もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160216 一年前:4 046森達也「「自分の子どもが殺されても同じことを言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい」2013

2016年02月16日 21時32分30秒 | 一年前
2月16日(火):
4 046 森達也「「自分の子どもが殺されても同じことを言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい」(2013) 感想4+

2月15日(土):ダイヤモンド社。副題「正義という共同幻想がもたらす本当の危機」380ページ  所要時間 5:30   図書館著者57歳(1956生まれ)。ドキュメン...

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160216 一年前:150215衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を語る政治家はいないのか!

2016年02月16日 21時28分32秒 | 一年前
2月16日(火):
150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!
2月15日(日): 「NYタイムズ」    「英インディペンデント」 *SDF=勿論「自衛隊」*SOFA=《Status of Forces Agreement》駐留米...

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160215 61万PV超:

2016年02月16日 21時19分46秒 | 閲覧数 記録
2月15日(月): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1591日。 

アクセス:閲覧 900PV/訪問者 224IP

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ランキング:5,257位 / 2,400,480ブログ中 週別 5,642位
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160214 一年前:150214 腰抜けの朝日の社説。琵琶湖への言及なし。原発の地元は250km圏内だ!

2016年02月15日 00時09分42秒 | 一年前
2月15日(日):
150214 腰抜けの朝日の社説。琵琶湖への言及なし。原発の地元は250km圏内だ!高浜原発再稼働不可能!
2月14日(土): 今朝の朝日新聞の社説を読むと高浜原発再稼働がまるで議論のできる対象・段階であるが如き、話し合いで微調整すれば再稼働できるが如き印象で論じられている。今だ終息...

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160212 リテラ:安倍政権や日本会議の語る「日本」「伝統」を橋本治が痛烈批判!

2016年02月13日 00時02分09秒 | 時々刻々 考える資料
2月12日(金):   『性のタブーのない日本』(集英社新書)  

リテラ安倍政権や日本会議の語る「日本」「伝統」を橋本治が痛烈批判! 「大嫌い」「明治以降の近代人が勝手につくった」と http://lite-ra.com/2016/02/post-1969.html  2016.02.11. 
  夫婦別姓に関する最高裁判決や、渋谷区の同性パートナーシップなど、昨年は「家族」「性」に関する新たなかたちを模索する動きが多く生まれた年であった。
  しかし、ご存知の通り最高裁は、かつて「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(「WiLL」ワック/2010年7月号)」との発言を残している安倍首相に忖度したのか、夫婦別姓を認めない規定は合憲であるとの判断を下した。
  また、同性パートナーシップ条例に関しても、安倍首相は昨年2月18日の参議院本会議で「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と発言。9条を解釈改憲して安保法制を強行採決させたうえ、日本国憲法は「押しつけ憲法」と語り憲法改正を悲願としているのにも関わらず、この件に関してはなぜか、かたくなに憲法に固執する二枚舌を見せている。
  そして、同性パートナーシップ条例が成立した3月には、「普通の愛情は男女から発生する」「少数派を多数派と同じ扱いをすることが平等ですか」「LGBTが社会を乱している」といったLGBTの人たちへのヘイトスピーチを叫んだ反対派デモが発生。そのデモの主催者である「頑張れ日本!全国行動委員会」は、結成大会に安倍晋三氏、下村博文氏、高市早苗氏、山谷えり子氏、稲田朋美氏といった人たちが出席、なかでも安倍首相は基調演説までしている団体であった。ちなみに、そのデモで配られたチラシには、次のような文言が記されている。
 〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉
  夫婦別姓の問題にせよ、パートナーシップ条例をめぐる議論にせよ、政権側からは、この「伝統的な家族制度」なる言葉が盛んに使われる。しかし、この「伝統」とはいったい何を指しているのだろうか。小説『桃尻娘』や、『古事記』『源氏物語』の現代語訳など古典文学研究の仕事で知られる橋本治氏は、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年2月15日号のインタビューでこんな言葉を残している。
  「今や建前が好きなのって自民党の政治家だけじゃない? なんか、あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。
  それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探しているわけなんですけどね」
  安倍政権をはじめとした保守主義の人々がことさらに喧伝する「伝統」という言葉。しかし、歴史を振り返ってみれば、彼らの言う「伝統」は、「伝統」でもなんでもない。たかだか150年ほど前、明治時代以降、急速な近代化の流れのなかで形づくられたものだった。また、橋本氏はこんなことも語っている。
  「平塚雷鳥とかの女性解放運動が出てくるのが明治だから、それ以前の時代の日本って、ずっと女性を抑圧していたように思われているけど、実は一番、男女差別が激しくなるのって、むしろ明治からなんですよね」
  「みんな「女は女らしく」っていうのが封建道徳だと思っているかもしれないけど、例えば江戸の芸能って、劇中で女が刀を振り回すシーンとか、カッコいい女盗賊の話なんかも、ごく当たり前にあるのね。ああいうのを見てると、少なくとも江戸時代の人には「女はおとなしくしてなきゃいけない」って感覚はないと思う」
  「女は女らしく」という考え方も、結局はたかだか150年前に出てきたものだったと橋本氏は主張する。
  「一億総活躍社会」という謎のワードが示す通り、安倍政権は「女性の社会進出」をしきりにアピールしているが、首相が本心からこれを考えていないことは明白だ。前述した「頑張れ日本!全国行動委員会」の結成大会では、「いま私たちは国の基本を解体させかねない権勢に直面している。夫婦別姓の問題も、これは家族という基本にかかわる問題であります。子ども手当を出して、配偶者控除をなくす。これは家族解体への第一歩であります」と演説している。
  この演説から透けて見える安倍首相の本心を代弁するかのように、「文藝春秋」15年6月号のインタビューでは、安倍昭恵夫人がこのような発言を残している。
  「女性活用のようなテーマも、主人と話す機会はほとんどありません」
  「主人はもともと保守的な考え方の持ち主ですので、女性がみんな働くことが良いとは、今も思っていないのかもしれません。女性には社会で活躍してもらいたいとの思いがある反面、あまりにも多くの女性が社会に出ることで、伝統的な日本のよき家庭の形が崩れてしまうことを恐れているような気がします」
  口では「女性の社会進出」を謳っておきながら、本心では「伝統的な家族制度」の名のもとに女性を家のなかに縛り付けておきたい。それが安倍首相の真の思いである。ただ、先ほどから再三述べている通り、これは本当に「伝統」なのか。先ほど「週刊プレイボーイ」での発言を引いた橋本治氏は、昨年上梓した『性のタブーのない日本』(集英社)のなかで、このように綴っている。
  〈この日本は昔から女が力を持っている国です。平安時代以前、女帝は何人もいます。「その女帝は飾り物だ」と言いたがる人もいますが、複数の女帝が存在した結果、父なる天皇から皇位継承を受けた男の天皇というのは、日本の最初の女帝である推古天皇の時以来、平安京を作った桓武天皇になるまで一人もいないのです。桓武天皇になって初めて、男の天皇を父とする天皇が登場します。飛鳥から奈良時代まではそういう時代ですから、この時代の女性達は強いです。自分から進んで兵を率いて戦争をしたり、我が子を天皇にするために現天皇の暗殺を計画したりします〉
  先日、本サイトでも取り上げた、古典エッセイストの大塚ひかり氏が指摘している通り、日本の家族制度は古来、母系的な社会であったと言われている。
  〈そもそも母系社会とは、「祖母、母、娘というように、代々女性の血縁関係(出自)をたどって、社会集団をつくりあげ、相続・継承の方法を決定する」(須藤健一『母系社会の構造』)社会のことで、日本では厳密な意味での母系社会はなかったという説もありますが、貴族社会は長い時代を通じて「母系的」であったことが結婚形態などからうかがえます。
  母系社会の主な結婚形態は、夫が生家から妻方へ通う「妻問い婚」と、夫が妻の実家に入る「婿入り婚」(婿取り婚)。日本では、武士が台頭する鎌倉時代までは、この二つのミックス形態が主流で、婚姻時は、夫が妻方に通ったり、妻方の実家に住み込んでいたものが、夫婦に子供が生まれるなどすると独立するのが常です〉(『本当はエロかった昔の日本 古典文学で知る性愛あふれる日本人』新潮社)
  この世界には、安倍政権の人々が主張する家父長制的な「伝統」とは真逆の光景が広がっている。「一家の大黒柱のお父さんに、専業主婦のお母さん」といった役割分担ではなく、身の回りの雑事などを担うのはむしろ男の役目である。
  また、子育てに関しても今とは違う認識が広がっていた。『うつほ物語』では、娘におしっこをかけられた夫が「この子を抱いてください」と頼んでも「まぁ汚いこと」と言ってそっぽを向く母親に対して、「彼女は内親王で、究極のお嬢様だから」と、育ちのいい証拠としての肯定的な評価が書かれている。今なら「育児放棄」と言われて世間から糾弾されるところだ。「母性」という考え方も、今と昔では違うのである。
  また、ここまで時代を遡らずとも、だいぶ現代の我々の生活様式に近づいた江戸時代でも、女性たちが家のなかで縛られているということはなかった。「ユリイカ」(青土社)16年1月臨時増刊号のなかで、ジェンダー論・女性学などを専門とする社会学者の上野千鶴子氏は春画に描かれているストーリー設定を考察して、このようなことを語っている。
  「家制度のなかにおける正妻の地位は高い。商家なんかはおかみさんが権力を握っています。そのなかでも一番強いのは後家さんです。他家から入ってきた後家さんが家の代表になるというのは家制度の面白い点です。日本の経営者の女性比率は国際的に見ても高いんです。大企業の雇われ社長ではなく、同族経営の中小企業では後家さんが家業を引き継いで経営する傾向が強いですね。
  春画にも後家さんがすごく多いでしょう。若い男を引き入れているような図柄がよくあります。家制度のもとでは、後家になって家督相続人の母になれば権力も自由も手に入る(笑)」
  安倍政権が言う「伝統的な家族制度」が、いかに最近つくられたシステムであったがよく分かる。
  同性パートナーシップの問題に関しても同様のことが言える。前述したヘイトデモで配られたチラシには、先に引いた〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉という文章の他に、こんな文言も書き記されていた。
  〈若者が多く集まる渋谷区の路上や職場で、男性同士、女性同士が公然と抱き合ったり、キスをしたりする姿が日常の光景となり、やがてエイズが蔓延してしまうことを、誰も歓迎しておりません〉
  〈条例案は、日本の伝統と文化に対する挑戦状〉
  正直、引用するのもはばかられるような差別的テキストだが、ここでもとくに熟慮することなく無邪気に使われている「日本の伝統と文化に対する挑戦状」という言葉。この「伝統」も果たして本当に「伝統」なのだろうか。
  敢えて述べるまでもなく、日本には古来より同性愛の文化があった。
  〈周知のように、日本の仏教界では、平安初期の昔から女犯の罪を避けるため稚児との男色が公認されていたし、平安末期の上流貴族が中・下流貴族と関係することで結束を強めていたことは五味文彦も指摘しています(『院政期社会の研究』)。
 江戸時代には、葭町(芳町)をはじめ、男娼の集まる町が多数ありました。
 そこでは、男性同性愛者だけでなく、異性愛(両性愛)の男や、女も、男を買っていた。
 井原西鶴の『好色一代男』(1682)の主人公が、54年間に関係した相手は女3742人、少年725人という設定で、日本では、こと男に関しては「両性愛」であることが「色好み」の条件とも言え、平安末期の多くの皇族貴族たちも妻や女の愛人がいながら、男の愛人もいたのです〉(前掲『本当はエロかった昔の日本』)
  『源氏物語』のなかで使われる有名な言い回し「女にて見む」は、改めて指摘するまでもなく、「(相手の男を)女としてセックスしたい」という意味であると解釈されている。
  また、時代は下り、江戸時代、男色は春画のモチーフとしても多く描かれることとなった。
  〈武家の男色は男どうしの絆を高める社会的な習慣であり、表向きは禁令が出されて以降も、武家の男子にとってはなんら異常ではない恋の慣習であった。それゆえに近世の春画にも、愛し合う恋人どうしとしての少年と念者の恋が描かれるようになったといえよう。心身ともに結ばれた春画の男たちの姿は、武家社会における男の絆の、性愛も含めた緊密性を鮮やかに伝えている〉(「ユリイカ」16年1月臨時増刊号所収、佐伯順子「春画の“少年力” 魅惑という権力」)
  ここで「表向きは禁令」という表現が出てくるが、それは、あまりにも男色が盛んになってしまったがゆえの秩序統制のための禁令であり、松尾芭蕉も「われもむかしは修道ずき」と書き記しているし、平賀源内は『江戸男色細見』という男色遊びのガイドブックまで書いている。先ほどあげた『好色一代男』もそうだが、『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも「両刀づかい」として描かれている。
  安倍首相は、『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(文春新書)のなかで、多様な家族観を描く高校の家庭科教科書に対し、こんな疑問を記していた。
  〈同棲、離婚家庭、再婚家庭、シングルマザー、同性愛のカップル、そして犬と暮らす人……どれも家族だ、と教科書は教える。そこでは、父と母がいて子どもがいる、ごくふつうの家族は、いろいろあるパターンのなかのひとつにすぎないのだ〉
〈「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う〉
  しかし、ここまで述べてきたように、これまで我が国が歩んできた「家族」「性」に関する考え方は、安倍首相が断じているほど画一的に述べられるようなものではない。むしろ、本当の意味で日本の「伝統」というものを考えるならば、「家族」や「性」といったものに対し、もっと多様性を認める考えのほうがよっぽど「伝統」なのではないか。
  国家統制を強めるため、国民を国家に奉仕させるために、明治政府が「勝手につくった」にすぎない「国家」や「家族」というフィクションを、「伝統」などと持ち上げる安倍政権の詐術にはだまされたくないものである。(井川健二)
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160212 外務省、防衛省のワナ 鳩山由紀夫民主党内閣が倒閣されるまで 「ルーピー鳩山」に乗せられる世論

2016年02月12日 23時38分58秒 | 時々刻々 考える資料
2月12日(金):

弁護士 猪野 亨のブログ外務省、防衛省のワナ 鳩山由紀夫民主党内閣が倒閣されるまで 「ルーピー鳩山」に乗せられ誘導される世論  http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1835.html  2016/02/09 10:27 
  民主党鳩山政権が誕生したのが2009年9月、そして1年も立たず2010年6月、総辞職に追い込まれ、事実上、民主党政権が瓦解しました。
  直接のきっかけが外務省、防衛省が鳩山氏をワナにはめたことだったと報じられました。
「外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた」(田中龍作ジャーナル)
 http://tanakaryusaku.jp/2016/02/00012907
  「鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。
  極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。
  文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。
  「アメリカではなくて日本の役人の知恵でこういう物(“極秘文書”)が出てきた。信じた自分が悪かったが、相当に巧妙だった」。鳩山は悔しがる。
  安倍政権になって、在日沖縄米軍ヘリコプター部隊の訓練基地を佐賀県へ移設することが提案された。沖縄と佐賀はゆうに200kmを超える。
  「移設は65マイル(105キロ)以内」は真っ赤なウソだったのである。
  田中は鳩山に聞いた。「辺野古に戻したのは外務省と防衛省ですね?」
  「そういうことです」。鳩山は奥歯を噛みながら答えた。」
   官僚による謀略でした。鳩山氏は米国からの極めて重大な圧力を感じ、挫折させられたことになります。
  これをきっかけに普天間基地問題が混乱したとか、鳩山政権に対するバッシングが始まり、総辞職に追い込まれたのです。
  もっとも鳩山政権が倒されたのは、この普天間基地問題だけではありません。子ども手当など社会福祉政策を推し進め、他方で消費税増税を断固として拒否してきたことが、構造改革を要求する財界は既に鳩山政権を見限り、イライラしていたのです。
  財界が求めていた第一は消費税率の引き上げ(法人税大幅減税)です。

「民主党が瓦解していくことの意味 国民の声を無視した末路」
 http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-540.html
  そして格好の材料が出てきました。2010年4月に検察審査会が陸山会事件で小沢一郎氏について起訴相当決議がされ、かねてよりくすぶっていた小沢一郎氏を取り巻くカネの問題が鳩山政権叩きに利用されました。
  甘利大臣が先般、カネの問題で辞任しましたが、マスコミの安倍政権に対する風当たりとはまるで違います。
  このバッシングの違いがそのまま世論調査に反映してしまうようであり、甘利大臣の辞任によって、かえって安倍内閣の支持率が上がるという現象まで起きています。
  鳩山政権が倒れた後、菅直人内閣は財界からの要求を入れ、消費税増税を言い出し、ここに民主党の公約違反が堂々と表明されることになりました。
  菅直人氏は、財界の支持で延命を図ろうとしたのですが、もともと民主党支持層は消費税増税に反対だからこそ、民主党政権を誕生させたのですから、民主党を支持した層が離反していくことは必然でした。
  民主党が危機的に陥ったとき、前原誠司氏らが小沢一郎氏を切れと主張したことは、ご本人が反鳩山だったこともありますが、民主党の延命だったわけです。
  最近、この前原氏と小沢氏が選挙協力のために会談したということが話題になっていましたが、感情論を抜きにすれば目的は一致していたということです。
  しかし、この一連の流れで戦慄を覚えるのは、「ルーピー鳩山」という言葉が垂れ流され、民主党を瓦解させたのがあたかも鳩山由紀夫氏であったかのように言われるようになったことです。この言葉に表わされているように、イメージだけで語られていることです。
  未だに民主党支持層、反安倍を主張する人たちの中に「鳩山はね~」という声が少なくないことに驚かされます。
  マスコミによる世論誘導なんていかにもたやすいことを実証してくれています。世論は風みたいに言われますが、心底、危ういと思います。
  マスコミによるバッシングにいとも簡単に乗せられてしまう世論の怖さをまざまざと見せつけてくれました。
  私たちの教訓です。
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160212 一年前:4 044 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」(集英社文庫:2002) 感想7(特々5)

2016年02月12日 22時30分01秒 | 一年前
4 044 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」(集英社文庫:2002) 感想7(特々5)

2月13日(木):531ページ  所要時間 12;30  アマゾン594円(337+257) 著者52歳(1950~2006;56歳)。ロシア語通訳・翻訳家。作家・エッセイ...

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160212 一年前:140211 1360PV。m(_ _)m。:室井佑月さん「テロの恐怖を言えない世の中」に疑問

2016年02月12日 22時28分06秒 | 一年前
140211 1360PV。m(_ _)m。わけがわかりません。:室井佑月さん「テロの恐怖を言えない世の中」に疑問

2月11日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1222日。 アクセス:閲覧 1360 PV/訪問者 112 IP トータル:閲覧 335,694PV/訪問者 1...

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160210 一年前:150211辺野古から目を逸らすな!安倍の武力による沖縄制圧は「県民を無視した見せしめ」

2016年02月11日 00時09分57秒 | 時々刻々 考える資料
2月10日(水):
150211 辺野古から目を逸らすな!:安倍の“武力による沖縄制圧”は「県民を無視した見せしめ」植民地支配
2月11日(水): 抗議する市民のカヌーを規制する海上保安庁のゴムボート。逆らう市民はカメラで撮影するが、自分たちは顔がわからないようにマフラーにサングラス姿だ 安倍晋三は、...
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160209 一年前:150208 新聞を見なくなってきた。低能の安倍晋三は中身空っぽ!背後の財閥・大企業

2016年02月10日 01時05分00秒 | 一年前
2月9日(火):
150208 新聞を見なくなってきた。低能の安倍晋三は中身空っぽ!背後の財閥・大企業に注目すべきだ!
2月8日(日): 気が付けば最近、購読紙の朝日新聞をほとんど読まなくなっている。もちろん、一面とテレビ欄、それに外注の論説は読むが、肝心の朝日新聞記者が書く独自の記事は読まない...
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160209 一年前:150208 安倍の実体:首相外遊で対外支援6.5兆円 今年度消費増税分を帳消し

2016年02月10日 01時03分01秒 | 一年前
2月9日(火):
150208 安倍の実体:首相外遊で対外支援6.5兆円 今年度消費増税分を帳消し(ニュースサイト ハンター)
2月8日(日):謝罪はナシか 斉藤美奈子 東京新聞 2月4日本音のコラム消費増税の必要を叫ぶ一方で、これが安倍の実体だ。「首相外遊で対外支援6.5兆円 今年度消費増税...
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5 050 鈴木嘉一「大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ」(中央公論新社:2011)感想4

2016年02月07日 01時53分56秒 | 一日一冊読書開始
2月6日(土):  

342ページ   所要時間3:25    図書館(定価2200円)

著者59歳(1952生まれ)。元読売新聞記者。

【目次】大河ドラマはこう作られる/大型時代劇の誕生/歴史ドラマ路線の確立/安定期に入る/新機軸への挑戦/「近代大河」路線の三部作/時代劇への回帰/外注化の波紋/再び、本流へ/女性と若者に向けて/大河ドラマの経済学/大河ドラマの現在

それほど読む気があったわけではないが、借りた本だし思い入れ無く読み飛ばせるかも、と思って読み始めた。思いの外、順調に強弱をつけて最後まで読み飛ばせた。一番の理由は、俺が大河ドラマの多くをしっかり観てきたこと。さらに、最近顕著だが、観なかった堕落大河について、駄作に対する憎悪も含めてしっかり意識化してきたことだろう。

本書は読者を選ぶ本だと思う。大河ドラマを観てこなかった人、歴史知識の乏しい人には、本書の内容は単なる1963年以降の大河ドラマというジャンルをめぐるNHKと世相の動きに対する何の魅力もない羅列にしか見えないだろう。一方、俺のような人間にとっては、NHKの経営陣の動きなんて何の関心もないが、そういうところは飛ばしてしまい、個々の大河作品の内容やエピソードに集中して読めば、それなりに遠い昔も含めて当時を思い出すことができて楽しめた。

大河ドラマの歩みは、決して順調な一本道を進んできたのではなく、その時代時代に応じて時代劇のあり方を試行錯誤し、変化を求め、失敗と成功を繰り返してきたガタガタ道であった。

戦国、江戸中期、幕末という三本柱を繰り返しつつ、その枠を押し開こう、新しい未踏の時代・テーマに取り組もう、オリジナル脚本への挑戦という試みの連続であった。特に「黄金の日々」、「獅子の時代」、橋田壽賀子、「近代大河(山河燃ゆ、春の波涛)」(裏に「真田太平記」)、「太平記」、「琉球の風」「炎立つ」「花の乱」、「北条時宗」などが気になった。勿論、これらが俺にとってのベストではないが…。

作品がすべて残ってるのは、14番の「風と雲と虹と」が初めだが、次の15番「花神」は総集編のみが残る(もったいない!)。16番「黄金の日々」以降はすべて残っている。

※俺にとってのベスト大河は、1位「太平記」、2位「花神」、3位「翔ぶが如く」、4位「独眼竜政宗」、5位「獅子の時代」、6位「草燃える」、7位「黄金の日日」、8位「葵 徳川三代」、9位「八代将軍吉宗」10位「利家とまつ」
以下は、「篤姫」、裏大河「真田太平記」、「武田信玄」、「徳川家康」、「秀吉」、「天地人」、「軍師官兵衛」など

※観ていなくて、ぜひ見たいと思うのは、「山河燃ゆ」「春の波涛」

※憎悪を覚える駄作大河は、「元禄繚乱(主役に花がない!)」「武蔵」「龍馬伝」「江」「花燃ゆ」
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160206 一年前:4 041テンプル・グランディン「自閉症感覚 かくれた能力を引きだす方法」(NHK出版 5

2016年02月06日 21時04分45秒 | 時々刻々 考える資料
4 041 テンプル・グランディン「自閉症感覚 かくれた能力を引きだす方法」(NHK出版:2010) 感想5
2月5日(木):318ページ  所要時間 7:35   借用著者63歳(1947生まれ)。コロラド州立大学准教授。動物科学者。動物施設の状況を監査する会社を経営しながら、自...
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160205 東京新聞:【社説】首相9条発言 ご都合主義の改憲論だ

2016年02月06日 12時17分11秒 | 時々刻々 考える資料
2月6日(土)

今や日本の保守全般に言えることは、自分を棚に上げて相手の揚げ足を平気でとることができる(できるようにならなくてはいけない、と考えている)詭弁集団だということ。詭弁を吐く当事者も、それを批判せず利用しようと様子をうかがう周辺集団も皆、卑しい心性ということでは何ら変わらない。安倍晋三、麻生某、橋下某、前原・細野某、自民・民主・維新政治屋集団、曽野某、百田某、NHK島田某、朝日曽我某、すべてに共通するのは自分の品性下劣さや無知を棚に上げて他人や憲法をいくらでも非難できることだ。

東京新聞【社説】首相9条発言 ご都合主義の改憲論だ  2016年2月4日
  戦力不保持を規定した憲法九条二項の改正は、自民党結党以来の党是なのであろう。しかし、憲法学者の「自衛隊違憲論」を引き合いに出して改正の必要性を主張するのは、ご都合主義ではないか。
  衆院予算委員会はきのう、安倍晋三首相と全閣僚が出席して、基本的質疑が行われ、二〇一六年度予算案に関する実質審議が始まった。金銭授受問題が報じられた甘利明前経済再生担当相の閣僚辞任で、数日遅れのスタートだ。
  首相が、稲田朋美自民党政調会長との質疑で言及したのが、九条二項改正論である。
  九条は一項で戦争放棄、二項で戦力不保持を定めている。にもかかわらず自衛隊が存在しており、「現実に合わなくなっている九条二項をこのままにしておくことこそが立憲主義の空洞化だ」というのが稲田氏の指摘だ。
  これに対し、首相は「七割の憲法学者が、自衛隊に対し憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだという考え方もある」と、九条二項改正の必要性を訴えた。
  ちょっと待ってほしい。
  集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法をめぐり、多くの憲法学者らが憲法違反として反対の声を上げたにもかかわらず成立を強行したのは、当の安倍政権ではなかったのか。
  自衛隊は、日本が外国から急迫不正な侵害を受ける際、それを阻止するための必要最小限度の実力を保持する組織であり、戦力には該当しないというのが、自民党が長年、政権を担ってきた歴代内閣の見解である。
  自衛隊を違憲とする意見があるのは確かだが、国会での議論の積み重ねを通じて定着した政府見解には、それなりの重みがある。
  安倍政権が憲法学者の自衛隊違憲論を理由に九条二項の改正を主張するのなら、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定や安保関連法についても、憲法違反とする憲法学者の意見を受け入れて撤回、廃止すべきではないのか。
  都合のいいときには憲法学者の意見を利用し、悪いときには無視する。これをご都合主義と言わずして何と言う。それこそ国民が憲法で権力を律する立憲主義を蔑(ないがし)ろにする行為ではないか。
  憲法改正には国民の幅広い支持が必要だ。九条二項を改正しなければ国民の平穏な暮らしが脅かされるほどの緊急性が今あるのか。一九五五年の結党以来の党是だとはいえ、憲法改正自体が目的化していると危惧せざるを得ない
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160206 (座談会)寂聴×SEALDs 今や寂聴師の存在自体が有難い。合掌。

2016年02月06日 12時02分08秒 | その他
2月6日(土):

朝日デジタル(座談会)寂聴×SEALDs 2016年2月5日05時00分

対談後、スマホでパシャッと自撮り。左から中川さん、寂聴さん、溝井さん、谷さん=東京都中央区、関田航撮影

 こんにちは、瀬戸内寂聴です。あら、みなさん、かわいいのね。去年の国会前デモを見ていて、ぜひSEALDs(シールズ)(安保関連法に反対する学生団体)のみなさんとおしゃべりしたいと思って、お招きしたの。若いっていいわね。ケラケラ笑って、よく食べて。幸福は笑顔が好きなの。さぁさぁ、今日は、いろいろ聞かせてくださいね。
 ◇瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さん(93) 作家。天台宗の尼僧。06年、文化勲章受章。SEALDsメンバーとは、京都・嵯峨野に開く寺院「寂庵(じゃくあん)」での再会を楽しみにしている。
 ◇中川えりな(なかがわえりな)さん(19) 上智大学神学部1年。SEALDsではSNSを担当。雑誌のモデルとしても活動。映画や音楽などの表現活動に興味がある。
 ◇溝井萌子(みぞいもえこ)さん(20) 津田塾大学国際関係学科2年。デモの企画から仕切りまでを担当。甘いものが好きでケーキ屋さんでアルバイトをしている。
 ◇谷こころ(たにこころ)さん (20) 高校卒業後、スペインや米国などに遊学。春から劇団で演出の勉強をする予定。デモの企画を担当。趣味は映画鑑賞、ダンス。
    *
 寂聴 私が若い人たちを特に好きになったのは「3・11」の後です。被災地を慰問に回ったら若い人たちがびっくりするほどたくさん来て、黙々と働いていたんです。どうして来たのって聞くと、直接の被害を受けていない自分もある日、突然、日常が壊された。会社にも行けなくなった。原因を確かめたくて来たが、あんまりひどいので「手伝わずにいられなくなった」って。その姿を見て、話を聞いて、いっぺんに今の若い子たちが好きになってしまった。だから私はSEALDsがごひいきなの。あなたたちは、どうしてSEALDsで活動するようになったの?
 中川 勉強会で安保法制反対のビラをもらったんですが、座り込みとかデモに行くのって怖いなって迷ったんです。けど、ちょうどその日が19歳の誕生日で。誕生日に初めての座り込みに、ってインスタグラムやツイッターに写真を載せたらおもしろいかもって思ったんです。その時は若い人は全然いなかったんですが、あっちに若い人たちがいるよって、知らないおじさんが教えてくれました。
 谷 私は、知人が沖縄の辺野古のドキュメンタリー映画を撮っていたんです。それもあって辺野古に行ってみたら、特定秘密保護法に反対していた同い年の子に出会って、今度新しい団体を立ち上げるって聞きました。それがSEALDsでした。同年代の子が社会に対してどう声をあげるかに興味があったんです。
 溝井 祖父母の家が福島なので生活を捨てて逃げざるを得ない人たちのことを身近に感じていました。高校生の時に脱原発デモに1人で行ったんです。ただ制服姿で行くとすごい居心地が悪かった。大学に入ると、SEALDsの前身が特定秘密保護法に反対するデモをしていました。若い人たちが政治に声を上げている姿を初めて間近で見たんです。新しいデモのスタイルが衝撃的だった。こういう声の上げ方もあるんだなって。寂聴さんは私たちの活動を、どういう思いで見てらしたんですか。
 寂聴 みなさん、一生懸命にがんばりましたね。でもね(安倍晋三)首相に負けたでしょ。負けたと言うしかないわね。向こうの案が通っちゃったんだから。私も1人でデモに行きましたけど、本当は初めから負けると思ってたの。それでもやっぱり立ち上がらなきゃいけないのね。負けたけど、反対がこれだけあった、若い女の子ががんばった、私みたいなおばあちゃんまでデモに行った、ということは、歴史に残ります。夏の参院選が山だけど、勝つかどうか分からない。もし負けても、これだけ反対してがんばる人間が出てきたということで、向こうは肌寒い思いをしてるでしょう。完全な負けじゃないのよ。だから希望を持って。今はダメみたいだけども、自分の信念をやってみようと思ったほうが、人生が開けます。
    ■     ■
 溝井 学校で政治の話をしにくい空気があると思ってたんです。でも実際に話してみると、実は安保法制、気になってたんだ、という反応が返ってくることもある。政治について話しにくい空気を作ってたのって、実は自分自身だったんじゃないかと気づきました。
 谷 私は小中高と「シュタイナー教育」っていう欧州の教育思想をもとにした学校に通いました。政治のことも話しやすい環境だったので、クラスメートと、そういう話もしてました。私とは違う考えの子もいて、時にぶつかったけど、歩み寄ろうかな、みたいな時もあった。考えは違っても、お互いに何でも話せるのが楽しかった。
 寂聴 話せる、聞いてくれるというのがいいですね。それが人間が人間を信用する一番最初ね。お友達ができるもとだし、恋人ができるもとですよね。
 中川 1960年安保や70年安保のデモって、何か怖い感じがして。もしかして、男の人が多かったからかな。その点、女性は柔軟なところがあって、海外ではビビアン・ウエストウッドとか、世界的に有名な女性デザイナーが、ファッションショーで気候変動とか政治の問題をおしゃれに華やかに訴えている。私も渋谷で買い物してる女の子みたいな感じで、ヒールにミニスカートでデモに行きました。でも疲れたら帰っちゃう。不真面目でしょうか。
 寂聴 楽しければいいのよ。見てる人が、ああいうのいいな、自分も参加しようかな、と思うのがいいんです。
 谷 私はヒッピーな格好とか、その時の気分、遊び心ですね。今日はカラフルなデモにしよう、っていう時は、服装もカラフルにして行きます。
 溝井 夏のデモは、汗だくになるから、おしゃれのことは考えてなかったけど、今はスカートはいて行こうかな、メイクもばっちりしようかな、みたいな感じです。
 谷 寂聴さんの本を読んだら、生まれ変わっても女になりたい、と書かれていました。女性に生まれてよかった、と思うのは、どういうところですか。
 寂聴 思いがけず93年も女として生きてきて、こんなに生きると思わなかったけど、後悔はしてないの。生まれ変わっても、女に生まれて小説家になりたい。まだまだ書くことがありますから。来世では男をいっぱいたぶらかして、困らせてやるわ。私のころは、お嫁に行くときは、処女が第一条件だったんですよ。でも今は処女なんて死語に近いでしょ。そういうこと言うから不良ばあさんって言われるのね。女も、性も自由でいいんです。
 溝井 女性の自由とか自立、解放を考えると、貞操とか伝統、道徳には縛られるべきじゃない。私も寂聴さんと同じ考えです。
 寂聴 百年前、女性の自由のために「青鞜(せいとう)」という運動をした平塚らいてうが、恋愛の自由と言ってます。女性のあるべき理想を掲げて、全国から女性が集まって運動に参加しました。今、あなたたちは、彼女たちが望んだすべてを持っています。百年かかったわね。戦争に負けて、アメリカから女性の自由も参政権ももらった。でも百年前から運動をしてきた人たちの基礎があったから、受け取って活用できたんだと思います。
    ■     ■
 寂聴 3年ぐらい前かしら。若い人たちが何万人も参加するイベントに呼ばれて、何かしゃべらなきゃならなくなってね、「青春は恋と革命だ!」って言ったの。そしたら、うわーっ!って。去年の国会前デモで、「瀬戸内寂聴が『青春は――』って言ってた。俺たちも、それで行こう」って盛り上がったらしいのね。伝えてくれる人がいて、うれしかったわ。
 中川 恋と革命が、どう結びつくんですか。
 寂聴 私は大杉栄とか伊藤野枝とか管野スガとか、社会運動をして政治に殺された人たちの伝記を書きました。彼らは可哀想です。でも、不幸な人だとは思わない。百年経って、私が小説に書いて、あなたたちが読んでくれる。彼らの命は生きている。彼らは安穏と暮らすこともできたのに、革命をやらずにいられなかった。そういう人たちは、とっても情熱的で、恋愛もたくさんしています。恋も革命も若い情熱と命を注がなきゃ、できないことよね。
 溝井 女性解放運動をずっとやられてきた先人たち、戦争体験者の方。そういう積み重ね、先人の思いを、すごく感じた夏でした。
 寂聴 SEALDsも自由のための運動でしょ。幸せになるということは、人間が自由になることね。民主主義は、自由を獲得して生きることでしょ。そのための運動なのね。
 中川 民主主義って、自分たちが自由にのびのび生きるために払わなきゃいけない代償とか、そういうものじゃないと思う。責任とか義務とか、重たいものでもない。一人ひとりが主権者として政治に応答する能力だと思う。私、デモに行って、そのことに気づきました。
 寂聴 私は、もうすぐ死にます。年寄りは逆立ちしたって何もできないんですから、もう死んでもいいの。ただ、私が死ぬ前に声を大にして言っておきたいのは、未来は若い人たち、あなたたちのものですよ、ってこと。あなたたちは未来を作らなきゃいけない。だから戦ってください。恋と革命に殉じてください。
 一同 はい。
 寂聴 私が死んだらね、彼岸で迎えてくれる男たちがずらっと並んでるでしょうね。誰に最初に声をかけようかしら。今は、それが悩みね。あなたたちは今を精いっぱい、楽しみなさい。戦争で殺されないように。
 溝井 精いっぱい楽しみます。
 中川 楽しくやりたい。
 谷 デモも楽しみのひとつ!
 寂聴 そうよ。元気に楽しみなさい。 (構成=編集委員・秋山訓子、岡田匠)
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)