もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

0046 重松清「とんび」(角川書店;2008) 感想5

2013年03月22日 02時44分41秒 | 一日一冊読書開始
3月21日(木):

382ページ  所要時間7:50          図書館本

著者46歳(1962生まれ)。読んでいて、涙は出なかった。涙は、先日終わったTBSドラマで流し過ぎて、しぼり尽くした感じなのだ。今回の読書は、ドラマの内容と原作である本書の内容の比較・確認と、ドラマの内容を上まわる物語りの厚み付けである。

本書が面白くなかったのではない。昨日と今日の二日間7:50の読書時間は結構長かった。しかし、その間、一度として、読むのが嫌にならなかった。苦痛にならなかった。ごく自然な営みのように物語りに引き付けられた。本来、自然でない営為の読書を自然にできたこと自体が、著者の実力なのだ。

あまりに自在に溢れてくる巧みな文章、深い人間洞察、物語の展開を目の当たりにし、さらに著者が大変多作な作家であることを重ねて、何度も「重松清は、モーツアルトのようだ」という思いになった。また、「作品世界の敷居を下げた現代の山本周五郎だ」など、埒のないことを考えてしまった。

今回は図書館で借りた本だが、数年後ブックオフで105円で買ったら、ページを折って、線を引いてもう一度納得いくまで読み直したいと思う。

本書を読みながら、TBSドラマの脚本家森下佳子の力量にも感心した。原作では父ヤスさんの思いを中心に据えて物語りが進行するが、ドラマでは大人になった息子アキラの記憶を蘇らせるという手法も混ぜて父と子の双方向の物語りとして見事に再構築している。そして、原作の風景・心意気を見事に活かし切っている。

最後のアキラの台詞「とんびに見えるタカと、タカに見えるとんびかもしれないよ」という言葉は、原作にはないがドラマを見事に締め括る脚本家による主人公ヤスさんへの最大限の讃辞である。そう言えば、原作には、亡くなる海雲和尚からヤスさんへの手紙も、「この辺りではヤスさんのバカを甘く見る(それで失敗・読み間違いをする)、と言う」という言葉も、存在しない。原作の味わいを生かした脚本家の創作であり、造語である。蛇足でない、まことに必要不可欠な素晴らしい創作・造語である!

脚本家森下佳子には既に数年前、俺はその才能に打ちのめされている。東野圭吾「白夜行」(860ページ)にはまった時、TBSドラマDVD(全6巻)を繰り返し観て、舌を巻いたのだ。原作者の東野圭吾は、主人公の唐沢雪穂と桐原亮司の起こす事件の表面をを淡々と重ねることで、裏の二人の動きや心の有り様を読者に想像させる手法を取っていたのに対して、脚本家の森下佳子は、その明記されていない事件の裏での二人の接触・会話や葛藤などを作者が書いていない部分を中心に完璧に描き切り、見事なドラマに作り上げていたのだ。

謂わば、原作のポジではなく、その裏にあるネガを描き切ることによって原作を完全ドラマ化しているのだ。それは、原作の否定ではない。むしろ映像ドラマとして原作をもっとも活かすことである。「測り知れない才能だ!」と、その時本当に思った。他にも、「世界の中心で愛をさけぶ」「仁;パート1、パート2」の脚本家としても、俺はいずれも感心して舌を巻いている。

今後、森下佳子の脚本ドラマは、要チェックである。

※重松清「とんび」語録を作ったら結構素敵な箴言集が作れそうである。

※TBSドラマ「とんび」の成功の陰の殊勲は、美佐子さんを常盤貴子さんにしたことだと思う。


3月22日(金)

2.5hで、2度目の眺め読みをした。覚えておきたい言葉やシーンがたくさんあることを改めて確認した。手元に置いておいて、時間のある時、懐かしいお気に入りのページをパラパラと眺めるようにしたい、と思った。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。