついた塔の上には、当時の川崎の名産品であった梨・桃・葡萄をモチーフとした巨大な彫刻が配されている。梨については、有名な「長十郎」が生まれたのは、水門からほど近い出来野であり、明治以来、外国産の桃を栽培するようになったのは大師河原が日本で最初であった。また、近隣では葡萄の栽培も行われていた。塔の側面には川崎市の市章を巧みにあしらうなど、非常にユニークかつ優れた意匠を特徴としている。現在は見ることができないが、完成当初は梁の側面にエジプト様式の舟がレリーフ状に描かれていた。」川崎市教育委員会HPより。
が、今は、事件現場として有名になってしまった場所・・・。
大師橋
振り返っての、大師橋
と、右側の工場地帯が終わると、何やら小綺麗な建物が並びだす。
へえ、そうなんだ。
羽田空港が対岸に。近いんだ。まあ、家から7キロ位歩いたからだけど。
GW中は飛び立たない、飛行機がいっぱい並んでる。そして、こっち側の干潟では潮干狩りをする親子。
今年の、今だけの風景に違いない。
ここで行き止まり。
この橋を作ってるからなんだ。出来たら、羽田空港、さらに近くなるじゃん。
歩いて戻るには疲れたので、京急の小島新田駅に向かう。
変な緑地が続く。ガードレールの代わりに枕木を使ってるから、もしやと思ったら、やっぱり線路があった。昔は、ここも線路だったんだろうなあ。
ここで、乗車。京急の大師線を、始発から終点(逆か?)まで乗った。
天気もいいし、お散歩。
今日は多摩川を河口に向かって歩いてみる。
六郷橋を後ろにみて、進む。
川崎河港水門
「大正15年(1926)11月に着工、当時の予算で54万円の費用と1年半の歳月をかけて昭和3年(1928)3月に完成した。
この水門は、2つの塔と、それをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されている。渦巻き模様と飾り窓のついた塔の上には、当時の川崎の名産品であった梨・桃・葡萄をモチーフとした巨大な彫刻が配されている。梨については、有名な「長十郎」が生まれたのは、水門からほど近い出来野であり、明治以来、外国産の桃を栽培するようになったのは大師河原が日本で最初であった。また、近隣では葡萄の栽培も行われていた。塔の側面には川崎市の市章を巧みにあしらうなど、非常にユニークかつ優れた意匠を特徴としている。現在は見ることができないが、完成当初は梁の側面にエジプト様式の舟がレリーフ状に描かれていた。」川崎市教育委員会HPより。
が、今は、事件現場として有名になってしまった場所・・・。
大師橋
振り返っての、大師橋
と、右側の工場地帯が終わると、何やら小綺麗な建物が並びだす。
へえ、そうなんだ。
羽田空港が対岸に。近いんだ。まあ、家から7キロ位歩いたからだけど。
GW中は飛び立たない、飛行機がいっぱい並んでる。そして、こっち側の干潟では潮干狩りをする親子。
今年の、今だけの風景に違いない。
ここで行き止まり。
この橋を作ってるからなんだ。出来たら、羽田空港、さらに近くなるじゃん。
歩いて戻るには疲れたので、京急の小島新田駅に向かう。
変な緑地が続く。ガードレールの代わりに枕木を使ってるから、もしやと思ったら、やっぱり線路があった。昔は、ここも線路だったんだろうなあ。
ここで、乗車。京急の大師線を、始発から終点(逆か?)まで乗った。