もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

171006 今朝の作家中村文則の寄稿論説が非常によくできていて腑に落ちた。残念ながら掲載できない。1年10カ月前の良質な寄稿論説を再掲載。

2017年10月07日 01時50分00秒 | 時代の記憶
10月6日(金):
  (この写真は、ネットで拾ってきたものである。)

今朝の朝日朝刊の作家中村文則の寄稿論説が非常によくできていて腑に落ちた。是非皆さんに読んでもらい、内容を広げようと、このサイトでも掲載したいと思ったがダメだった。朝日は本当にケチ臭い、この寄稿だけを有料会員設定にしているので、掲載できない。非常に印象が悪い。良い言説を掲載、共有して、その中心的役割を果たそうという気概が無い。有料会員設定で、どれだけの会員を獲得できるというのか?! まずゼロに近いだろう。腹の小さい心の狭い新聞である。某ネット右翼新聞のようになれなどと言う気はないが、一部の良質な論説で小金(こがね)を稼ごうというのは、大新聞社として如何にもせこい。

見出しだけ:「総選挙 日本の岐路」 説明する気ない首相/共生より排他の政治/感情で支持する人達/選挙はあなたに興味持っている
最初だけ:衆議院が解散となった。解散理由の説得力のなさは、多くの人がすでに書いているので、ここでは繰り返さない。僕もその件に関し首相の発言を様々に観(み)たり読んだりしたが、わからなかった。  
  でも今回の解散は、ある意味首相らしいとも言える。首相はそもそも様々なことに対し、もう国民を納得させる必要をそれほど感じていないように見える。本当の説明をせず、押し通すことに、もう「慣れて」しまっているように見える。これは、とても危険なことだ。
  安倍首相を積極的に支持している人達は、共謀罪をあのような形で成立させても、森友学園問題で首相夫人を私人と閣議決定しても、親友で何度も会っている、加計学園の理事長の長年の目標(15回申請していた)の獣医学部への想(おも)いを今年の1月20日まで知らなかったと言っても、その件で関係者達が国会で「記憶にない」を連発しても支持してくれる。だからそういった層には、元々説明する必要性は薄い。
  (ちなみに付け加えて書くと、こ…

途中抜粋:・「現政権が勝利すれば(中略)私達は安倍政権をというより、このような「政治手法」を信任したことを歴史に刻むことになる」「たとえあなたが選挙に興味がなくても、選挙はあなたに興味を持っているからだ」
・強く首相を支持する人達と、蓮舫議員の二重国籍問題を批判した人達はかなり被るので、少し想像していただきたいのだが、もしこれらが全て「蓮舫首相」がやったことだったらどうだろうか。果たして彼らは同じように「全く問題ない」と言うだろうか。
・この選挙は日本の決定的な岐路になる。歴史には後戻りの効かなくなるポイントがあると言われるが、恐らくそれは今だと僕は思っている。


朝日のケチ臭さに残念な思いが治まらないので、1年10カ月前の中村文則の寄稿論説を再掲載する。この作家の目は、最近では最も上質でわかりやすい。

再掲160108 今の民主党は、安倍自民と同じくらい国民と政治を舐めている。共犯者だ!と言っても過言ではない   2016年01月09日 04時12分12秒 | 考える資料
1月8日(金):  

相変わらず、朝日の外注記事には見るべきものがある。この当たり前の主張を自社でしっかりと発信できないところに朝日新聞の問題が集約できる。「腰が引けて(抜けて)るのだ」。今の民主党は、自公独裁政権と同じくらい国民と政治を舐めている。安倍の共犯者だ!と言っても過言ではない。

朝日デジタル(選べない国で)不惑を前に僕たちは 寄稿、作家・中村文則  2016年1月8日05時00分
写真・図版 中村文則さん=関田航撮影
  僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。
  それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。
  でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。
  その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。
  僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。
  正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。
  「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。
  その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。
  友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。
  「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。
  当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。
  その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。
  そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。
  正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。
  派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。
  その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。
  僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。
放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。
     *
  僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。
  なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。
  不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。
  そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。
  経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。
  イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。
  昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。
  否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

  たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。
  ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。
     *
  この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。
  僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。
  自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。
  九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。
  僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。
  最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

     ◇
 なかむらふみのり 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。作品は各国で翻訳されている
 ◆シリーズ「選べない国で」はこれで終わります。


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171005 地元の反応:前原はやっぱりおかしい。嘘つき詐欺師で、洒落にならない裏切り者だ。

2017年10月05日 21時51分47秒 | 時代の記憶
10月5日(木):   希望の党への合流に理解を求める前原民進党代表。拍手と批判の声が飛び交った(4日午後4時35分、京都市伏見区)
京都新聞地元入り前原氏に声援とやじ交錯 「頑張って」「裏切り者」  2017年10月05日 08時50分
  野党第1党の解体を決めた党首の声に、市民は何を思ったのか。4日、希望の党への合流表明後、初めて地元京都でマイクを握った前原誠司民進党代表は「安倍一強を変える大同団結」と訴えかけたが、党支持者の評価は揺れ、希望が民進側に示した「踏み絵」について説明を求める声も上がった。

■民進支持者も割れる
  民進党が希望の党と立憲民主党に分裂したことを受け、京都の党支持者は、「政権交代のためには仕方ない」「公約を裏切る暴挙」と理解と批判の声が分かれた。
  京都市東山区の樋口晴雄さん(66)は「希望に合流しなければ、より多くの仲間が落選する。安倍政権を倒すにはこの方法しかない」と前原代表を支持。右京区の男性支持者(74)も「パートナーとして、ふさわしいのは共産党より希望。思想信条がバラバラだった議員が整理され、有権者も分かりやすい」と歓迎した。
  希望は民進前職の公認に際し、憲法改正や安全保障関連法の容認といった「踏み絵」を求めた。これまでの民進の主張とは異なる内容で、与謝野町の党員男性(72)は「絵を踏みつけた民進前職のいることが信じられない。選挙運動に加わってきたが、1年前の参院選と正反対のことを訴えろ、というのか。立憲民主が京都5区に候補者を立ててくれるのを待つ」。
  民進前身の民主党は1996年の結党以来、京都では「非自民、非共産」を掲げ、勢力を伸ばした。政権を失った後、全国的に退潮傾向が続く中でも京都では踏みとどまってきた。上京区の民進党員の男性(74)は「民進は右過ぎず左過ぎない『中間層』の声を代弁してきた。初めて白票を投じるかもしれない」と嘆いた。

■演説が聞こえにくくなるほど
  4日午後4時過ぎ、伏見大手筋商店街(京都市伏見区)で街頭演説した前原代表は「野党がバラバラでは結果的に安倍政権が存続する」と、希望の党への合流に理解を求めた。商店街を練り歩く前原氏に、沿道から「頑張って」「裏切り者」などの声が飛び交った。「あんた、安保法制に反対してたやんか」と叫びながら詰め寄ろうとする男性を、警察官が制止する場面もあった。
  安全保障面などの従来の民進の訴えと、希望の政策とは隔たりがある。演説中には、横にいた希望公認で立候補する地元選出前職に対して聴衆から「(立憲民主党の)枝野代表のところから立候補を」との声が出ると、前原氏が反論。「野党共闘には共産党も含まれる。日米安保反対、自衛隊は違憲というところと組むのでは皆さんの命や日本の安全は守れない。その方が野合だ」と言い切った。
  演説を聞いていた中京区の40代会社員女性は「希望は外国人地方参政権反対なんて、争点にもなっていないことを持ち出した」と話し、民進党の前身の民主党が永住外国人への参政権付与法制化を目指した経緯があるだけに、「政治家としての信条はどうしたのか」と言い捨てた。
  京都駅前(下京区)でも、支援者の「前原」コールと、希望への合流に反対する人たちの「辞任しろ」という声が交錯、一時、演説が聞こえにくくなった。下京区の女性教員(58)は「憲法を守る民進党に期待していたが、安倍首相より改憲に積極的な希望に合流した。ふざけるな、と言いたい」と憤った。


京都新聞:  民進の福山氏、離党し立憲民主へ 京都、元官房副長官  2017年10月05日 13時50分
  民進党の福山哲郎元官房副長官は5日、同党を離党し、立憲民主党(代表・枝野幸男元官房長官)に参加する方針を固めた。福山氏は、京都新聞の取材に対し「希望の党には行かない。民進党にこれから離党届けを出す」と述べて、同日夕方に会見を開く意向を示した。
  民進党関係者によると、希望の党への合流に伴い、立憲民主入りを目指す参院議員が明らかになるのは初めて。
  福山氏は、前原誠司民進党代表の側近としても知られているが、先の代表選で枝野氏を支援していた。
  1998年に京都選挙区で初当選。当選4回。外務副大臣を経て2010年6月、菅内閣の官房副長官に就任した。11年の東日本大震災時には、当時の枝野官房長官らと対応に当たった。
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171005 高野孟「民進党をブチ壊し 前原代表の政治的幼稚さは万死に値する」(永田町の裏を読む )

2017年10月05日 18時01分57秒 | 時代の記憶
10月5日(木):    
日刊ゲンダイ高野孟「 永田町の裏を読む 民進党をブチ壊し 前原代表の政治的幼稚さは万死に値する 」 2017年10月5日
  私は8月10日付本欄で民進党の代表選について、「前原が勝てば同党は破滅に向かうしかなく、枝野が勝つことでかろうじて蘇生への活路を開くことができるだろう」と予測した。ところが案に相違して前原が勝ってしまって、その直後の9月7日付では、早くも取り沙汰され始めた前原と小池百合子都知事との連携話に関して「戯言」と断定し、その理由について次のように述べた。
  前原は代表選を通じて、安倍のそれとうり二つの「9条加憲論」を封印して党内リベラル派からの批判を回避したが、ホンネがそこにあることには疑いがなく、もし小池と結べば「手に手を取り合って剣呑な方向に転がり込んで」いって、「安倍改憲路線への対抗軸になるどころか、大政翼賛会のようになって、民進党は死ぬ」と。
  まさに前原の迷妄によって民進党は死に、そのがれきの中から枝野による「リベラル新党」結成という「かろうじて蘇生への活路」が切り開かれることになった。だから私が言ったように、初めから枝野を代表に選べばよかったのだ。彼の下で、2015年安保法制反対の国会包囲デモの統一戦線から16年4月北海道5区の衆院補選と同年7月参院選、そして今年7月の仙台市長選での野党プラス市民の選挙協力へという積み重ねを正しく継承しつつ深化させていく方向に踏み出せばよかった。そうすれば、党内の保守派や改憲派はいたたまれずに出て行って、何もこんな恥ずかしいドタバタ劇を演じなくとも、民進党はリベラル路線ですっきりまとまって総選挙に挑むことができたはずなのだ。
  直近の代表選にはそのような党の方向性が懸かっていることを、どうも民進党の皆さんの大多数は理解していなかったらしく、安易に前原を自分らの代表に選んで酷い目に遭うことになった。
  それにしても、前原の政治的幼稚さにはあきれる。06年の「偽メール」事件で代表を辞任した際には、鳩山由紀夫幹事長、野田佳彦国対委員長が芋づるで辞任して執行部が崩壊したくらいで済んだけれども、今回は自分が代表する党そのものをブチ壊そうという話で、現職の国会議員だけでなく立候補予定者や地方議員、支援団体関係者まで含めて、何とかこの党をもり立てようと頑張ってきた何千何万という人たちの生き方を愚弄した。しかも、蓋を開けてみれば「全員が離党して希望に移行する」というのは真っ赤な嘘だったのだからお話にならない。万死に値しよう。

高野孟 ジャーナリスト:1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。


日刊ゲンダイ地元京都でも批判噴出 前原民進代表を追い込む“落選運動”  2017年10月5日
  小池知事に騙され、民進党を解体してしまった前原誠司代表。驚くのは、党を潰しておきながら「私の判断は正しかった」「すべてが想定内だ」と、平然と自分を正当化していることだ。
  さすがに、党内だけでなく有権者からも批判が噴出している。前原氏のツイッターには、<このクズが。何が想定内だ?仲間を売り、騙したことが狙ってたということか??政治家以前に、もはや人としても見れない>といった書き込みが殺到している。
  4日、地元の京都で演説した時も、罵声が飛び交った。演説中、「裏切り者」「恥ずかしないんか」「よう来られたな」「詐欺師が」とヤジが飛び、「帰れ」のプラカードも掲げられた。地元でも完全に嫌われている。
  とうとう、ネット上では「人間のクズ前原誠司を落選させよう!」と、落選運動の呼びかけまで始まった。
■公明票の動きも懸念
  前原氏は、自民党候補をダブルスコアで圧倒するほど選挙が強い。落選する可能性はあるのか。
  「京都はもともと革新の強い地域です。中でも前原さんの選挙区は、教授やインテリの学生が多く住んでいるためか、リベラルが多い地域です。野党の前原さんが当選8回を重ねてこられたのも、そうした地域事情があるからです。でも、10・22総選挙では、地域事情が裏目に出る可能性があります。今回、前原さんはリベラル勢力を冷酷に切り捨てた。これまで前原さんに一票を入れていた野党支持者は、もう入れないでしょう。共産党も本気で打倒前原に動いています」(県政関係者)
  前原陣営が密かに恐れているのは、公明票の動きだという。
  「自民党と連立を組んでいる公明党の票は、自民候補に流れるのが普通です。でも、前原代表の妻が“創価短大卒”のため、2万票とも3万票ともいわれる京都2区の公明票は、前原さんに流れているとみられています。ところが、今でも京都政界と公明党に影響力を持つ野中広務さんが、公明票の引きはがしに動いているという話が流れているのです。前回、前原さんは6万6000票VS3万7000票で勝利しています。公明票2万票が動けば、選挙情勢は大きく変わります」(政界関係者)
  たとえ当選しても、国民も政界も前原氏のことは二度と信用しない。選挙に出馬せず、潔く引退すべきだ。


やっぱり前原誠司は、安倍晋三の双子の兄弟である。分かっていたことだが、最悪のかたちで的中したようだ。
「170923 この期に及んで共産党を批判する前原詐欺師は、未熟な中高生のガキであり、国民に対する犯罪者だ。まず政権交代を見せろ!」 2017年09月24日 00時57分44秒 | 徒然・雑感  の一節を以下に再掲しておく。

この選挙は勝ち負けしかないのだ。 前から思っていたことだが、前原詐欺師の今、現時点の姿は安倍晋三の双子の分身に見えてくる。この二人は、真逆のように見えるかもしれないが、「自分の思い込みに固執し続けて、周りが見えていない。周りからどう見られているかがわかっていない。自分の思いが一番。」という点でそっくり同じである。そして、そのことは、ことごとくアベの側を利することになってきた。安倍晋三自民党の最大の協力者は前原詐欺師である。民進党は最もふさわしくない詐欺師を代表に選んだようだ。これは犯罪に近い。

離党した細野豪志を通じて、小池百合子と組もうと考えているというニュースを今日聞いて、耳を疑った。あまりにも矜持が無さ過ぎる。

心ある民進党員は全力で、自由党、社民党、共産党との協力体制の確立し、有権者・国民への宣伝をしっかり行い、自民党との1対1の対決姿勢をしっかりとアピールして迷いなく反自民党4野党連合に投票できるように全力で努めてくれ。

「170919 イライラする!御託は無用!前原は一瞬でも早く小沢一郎に頭を下げて共産党の固定票を頼れる相互協力体制を作って、選挙に勝てる形を国民にアピールしろ!」  2017年09月20日 00時58分38秒 | つぶやき

9月19日(火):

民進党代表の前原は無駄口が多過ぎる。安倍の解散批判なんて要らない!選挙まで日がないのに、イライラする!離党した細野が小池とつながったのだから、この短期で民進党が小池と結ぶことは不可能なのは明らかだ!御託や理屈は無用だ!前原民進党は一瞬でも早く小沢一郎に頭を下げて共産党の固定票を頼れる相互協力体制を整えてもらえ!<選挙に勝てる形>を早急にしっかり作って、一瞬でも早く国民にアピールしろ!できないなら代表を辞めろ!負ける闘いはするな!枝野に土下座して謝罪して、後を託せ!
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171003 106万PV超:

2017年10月05日 01時17分25秒 | 閲覧数 記録
10月3日(火):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2187日。  

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171003深更 映画「二百三高地」(舛田利雄監督:1980)感想 特5(別格!)

2017年10月04日 03時17分58秒 | 映画・映像
10月3日(火):  

明日も仕事があるのに、バカだなあと思いながら、目が離せなかった。何度見返してきただろう。NHK「坂の上の雲」よりも上だろう。この映画は別格だ。
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171003 小池・前原新党に不信感が深まる。希望「政策協定書」第6項で外国人地方参政権差別を強制。

2017年10月03日 23時24分51秒 | 時代の記憶
10月3日(火):   ( 10月2日(月):※記録:1123PV 414IP またまたまた、ちょっとIP数に驚いた。 )

今夜、報道ステーションの録画画面を観ていて、希望の党の候補希望者への踏み絵である「政策協定書」全10項目中の第6項に「外国人に対する地方参政権の付与に反対すること。」とあるのが目視できた。小池は1週間前、希望の党を立ち上げた際の記者会見で、LGBTの人々の生きづらさに言及して多様な人間存在を認め合う社会を目指すようなふりをしていたが、「政策協定書」の画面を見て「ああこれはダメだ」と思った。前原が京都の在日のおばさんを切って捨てたのと同じなんだ、と思った。

日本の保守は、何か、おかしい。伝統的な社会・文化を大切にすることと差別・人権侵害を容認することを混同している。基本的人権を軽視することが、保守だと勘違いしている。これではただの夜郎自大、井の中の蛙に過ぎない。

急速に国際化、イスラム化の進行する世界の中で、日本だけが例外ではいられない。今後、様々な人間の存在を切って捨てるのではなく、どうしたら互いに大切なものを守り合えるか、を手探りで悩みぬく中で、多様性を認め合う社会を模索することがますます求められていく時代になっているというのに…。

そう言えば、9月1日の関東大震災の際の、東京で起こった朝鮮人虐殺の慰霊祭を、小池が都知事として初めて関与を取りやめにした。歴史に学ぶことを放棄することで人気を得ようとする歴史修正主義者のポピュリストであることを再確認した。「これじゃあ、アベ・アソウと一緒じゃねーか! どこが違うんだ!」

それにしても、解説の後藤のじいさんも第6項の外国人地方参政権についてのコメントを(わざと!)無視して避けているのが信用できない!

時事ドットコムニュース「希望の党」の政策協定書全文【17衆院選】   (2017/10/03-18:07)
 希望の党が公認候補と取り交わした政策協定書の全文は次の通り。
 希望の党 小池百合子代表殿
 政策協定書
 私は、希望の党の公認を受けて衆院選に立候補するに当たり、下記事項を順守すること、当選した場合には希望の党の所属する会派に所属して国会活動を行うこと、希望の党党員として政治活動を行うことを誓います。
                   記
 1、希望の党の綱領を支持し、「寛容な改革保守政党」を目指すこと。
 2、現下の厳しい国際情勢に鑑み、現行の安全保障法制については、憲法にのっとり適切に運用する。その上で不断の見直しを行い、現実的な安全保障政策を支持する。
 3、税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)を徹底し、国民が納める税の恩恵が全ての国民に行き渡る仕組みを強化すること。
 4、憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること。
 5、国民に負担を求める前に国会議員が身を切る改革を断行する必要があること、および、いわゆる景気弾力条項の趣旨を踏まえて、2019年10月の消費税10%への引き上げを凍結すること。
 6、外国人に対する地方参政権の付与に反対すること。
 7、政党支部において企業団体献金を受け取らないこと。
 8、希望の党の公約を順守すること。
 9、希望の党の公認候補となるに当たり、党に資金提供をすること。
 10、選挙期間が終了するまで、希望の党が選挙協力の協定を交わしている政党への批判は一切行わないこと。
  年 月 日
 第48回衆院選 立候補予定者(署名欄)
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171002 長谷部・杉田 考×論 「解散権は首相の専権、は誤り」 衆院選巡り専門家対談  構成 編集委員・高橋純子

2017年10月02日 20時07分09秒 | 時々刻々 考える資料
10月2日(月):  
朝日デジタル長谷部・杉田 考×論 「解散権は首相の専権、は誤り」 衆院選巡り専門家対談  構成 編集委員・高橋純子  2017年10月2日05時00分
  衆院総選挙が10日公示される。安倍晋三首相による唐突な解散に正当性はあるのか。結果次第で大政翼賛的な政治が生まれる危険性をもはらむ総選挙に主権者はどう向き合うべきか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。
  杉田敦・法政大教授 今回の解散に正当性があるのか、まずは考えてみましょう。憲法53条には、内閣は一定数の国会議員の要求があれば臨時国会を開かなければならないとある。にもかかわらず、安倍内閣は3カ月も放置しました。
  長谷部恭男・早稲田大教授 53条の規定が設けられた趣旨については、現憲法草案が議論された第90回帝国議会で金森徳次郎国務大臣が説明しています。当時は国会常設制、つまり、内閣に召集されなくても、国会自身がいつ活動を開始していつ終わるのか決められるようにすべきだという意見が有力でした。これに対し金森は、常設制は現実的ではないので、代替手段として、一定数の国会議員の要求があれば国会を召集しなければならないことにしたと言っている。召集要求を無視する内閣が出てくることは想定していなかっただろうと思います。
  杉田 憲法施行後に出された政府見解は、53条に基づく要求があったとしても、内閣は諸般の条件を勘案して、合理的に判断して召集の時期を決めることができるとしています。では今回のような、森友、加計学園をめぐる疑惑を追及されたくないというのは、勘案してしかるべき「諸般の条件」に含まれるのか。
  長谷部 常識で考えれば、含まれません。
  杉田 国権の最高機関である国会の審議機能を実際上、行政の長が妨害した。憲法違反ではないですか。
  長谷部 53条との関係で言えば、合理的と考えられる時期、準備に必要な2、3週間を超えて召集を引き延ばすのは憲法違反だというのが学界の通説です。
  杉田 そしてようやく国会を開いたら、何の審議もせずに冒頭解散です。解散権は首相の「専権事項」と言う人もいますが、憲法にそんな規定はありませんね。
  長谷部 首相の専権事項というのは間違いです。政府の有権解釈でも、実質的な解散決定権は内閣にあると言っている。現実には、首相は解散に反対する閣僚がいれば罷免(ひめん)して解散を決めることはできるので、首相に主導権があるとは言えますが、専権ではない。首相が自由に議会を解散できるという主張が臆面もなくなされる日本は、主要先進国の中では例外的な存在となりつつあります。
  杉田 かつて日本は、首相の権力が弱いと言われていた。派閥の力が強かったり、慣行上、内閣の合意を重視したりしていたためで、だったら最後、伝家の宝刀として解散権ぐらいは持たせてやろうという類いの議論でした。ところがその後、1990年代の政治改革などで首相に権力が集中していくのに解散権は制約されず、首相が過剰に強くなってしまった。少なくとも、党派的利益に即した解散を制約する必要があります。
  長谷部 上策は、憲法改正してその旨の条文を加えることですが、かなりの時間と労力を要します。現実的な策は、解散権の行使を制約する法律をつくることでしょう。政府や首相に与えられた憲法上の権限を法律で制約している例は、内閣法等にも散見されます。
  杉田 野党側は当初、この解散自体を争点化しようとしていました。選挙の構図が流動化するなか後景に追いやられた感もありますが、選挙ではしっかりと問われなければなりません。
  長谷部 憲法違反すれすれの無体な解散をした政党には、主権者国民がお灸(きゅう)をすえるしかないというのが、52年の吉田茂内閣による「抜き打ち解散」の合憲性が争われた「苫米地(とまべち)判決」の趣旨です。高度に政治的な事柄なので司法に判断はできない、主権者国民が最終的に判断しろと。

■政党政治が劣化/無党派の棄権、自公に好都合
  杉田 お灸をすえるには「受け皿」が必要です。小池百合子都知事を代表とする希望の党が結党され、野党第1党だった民進党が合流へ動いた。この間の動きに、政党政治の劣化を感じます。自民党も民進党も希望の党も、意思決定過程が不透明です。自民党は、党内論議を経ないまま、首相が勝手に消費増税分の使途変更など選挙の争点を設定した。民進党は、選挙で選ばれたばかりの代表がいきなり解党を主導する。希望の党も、何をどこで決めているのかさっぱりわかりません。そもそも政党や政治家は自己利益のためでなく、公的利益の実現のために存在しているという建前を掲げておかなければまずい。ところがいま、みんな自分の生き残りしか考えていないことを白日の下にさらしてしまっている。
  長谷部 社会の利益より政治家の利益。それがとても端的な形で表れているのが、憲法を改正して「合区」を解消しようという自民党の議論です。政治家が自己保身のために憲法を変える。すごいことです。
  杉田 政党は本来、理念や政策を共有する人たちの集まりです。政党は単なる選挙互助会だと言ってしまうと、そんな特定の「業界」のためになぜ何百億円もの税金を使って選挙を行い、人々がわざわざ投票しに行かなきゃならないのか、理由を説明できなくなる。政治的シニシズム(冷笑主義)が広がり、民主主義が成り立ちません。
  長谷部 しかし安倍さんはむしろ、政治的シニシズムが広がることを狙っているのかもしれません。どの政党にも風が吹かなければ、公明党とタッグを組んでいる自民党は有利です。今回の民進党をめぐる騒動を受けて、左派リベラルの無党派層が、くだらない、自分の受け皿はどこにもない、棄権するぞと思ってくれれば好都合だと。善悪を別にすれば、極めて合理的な判断です。
  杉田 日本政治の将来を考えると、その時々に急ごしらえの新党を待望するのではなく、普段からまともな野党を育てるという意識を有権者が持つ必要があるのでは。政党政治の基本は多元性です。各政党が異なる価値観をぶつけ合うことによって初めて妥当な結論が導き出せます。
  長谷部 フランスの政治学者・トクビルは、それぞれの部分利益を追求する政党や結社が競合することが、ひいては人民一般の利益を確保することにつながると言っています。
  杉田 そこに、政権党とは異なる部分利益を代表する野党の存在意義がある。ところが、民進党は長期にわたり支持率が10%に満たなかった。野党第1党がここまで弱っては、小選挙区制の下で頑張れない。解党が決まってから、リベラルの受け皿がなくなると懸念の声が出ていますが、客足の落ちたレストランが閉店を決めると急に惜しむ人たちが出てくるのと同じです。だったらなぜ、育てなかったのか。結局人々は、自民党が暴走した時に、お灸をすえるという役割の範囲でしか野党を求めていないのではないか。
  長谷部 ただ、民進党が支持されなかったのは、やはり政権を担った時のパフォーマンスがあまりにも悪かったからでしょう。官僚組織とけんかして、自分たちで電卓たたいて予算案を書き直すとか、そうしたことへの嫌気がいまも相当残っていると思います。
  杉田 民主党に政権交代する際、ハードルを上げ過ぎたことも否めません。政策実行に必要な財源の根拠を全部示せ、マニフェストに何をいつまでやるか全部書き込めと。そんなこと、できるはずがありません。
  長谷部 メディアも世論も子どもでしたね。初めて政権を担当させて、うまくいかなかったから全否定するというのは、確かに諦めが早すぎます。

■中道左派置き去り/右回転止めないと
  杉田 希望の党は、最終的にどうなるかはわかりませんが、憲法改正と安全保障を「踏み絵」にしてリベラル派を排除し、右に位置取りをしようとしているようにも見える。しかし自民党が安倍時代に右に傾いた結果、世論分布では中道左派の有権者が取り残されている。そこにリベラル新党をつくる余地があるという声も出ていますが、どうでしょう。無党派層はリベラルな政策との親和性が高いが、理念にこだわる人たちだから、小さなスタンスの違いが気になる。大きく支持が広がるとも思えません。風を吹かせたいなら右に寄った方が有利で、少なくとも小池さんはそれしか勝つ方法はないと判断しているのでしょう。

 長谷部 風を吹かせるためには理念も政策綱領もあいまいにしておく必要があります。左派はおおむね、政策や綱領を明確にしなければならない、いい政策をつくれば支持者が増えると思っている節がありますが、それでは風は吹きません。ポピュリズムは全否定されるべきものではなく、世界的にみれば、右派の専売特許でもない。ぼんやりしたポピュリズムでいけば、フランス大統領選で圧勝した中道のマクロンのように集票できる。風をなんとかうまく吹かせて、可能な限り良い結果に向けて努力する。もちろん結果について責任は問われますが。

 杉田 自民党の高村正彦副総裁は「理念・政策を磨いて実行していく責任政党がいいのか、理念・政策を捨てて、票のために野合する政党がいいのか、を選んでもらう選挙だ」と言っています。自己都合で解散しておきながら……ということはさておき、「安倍政権を終わらせる」は、野党が選挙を戦う上での大義になり得るでしょうか。

 長谷部 なり得るのでは。政策があいまいなまま、とにかく何かの旗の下に結集するのはポピュリズムの常套(じょうとう)手段です。「いまなら勝てる」と解散した首相に対抗し、組織力以上の議席を獲得するために、風にはためく旗を立てる。選挙至上主義は問題ですが、選挙に勝たなきゃ始まらないのも一面の真理です。

 杉田 ただ、選挙結果次第では、自民、公明と希望の大連立など、様々な動きが出てくると思われます。大政翼賛的な政治が生まれ、憲法改正が「数の力」で成される危険性も大いにはらんでいる。リベラルな有権者ほど投票先に迷ったり、棄権に走ったりするかもしれません。

 長谷部 安倍さん自身が、今回の選挙では私への信任も問われると言っている。いま右回転しているモーターの電源を切るかどうかが最大の焦点です。ひとつ切ったところで、また別のモーターが右回転し出すかもしれない。その時はまた切るしかありません。次なる夜が訪れることを恐れて、朝が来なくてもいいと考えるのはおかしい。夜が明けないことには何事も始まりません。(構成 編集委員・高橋純子)
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171002 打倒!アベ・アソウ世襲ファシスト政権! 再掲:「160122 朝日デジタル:(天声人語)民主党は「立憲民主党」と党名を改めてはどうか。首相の立憲主義観は?」

2017年10月02日 19時00分27秒 | 時々刻々 考える資料
10月2日(月):

枝野氏の「立憲民主党」立ち上げの義挙を全面的に支持する! 本来あるべきだった姿が実現しつつある!  打倒!アベ・アソウ世襲ファシスト政権!

再掲「 160122 朝日デジタル:(天声人語)民主党は「立憲民主党」と党名を改めてはどうか。首相の立憲主義観は? 」     2016年01月23日 01時10分02秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
(2016年)1月22日(金):
朝日デジタル(天声人語)首相の立憲主義観は? 2016年1月22日05時00分
 民主党は「立憲民主党」と党名を改めてはどうか。評論家の佐高信さんが提案した。戦後、立憲を名乗る政党はなかったからと同調する声が出た。19日、「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」設立の記者会見でのことだ▼委員会は小林節・慶応大名誉教授が呼びかけ、憲法学者の樋口陽一・東大名誉教授や俳優の宝田明さんらが名を連ねる。安倍政権が成立させた安保法制は違憲だとする立場から、立憲主義の大切さを発信していくという▼なぜ大切か。民主主義という仕組みは必要不可欠だが、十分ではない。歴史上、民主的に選ばれた政権が専制的な政治を始めた例は多い。人権の抑圧のように、時の多数派であっても決してしてはならないことを憲法で決めておき、民主主義の暴走を防ぐのが立憲主義だからだ▼委員会はまさに「立憲主義の否定、民主主義の暴走」と、安保法制を断じる。立憲主義を傷つけたと政権を批判する民主党に、佐高さんらが「立憲」を名乗るよう勧めるのは筋が通っている。党内にも昨年来、同様の声を上げる議員はいる。反応は出るか▼一方の安倍首相は昨日、改憲についてさらに踏み込み、「新たな現実的な段階に移ってきた」と述べた。そうは思えない。立憲主義とは何か。全ての前提となる議論が尽くされていないからである▼立憲主義は絶対王制時代の考え方だと首相は語ったことがある。そうした理解でいいか。首相の立憲主義観を重ねて聞く必要がある。詰めた論戦を野党に求めたい。
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171001 【論壇時評】選挙を前に 政治は社会に追いつくか 歴史社会学者・小熊英二

2017年10月01日 11時35分44秒 | 時々刻々 考える資料
10月1日(日):  
朝日デジタル【論壇時評】選挙を前に 政治は社会に追いつくか 歴史社会学者・小熊英二  2017年9月28日05時00分
  選挙になるそうだ。あなたは、どの政党を、どうやって選ぶだろうか。
  この時評を読む人は、各党の政策を吟味する人が多いかもしれない。だが世の中には、その時に話題になったニュースや、投票所のポスターを見て決める人もいる。町内会や労働組合、後援会などで活動しており、昔から投票先を変えない人もいる。政治はよくわからないが、共産主義は嫌いで、知人が推薦する地元の政治家を信頼するという人もいる。
  ではこうした人は、どのくらいの割合でいるのか。政治学者の三宅一郎が1985年に発表した研究がある〈1〉。
  それによると、政治に知識や関与が多く、選挙ごとに政策中心で投票先を選ぶ人は25%。同じく政治に知識や関与は多いが、支持政党はずっと変えない人は38%。政治知識がそれほどなく、少ない情報で投票するが、棄権も多い人は22%。政治知識はあまりないが、保守的傾向があり、縁故による動員対象になりやすい人は15%だった。三宅はこれらをそれぞれ「消極派」「忠誠派」「無党派」「委任派」と名付けている。
     *
  これは30年以上前の研究だ。現在では「忠誠派」は減っているだろう。自民党の基盤である町内会・自治会への有権者の加入率は、86年の70%が2014年には25%に減っている。旧社会党や民進党の基盤である労組への有権者の加入率も86年の11%から14年の6%に落ちた〈2〉。
  つまり、どちらの固定票も落ちて「支持政党なし」が増えている。しかし、自民党の方がまだ基盤が強い。さらに公明党の支持者が自民党の固定票を積み増しているうえ、野党は分裂しがちだ。
  こうした状況なので、通例の選挙は自民党が勝つ。だが何かの理由で「風」が吹き、投票率があがって無党派票が特定の野党に集中すると、自公の固定票を圧倒してしまう。ただし一度ブームとなった政党は新鮮さを失うので、「風」は一つの政党に原則一度しか吹かない。政治学者の中北浩爾はこの状況を「自公か、『風』か」と要約している
〈3〉。
     *
  地方選挙では別の問題がおきている。投票率が一貫して低下しているのだ。
  政治学者の菅原琢は、投票率低下の一因は移住の増大だという〈4〉。地方選挙の投票率は、同じ地域に15年から20年以上定住している人では約8割にのぼる。だが定住期間が3年未満の人は約4割だ。そして90年と10年の国勢調査を比べると、5年前の居住地が現在と異なる人の割合が、70歳以下の全年齢層で増えている。ヒト・モノ・カネの移動が激しくなるのは現代の不可逆な傾向だ。
  移住者は地域の事情がわからない。町内会や労組に所属することも多くない。地方選挙は報道が少なく、関心があがりにくい。昔なら学校整備や公害対策などで、移住者も地域政治に関わる機会が多かったが、現代の問題である高齢化や子育ては対応が個人化しており、地域として取り組む機会がない。これでは棄権してしまっても無理はないだろう。
  そうして投票率が下がると、高齢定住者を中心とした固定票を握っている側が常に勝ってしまう。地方には、4期16年や5期20年も多選している首長や、オール与党で野党は共産党だけという議会もある。監視や批判が機能せず、縁故主義や放漫財政などの問題もおきやすい。
  一方で移住者は、報道が多い国政選挙や大都市選挙では、ニュースをもとに投票する。その結果、地方選挙では投票率が低下していく一方、国政選挙や知事選では、投票率が乱高下しながら突発的な「風」が吹くことになる。大都市の議会選では、知事の人気に頼った「首長党」が多数派になることもある〈5〉。
  つまり現代日本では、不安定な「風」頼み政権か、低投票率と固定票に支えられたオール与党の超長期政権が出現しやすい。後者は今のところ地方だけだが、国政もそうなっていく可能性がある。どちらも望ましい状態ではない。
  どうしたらよいか。簡単な答えはないが、いくつかヒントはある。
  一つは、有権者の関心に沿う訴えを工夫することだ。遠藤晶久らは、現代の有権者は三つの対立軸を持っているという〈6〉。第一は、自衛隊や安全保障をめぐる対立軸。第二は、女性の社会進出や外国人労働者など、社会的価値観の対立軸。第三は、「小さな政府」や自国優先主義といった新保守主義への賛否だ。だが現状は、第一の安全保障の対立軸が支持政党を選ぶ基準となっているだけで、それも昔より弱まっている。有権者が持つ他の対立軸に、政党やメディアが働きかけていく余地はあるだろう。
  また飯尾潤は、政党のネット対応が古いと指摘する〈7〉。選挙の時だけ、一方的に情報を流す宣伝媒体としてネットを使う傾向がまだ強い。ミニ集会における討議や地域活動といったリアル空間での日常活動とネットを連動させて、対面の双方向性を持たせることが重要だ。
  そもそも、政策をマスコミやネットで提示するだけでは、それを意識的に吟味する25%にしか届かない。前述のように学校整備や公害対策といった昔の地域活動は、移住者を政治に巻き込んでいた。高齢化対策や子育て支援も、政党は地域活動での働きかけをもっと強めてよい。
  いずれも言うは易く実行は難しい。だが現状では、21世紀の社会に、20世紀の政治が追いついていない。いま問われているのは、「合意の技術(アート)」としての政治が、21世紀に生き残れるか否かである。

     *
〈1〉三宅一郎『政党支持の分析』(1985年刊) /〈2〉中北浩爾『自民党』(今年4月刊) / 〈3〉中北浩爾・中野晃一 対談「政党政治の底上げは可能か」(世界10月号) /〈4〉菅原琢「不安定化する社会に対応できない日本の選挙」(中央公論2015年4月号) /〈5〉砂原庸介「『首長党』台頭の功罪」(中央公論17年10月号) / 〈6〉遠藤晶久・三村憲弘・山崎新「世論調査にみる世代間断絶」(同) /〈7〉飯尾潤・佐々木紀彦 対談「SNS時代こそ政党の真価が問われている」(同)
     ◇
 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『誰が何を論じているのか』は、本紙・論壇委員(当時)として2013年からの3年間に執筆した毎月の論壇メモと本紙コラムなどを収録。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)