もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

0044 ヘレン・ケラー「わたしの生涯 (岩橋武夫訳)」(新潮文庫;1903、1929)感想5+

2013年03月17日 20時40分54秒 | 一日一冊読書開始
3月17日(日):

464ページ  所要時間2:45      蔵書

ヘレン・ケラー(1880~1968;86歳)の『The Story of My Life』(23歳;1903;本書では「暁を見る」)、『Midstream』(49歳;1929;本書では「濁流を乗りきって」「闇に光を」)の1937年の初来日(57歳)直前の翻訳。盲・聾・唖で、障害者福祉活動に活躍した「奇跡の人」。(※すみません。訂正です。「奇跡の人」とはサリバン先生を指す言葉らしいです。)

1973年11版発行の文庫本。分厚さと細かい字に圧倒されて、ずっと昔から手が出ず、本棚の肥やしになっていた本だ。午後、偶然気まぐれで手にした。劣化が進んで、ページの周囲が1cm以上茶色く変色している。まともに読めば、6時間以上かかる。とてもじゃないが気力も必然性も感じられない。

でも、ずっと心の隅にあった人生の宿題でもある。「まともに読まなくてもいいじゃないか。どんなことが書かれているのか、概略を少し感じられるだけでも十分だ。もしこのまま本棚に戻せば、縁が切れて一生読むことはないだろう。それなら、1ページ15秒、1時間200ページ以上、のペースで眺め読みをするだけでもいいじゃないか」って気分になった。

即、実行!したのが良かった。所謂「奇跡の人」が書いた本書は、ただ単に書かれただけでも「奇跡の書」のはずだが、「奇跡以上の書」だった。流し読みをしただけなので、細かい記述は読みとれないが、それでもヘレンの文章のもつ生気、格調、美しさ、精神の充実、気高さ、瑞々しさ、柔軟さが十二分に伝わってくる。翻訳としても文章の読み易さから言って抜群の名訳である。戦前の1937年の訳とはとても思えない。

ヘレンが生きた盲聾の人生を描くということが、実は「盲聾の女性が、充実した<奇跡の人>となることができる背景には、本当に多くのさまざまな人々との出会いと支援なくしては有り得ない」ということがすぐにわかる。この本の中には、膨大な人々との出会いが出てくる。また、聖書をはじめ、実に膨大な量の文学作品や詩、作家や文豪、思想家の名が出てくる。多くの人々や文学・思想との出会いこそが、ヘレンの人生だった。吃驚したのは、レーニンの名前すら出てきたのだ。

そして、それを可能にしたのが、神が彼女に与えたもう守護神で、ヘレンに陰のように寄り添い続けたサリバン先生との出会いだった。ラドクリフ・カレッジ(現ハーバード大学)を卒業した後も、ヘレンの活動には常にサリバン先生がいるし、ヘレン自身、この著書の一番最後にサリバン先生への感謝を記している

ヘレンの人生を語る本書を読むことは、南北戦争の余韻残る19世紀末から、第1次・第2次大戦を含む20世紀前半のアメリカの様子を、一人の盲聾の女性活動家の目(?)を通して、生き生きと描き出されることにもなるのだ。世界史で名前しか知らない有名人たちが、ヘレン・ケラー自身の息遣いとともに生き生きと描き出されている。この部分の面白さに気付くと、本書の面白みは倍増するのだ

例えば、マークトゥェインやグラハム=ベルらが、ヘレンに対して大変深く関心を寄せる大切な存在として登場する。富豪カーネギーも支援者として登場する。新聞に潰されたヘレンと若者との短命な恋。ヘレンの人生がハリウッドで映画化された時の様子。エリザベス・ノーディンというスウェーデンの偽善的教育者が、ヘレンとの出会いを利用して、いい加減な神話を言いふらしたことで大変な迷惑を受けたこと。40歳から4年間寄席芸人になった話。チャップリンや、エジソン、ヘンリー・フォードらとの出会い。

特に、発達障害とも言われるエジソンの「聾者は高い城壁を周囲にめぐらしているようなものだから、何者にも邪魔せられることなく、自分だけの世界に住むことができてつごうがよい」という偏屈な発言に対するヘレンの対応ぶり、とまどい?も面白かった。

ヘレンが1904年ハーバード大学を卒業した翌1905年にサリバン先生はジョン・メイシー氏と結婚。その後、書中でメイシー夫人として登場する。アン・メイシー・サリバン先生。指話文字。

「私たちは甘やかされたいとは思いません。甘やかされるということは、盲人にとっていちばん不必要なことであります。盲人が造ったのだからといって、役に立ちもしない、つまらない物を買うということは、少しも善いことでないばかりではなく、結局においてはかえって盲人のためにならないことであります。しかし、長い間、多くの人々はそうしてきました。云々。」351ページ

翻訳者岩橋武夫は1935(昭和10)年世界13番目の盲人福祉施設ライトハウスを大阪に建設した活動家。ヘレン・ケラーは戦前・戦後3回来日した親日家で、戦後焼け野原の大阪にいた岩橋の行方をマッカーサーを通じて見つけ出し手紙を書いたそうだ。

※読むのが2:45だったのに、この文章を書き出してもう2:30を超えた。それでも、まだまだ書き足りない。文章も整えねばならないが、何よりも伝えたいことが多過ぎる。

※結局、結論としては「是非読んでみて下さい! 損はさせません!」ってことに尽きるのだろう。ちなみに映画「奇跡の人」で有名な「ウォーター(ワラーか?:水)」を連呼するシーンは、一番初めの30~31ページに書いてあるエピソードに過ぎません。とにかく、ヘレン・ケラーはすごくスケールの大きな人です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 0043 池上彰「池上彰の大衝... | トップ | 0045 和田秀樹「人は「感情... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

一日一冊読書開始」カテゴリの最新記事