3月21日(月): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1627日。
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BS歴史館「保科正之」録画を久しぶりに観た。磯田道史が保科正之の言葉を以下のように引用していた。「 『昔から地位にある者が学んでいないほど国家を病気にするものはない。害になるものはない。(保科正之)』いろんな時代の状況だとか、過去の状態だとか、学んでないことそのものが害になることを自覚せよと言う訳ですね。」
今の時代を生きる日本人には一段と身に染みる言葉だ。
朝日新聞:【社説】高校生と政治 届け出制は自由を侵す 2016年3月18日05時00分
「18歳選挙権」に逆行する動きと言わざるを得ない。
愛媛県立高校の全校がこの春から校則を改め、校外での政治活動に参加する生徒に、事前の届け出を義務づける。
デモに参加しようとする高校生をためらわせ、政治への関心をそぎかねない。
政治活動は、憲法が保障する思想良心、表現の自由にかかわる権利である。学校は、指導の名でその基本的な権利を縛るべきではない。
まして校外の活動だ。「危険がないか把握する必要がある」とする高校もあるが、そこまでの管理は必須とはいえない。
愛媛県立の全高校に再考を求めたい。全国各地の高校も追随すべきではない。
文部科学省は昨年、校外でのデモなどの政治活動への参加を解禁した。その一方、ことし1月には届け出制も容認した。
個人的な政治的信条の是非を問うようなものにしないことなど、配慮が必要としている。
だが届け出れば、教員は生徒にどんな活動か尋ね、指導することになりかねない。そうなると事実上の許可制ではないか。
何歳であれ有権者には、どんな政治主張に関心があるかを自分の胸にとどめる自由がある。
愛媛県で届け出制の端緒をつくったのは県教委だ。教頭らを集めた主権者教育の研修会で、校則などの変更例を示した。
海外旅行や地域行事への参加とともに「選挙運動や政治活動への参加」を挙げ、「1週間前に保護者の許可を得てホームルーム担任に届け出る」とした。
判断は各校に任せたと県教委は言うが、校則を変えた場合は報告するよう求めていた。
学校は無言の要請と受け止めたはずだ。だからこそ、全校が一斉に見直したのだろう。
朝日新聞が2月、全都道府県と政令指定市を調べた結果、6自治体が「届け出不要」としたが、愛媛県を含む27自治体は「各校に任せる」と答えた。
33自治体は「検討中」「未検討」などと答えた。どの自治体も、高校に届け出制の導入を求めるべきではない。
そもそも18歳選挙権を決めたのは大人たちである。投票を認めながら、政治活動への参加を管理する姿勢は筋が通らない。
学校や教委がすべきなのは規制ではない。生徒の主体性を大切にしながら、政治への意識を高める「主権者教育」である。
校則や高校生の政治活動のありかたは本来、生徒自身が考えるべきことだ。彼らに議論する場をつくることこそ、主権者を育てる教育にふさわしい。
朝日新聞:【天声人語】閣僚たちの失態と傲り 2016年3月18日05時00分
ものごとがうまくいって得意の絶頂にある人が、自分を過信し、神をも恐れぬほど傲(おご)り高ぶる。こういう状態をギリシャ語でヒュブリスというそうだ。傲慢(ごうまん)などと訳される。古代ギリシャの神は嫉妬し、怒り、その人に天罰を下す、とされた▼大臣の座を射止めた政治家が、我が世の春を謳歌(おうか)しても不思議はない。大勢の官僚に世話を焼かれ、警護官がつき、常に言動が注目される。しかし、そこには同時に、ヒュブリスという落とし穴が待ち構えていることも確かである▼少し前の丸川環境相の発言を思い出す。講演で福島の原発事故に触れ、「反放射能派」が「わーわー、わーわー騒いだ」などと語った。揶揄(やゆ)なのか侮蔑なのか。その口ぶりに悪乗りという言葉が浮かんだ▼今度は林経産相である。原発政策に関する野党議員の質問に窮し、自らの「勉強不足」を認めてしまった。素直とも見えるが、それでも閣僚が務まるという認識なら思い上がりの裏返しとも見える。石破地方創生相ら、他の閣僚の失態も続く。得意淡然の戒めを守るのは難しい▼ちなみにヒュブリスは『イソップ寓話(ぐうわ)集』にも登場する。ここでは女神の名前として。彼女は神々の結婚式で伴侶を得られず一人だけ取り残され、遅れて来たポレモスと一緒になる。ギリシャ語で戦争を意味する彼はヒュブリスを一方ならず恋い慕い、どこにでもついていったという▼短いお話はこう結ばれる。民衆に笑顔を振りまく傲慢の後から、たちまち戦争がやって来る、と。
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今の時代を生きる日本人には一段と身に染みる言葉だ。
朝日新聞:【社説】高校生と政治 届け出制は自由を侵す 2016年3月18日05時00分
「18歳選挙権」に逆行する動きと言わざるを得ない。
愛媛県立高校の全校がこの春から校則を改め、校外での政治活動に参加する生徒に、事前の届け出を義務づける。
デモに参加しようとする高校生をためらわせ、政治への関心をそぎかねない。
政治活動は、憲法が保障する思想良心、表現の自由にかかわる権利である。学校は、指導の名でその基本的な権利を縛るべきではない。
まして校外の活動だ。「危険がないか把握する必要がある」とする高校もあるが、そこまでの管理は必須とはいえない。
愛媛県立の全高校に再考を求めたい。全国各地の高校も追随すべきではない。
文部科学省は昨年、校外でのデモなどの政治活動への参加を解禁した。その一方、ことし1月には届け出制も容認した。
個人的な政治的信条の是非を問うようなものにしないことなど、配慮が必要としている。
だが届け出れば、教員は生徒にどんな活動か尋ね、指導することになりかねない。そうなると事実上の許可制ではないか。
何歳であれ有権者には、どんな政治主張に関心があるかを自分の胸にとどめる自由がある。
愛媛県で届け出制の端緒をつくったのは県教委だ。教頭らを集めた主権者教育の研修会で、校則などの変更例を示した。
海外旅行や地域行事への参加とともに「選挙運動や政治活動への参加」を挙げ、「1週間前に保護者の許可を得てホームルーム担任に届け出る」とした。
判断は各校に任せたと県教委は言うが、校則を変えた場合は報告するよう求めていた。
学校は無言の要請と受け止めたはずだ。だからこそ、全校が一斉に見直したのだろう。
朝日新聞が2月、全都道府県と政令指定市を調べた結果、6自治体が「届け出不要」としたが、愛媛県を含む27自治体は「各校に任せる」と答えた。
33自治体は「検討中」「未検討」などと答えた。どの自治体も、高校に届け出制の導入を求めるべきではない。
そもそも18歳選挙権を決めたのは大人たちである。投票を認めながら、政治活動への参加を管理する姿勢は筋が通らない。
学校や教委がすべきなのは規制ではない。生徒の主体性を大切にしながら、政治への意識を高める「主権者教育」である。
校則や高校生の政治活動のありかたは本来、生徒自身が考えるべきことだ。彼らに議論する場をつくることこそ、主権者を育てる教育にふさわしい。
朝日新聞:【天声人語】閣僚たちの失態と傲り 2016年3月18日05時00分
ものごとがうまくいって得意の絶頂にある人が、自分を過信し、神をも恐れぬほど傲(おご)り高ぶる。こういう状態をギリシャ語でヒュブリスというそうだ。傲慢(ごうまん)などと訳される。古代ギリシャの神は嫉妬し、怒り、その人に天罰を下す、とされた▼大臣の座を射止めた政治家が、我が世の春を謳歌(おうか)しても不思議はない。大勢の官僚に世話を焼かれ、警護官がつき、常に言動が注目される。しかし、そこには同時に、ヒュブリスという落とし穴が待ち構えていることも確かである▼少し前の丸川環境相の発言を思い出す。講演で福島の原発事故に触れ、「反放射能派」が「わーわー、わーわー騒いだ」などと語った。揶揄(やゆ)なのか侮蔑なのか。その口ぶりに悪乗りという言葉が浮かんだ▼今度は林経産相である。原発政策に関する野党議員の質問に窮し、自らの「勉強不足」を認めてしまった。素直とも見えるが、それでも閣僚が務まるという認識なら思い上がりの裏返しとも見える。石破地方創生相ら、他の閣僚の失態も続く。得意淡然の戒めを守るのは難しい▼ちなみにヒュブリスは『イソップ寓話(ぐうわ)集』にも登場する。ここでは女神の名前として。彼女は神々の結婚式で伴侶を得られず一人だけ取り残され、遅れて来たポレモスと一緒になる。ギリシャ語で戦争を意味する彼はヒュブリスを一方ならず恋い慕い、どこにでもついていったという▼短いお話はこう結ばれる。民衆に笑顔を振りまく傲慢の後から、たちまち戦争がやって来る、と。