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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

152冊目 生田武志「ルポ最底辺―不安定就労と野宿」(ちくま新書;2007) 評価5

2012年02月14日 05時20分02秒 | 一日一冊読書開始
2月13日(月):

254ページ  所要時間4:10

著者43歳。同志社大学生の頃から大阪釜ケ崎ドヤ街にボランティアとして出入りし、そのまま自らも日雇い労働者として住みついてしまう。1995年(31歳)道頓堀川で63歳の野宿者が24歳の若者たちに襲われ溺死させられる事件を機に、再び釜ケ崎の支援運動に戻り、働きつつ、野宿者ネットワーク、釜ケ崎・反失業連絡会などのNPO活動に参加。野宿者を訪ねてまわる夜回りや学校での「野宿者問題の授業」を続けている。

「この本では主に野宿者に関わる様々な問題を扱っているが、そこには支援者・当事者の間で論争が絶えないものがかなり多い。ここでの意見は、あくまでもぼく一個人のものであることをあらためてお断りしておく。」と著者自身が述べているように、俺もこの本の内容すべてを信じて納得できたという自信は無い。

しかし、釜ケ崎で生き、NPO活動ををしている著者の目線は、野宿者たちとほぼ同じ高さで、時に一体化して、共感し、怒り、途方に暮れて困っている。著者は学者ではないが、統計・資料などにも強く、なによりも実際に不安定就労で生きてきた者にしか分からない臨場感を与えてくれる。まさに現場の人間による優れたルポルタージュになっている

眺め読みするのが、精一杯だったが、それでも「これが日本なのか?!」と思わされる、悲惨な現実がたくさん出てきた。下へ堕ちていく人間を喰い物にする人間がはびこり、おとなしい野宿者を蔑み忌避する残酷な一般人と冷たい行政。野宿者を監視と取り締まりの対象としか見ない警察。野宿者を価値のない存在として襲撃し命すら奪う凶悪な若者たち。

アルミ缶・段ボール拾いで30km歩いて日収1000円でも生活保護を拒否する野宿者の存在。自立生活者としての意志の発見。一方で、生活保護ピンハネビジネス。

目次:
はじめに 北海道・九州・東京、その野宿の現場:北海道―零下10度の野宿/北九州―家族5人の野宿/東京―「ネットカフェ難民」/フリーターが野宿になる時代
第1章 不安定就労の極限―80~90年代の釜ケ崎と野宿者:釜ケ崎の衝撃/「路上死数百人」の街/経済成長を陰で支えた釜ケ崎/あらゆる矛盾が露呈する「日本の縮図」/「世界最悪の感染地」/自由と混沌の街/80年代の野宿/街中に設置された監視カメラ/ヤミの「金融屋」「覚醒剤売買」/日雇労働とはどのようなものなのか/景気の安全弁/プロフェッショナルの日雇労働者/ドヤ街の生活/日雇労働者としての生活/多種多様な現場と労働者/賃金のピンハネ、労働争議/日雇労働の「危ない」話/原子力発電所、アスベスト除去の作業/バブル期の釜ケ崎/釜ケ崎にやってきた外国人労働者/90年釜ケ崎暴動/暴動の拡大と収束/バブル経済の崩壊と野宿者の激増/日雇労働者の「切り捨て」
第2章 野宿者はどのように生活しているのか:82歳の野宿者/女性と若者の野宿の増加/90年代後半の変化/「究極の貧困」としての野宿/アルミ缶を拾って命をつなぐ/究極のワーキングプア/野宿者の寝場所はどこなのか?/野宿者の「住所」はどこなのか?/野宿者の健康状態/大都市の中の「第三世界」/医療からの疎外/「野宿者は金になる」/貧困を再生するビジネス/なぜ生活保護を受けられないのか/サラ金と福祉事務所のタッグ
 ※「野宿者一人が生活保護で入院すると、費用として1年間に約700万円が病院から行政に請求される。略。この種の病院は、精神科を別にして、大阪市と周辺に30から40ある。入院後も2,3カ月ごとに転院させられる。理由としては、入院が長引くほど個々の患者の入院基本料が下がる、入院患者全体の平均在院日数が短いほど高い単価の点数がとれる―という診療報酬上の二重の追い立てシステムのせいだが、転院のたびに、一から検査が行なわれ、医療費はかえって、かさむ。略。行路病院の事務長たちは診療報酬を高く保つ目的で連絡をとりあって患者をぐるぐると転院させ続ける。そして、転院するとそのたびに胃カメラや肝エコーといった検査をやり直す。なかには1年3カ月で9回転院し、1人で950万円の医療費が使われた人もいる。」※悪徳病院の存在は、信じられないが、心から怒りを覚える!。絶対に許せない。暴力団やサラ金と一緒ではないか!
第3章 野宿者襲撃と「ホームレスビジネス」:若者による野宿者襲撃/襲撃は夏休みに集中する/無視される襲撃事件/いじめの論理、野宿者襲撃の論理/野宿者はどのように金儲けに使われているのか
第4章 野宿者の社会的排除と行政の対応:野宿者は地域住民からどのように排除されているのか/市民の排他性/野宿者は行政からどのように排除されているのか/行政の「マッチポンプ」/自立支援センターの限界/日本の野宿者対策はどのような状態なのか/野宿者の多くは「仕事」を望んでいる/思い切った就労対策が必要だ
第5章 女性と若者が野宿者になる日―変容する野宿者問題:女性はなぜ野宿者になるのか/知的障害のあるこどもと母親の野宿/フリーターから野宿へ/日雇い派遣労働に行く/新たな「簡易宿泊所」=ネットカフェ/400万フリーターはどこへ?
第6章 野宿者問題の未来へ:世界のホームレス問題/世界的に拡大する野宿者問題/野宿者問題の構造的背景を考える/いす取りゲーム/「市場・国家・家族」の三極構造/「市場・国家・家族」の失敗/「カフカの階段」/社会的起業・ワークシェアリング・ふたつの構造的貧困/「阪神・淡路大震災」という参照軸/「野宿者の生の尊厳」/ふたつの「究極の貧困」の解決へ
おわりに 

※社会や行政を批判する視点は大切だが、著者をはじめこの手の批判者は、自分自身が生活保護の費用を面倒をみるわけではないし、その経済力もない。俺も困っている野宿者を援けることになんの異論もない。しかし、読みながら「俺の生活も決して豊かではない。俺にとって税金と社会保険料はものすごく苦しい中で国家に搾り取られ続けているものである。それを安易に生活保護を社会問題の一番の解決策とされるのもなあ…。つらいよなあ…。」という一点だけで、一般庶民が支える税金と社会保険料の問題に無頓着に思える著者の言説(本当は無頓着ではなく、それしかないからなのだろうが…)に心苦しいが、やっぱりアンビバレンツな違和感は残る。応援・支持はするが、100%手放しにはなれないのも本音だ。

もう寝ます。

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151冊目 沖守弘「マザー・テレサ あふれる愛」(講談社文庫;1984)評価5

2012年02月13日 06時14分58秒 | 一日一冊読書開始
2月12日(日):

255ページ  所要時間4:05  

著者55歳、フォト・ジャーナリスト。マザー・テレサの活動や言葉を追った本書は、マザーや修道会のシスターたちのカルカッタでの自然な活動風景の写真をたくさん掲載している。本文中の言葉を引用すれば『現代の<目で見る聖書>』と言える。読んでいて、何度も涙が出そうになった。

マザー・テレサたちの修道会<神の愛の宣教者たち;ミッショナリイズ・オブ・チャリティ>の「貧しい人こそキリスト」と言い切る信念とそのラジカルな活動は、キリスト教の最も<解り難いコアな部分の本質>のある面を間違いなく表示しているどんな理屈や言葉よりも、目の前の貧しい人々の悲惨に手を差し伸べ、背後の孤独や疎外感の悲哀から目をそらさない。そして、神の意志に従いやるべきことを断行する。何人もそれを妨げたり批判はできないだろう。マザー・テレサのまわりにはいつもユーモアと笑いが絶えない。極限の悲惨とユーモアの取り合わせは、ホスピスには欠かせない。2008年で第39刷り発行はすごい。今後も長く読み継がれていって欲しい。

マザー・テレサ(アグネス・ゴンジャ・ボワジュ)1910~1997;現在のマケドニア共和国首都スコピエ生まれ。1979年ノーベル平和賞受賞。

カバー紹介文「貧しい人にふれる時、わたしたちは、実際にキリストのお身体にふれているのです」。カルカッタのスラムの、貧しい人のなかのさらにもっとも貧しい人のためにつかえると誓願して三十六年―。ノーベル平和賞に輝く二十世紀の聖女の素顔と活動を、密着取材による写真と文とで、あますところなく伝える。」

◎「死に瀕している人びとのためには<死を待つ人の家;>を、親に見捨てられた乳児や幼児のためには<孤児の家;シシュ・ババン>を、ハンセン氏病の人には彼らも働くことのできる<平和の村;サンチナガール>を、そしてスラムの飢えた人びとには毎日の食べ物を、世界中からマザー・テレサの修道会に贈られてくるお金、医薬品、食糧などが、そのために惜しみなくつかわれる。」
◎「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人に対する愛が足りないことだ。」
◎<孤児の家>で育てられたミトラの述懐、「就職の願書に両親の名前を記入する欄があって、それをみたとき、私はとてもつらかった。自分には両親がいないんだと思ったら涙が出て来て……。すると、マザーが黙って、その欄にマザー・テレサと記入してくれたの。忘れられないことです。私、いまは子どもから手が離れたので、マザーも仕事のお手伝いをしています。」
◎「マザーの計画は、さらに広がる。/大企業が他に移転した跡地を提供してもらうと、そこを<プレムダン(愛の贈り物)>と名づけて、成人の精神病棟やスラム・スクール、脳性小児麻痺の子どもたちのための施設をつくる。ロバート・ケネディの寄付で、女性の精神病棟<ケネディ・センター>も完成した。カルカッタ市内では、毎日、約千世帯(6000~7000人)分の給食活動も始まっている。略。その施設は、略、世界各国百八十二ヵ所におよんでいる。」
◎「「とにかく貧しい人をみたら、その人たちのために仕える手と愛する心、それに聞く耳を持つことですよ。略。貧しい人たちはね、略、なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。実際は何もいわないし、声もでないけれどもね」だが、手をにぎりあい、肌をふれあうことによって、彼らの声は聞こえるのだ。その言葉を聞く耳を持ちなさい、」
◎1950年、修道会<神の愛の宣教者たち>認可。わずか12人のシスター。マザー40歳。
キリスト教は、奴隷のための宗教だから、物乞いはキリスト者のうるわしい活動。
◎岡山県倉敷の河野進牧師の詩「 【流れ】浅い流れは音が高い/わたしの/祈りよ/言葉よ/行いよ/音が高くないか/深い流れは音をたてない」「 【ぞうきん】こまった時に/思い出され/用がすめば/すぐ忘れられる/ぞうきんになりたい
◎<神の愛の宣教者たち>のシスターたちの私物は、貧しい人びとが着ているものとおなじ粗末な白い二枚のサリー、信心書、それに洗濯用のバケツのみ。
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祝? 30000PV突破 

2012年02月12日 04時51分30秒 | 閲覧数 記録
2月11日(土):

祝? 30000PV突破 ;昨年10月9日から126日:トータル 閲覧30126PV 訪問者 11431IP      

日々のノート駄文をご覧頂き、誠に感謝致しております。m(_ _)m


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150冊目 東野圭吾「幻夜」(集英社文庫;2004)  評価4

2012年02月12日 04時34分50秒 | 一日一冊読書開始
2月11日(土):

786ページ  所要時間6:10

1年半前に読んだ「白夜行」(860ページ)の続編。あの時にはTVドラマのDVD(全6巻)を何度も繰り返し観て、相当なマイ・ブーム状態だった。当時、この本も、古本屋を探し歩き勇んで買い込んだが、分厚さに圧倒されて読む見通しの全く立たないまま放置していた。

特に一日で読み切るとなると、相当な覚悟が要った。とりあえず、1ページ15秒(見開き2ページ30秒)の原則を順守して、もし途中で迷子になったら潔く撤退しようと覚悟して読み始めた。

主人公は、新海美冬と水原雅也。「白夜行」と作風が似ており、意外とストーリー展開に食い下がれた。細部を解りきれない辛さはあるが、一方で大きなストーリーの展開・構造が解かる快感もあるのだ。時には、物語りの先が予測出来たりしてなんとか半分を過ぎた。

途中で、「白夜行」の主人公の唐沢雪穂と桐原亮司の名前を自然に思い出し、速度はやや落ちたが、作品の構造・ベクトルが理解できて「白夜行」との相乗効果を味わうことができるようになると、読み進む意欲も高まり、一気に最期まで読破できた。これは、やはり作家の力量というものだろう。今は、この作品を読み通せたことが嬉しい。

この作品は、単独でも十分に面白いが、やはり「白夜行」を先に読んでおいた方が絶対に面白いと思う。

新海美冬(唐沢雪穂)は、確かに悪魔的に強調されているが、聡明な美人には、多かれ少なかれ男たちを翻弄する罪業深い側面があり、それに踊らされて人生を狂わされる男も、その狂わされた度合いは人それぞれだが、やっぱり現実に存在する。

そういう意味では、「白夜行」「幻夜」ともに誇張はあっても、全くありえない作り話という訳ではないだろう。あくまでも程度の差なのだ。忘れてならないのは、彼女らは必死で人生を切り拓こうともがいているが、世の中にはもっと罪深いことを、立場を利用して、罪の意識もなく何食わぬ顔でスルーしている真の悪党ども(?)が大勢生息しているということだ。…何言ってるのかな俺は?
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149冊目 野島博之「謎とき日本近現代史」(講談社現代新書;1998) 評価4

2012年02月11日 07時14分59秒 | 一日一冊読書開始
2月10日(金):

214ページ  所要時間4:45

著者39歳、駿台予備学校日本史科講師。奥さんは「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(2009)で小林秀夫賞をとった加藤陽子東大教授。日本近代史の学者さん夫婦である。「下世話でいけないなあ」と思いつつ、夫婦の日常会話に、井上準之助(金解禁)がどうの、石原莞爾(満州事変)がどうのという話が出てきたら、どんなことになるのだろう…。軍部大臣現役武官制(第二次山県→第一次山本→広田内閣)や天皇機関説をめぐって夫婦喧嘩とかしてたらすごいだろうなあ、ドキドキしてしまう…。………、m(_ _)m。まことに下品な想像をしてしまい、申し訳ありません。自分でも「俺ってほんま馬っ鹿じゃないのっ!」って反省しきりです。ほんとお許し下さいませ。 ※ただ、本書と、加藤先生のご本は、両方ともブックオフではなくて、きちんと身銭を切って高価な定価で買って読んでおります。

読み返すのは、3度目である。前々回、前回ともに1:00の流し読みで十分に頭に入らず評価3だった。今回は線を引き、ドッグイヤーをしながら、じっくりお勉強をしてしまった。前半と、後半でテーマ毎のまとめ方の巧拙があった。前半は、テーマの最後に、簡単なまとめがなくて読みにくかったが、後半はそこが改善されていて読みやすかった。内容は、高校の日本史(決して簡単ではない!)をさらに深く掘り下げた感じで、同時に学術書としても恥じない充実したレベルを保持している。歴史好きの若者には、日本史の醍醐味を十二分に堪能させ、歴史への憧れをかきたてる力があると思う。同じ日本史の講談社現代新書でも河合塾のイシカワ某の稚拙極まりない著作と比べれば、言うも愚か、全く次元の違うレベルである、と思う。

目次:
第一の問い 日本はなぜ植民地にならなかったか
第二の問い 武士はなぜみずからの特権を放棄したか
第三の問い 明治憲法下の内閣はなぜ短命だったか
第四の問い 戦前の政党はなぜ急成長し転落したか
第五の問い 日本はなぜワシントン体制をうけいれたか
第六の問い 井上財政はなぜ「失敗」したか
 「結果として井上財政が、社会の奥深くを突き動かす結果をもたらしてしまった点を無視するわけにはいかないでしょう。金解禁政策とアメリカ経済の転落との相互作用によって増幅された大恐慌は、近代の日本が積み重ねてきた、ある良質な精神的地殻とでも形容すべきものを、再生不可能なほどに変動させていきました。そしてそのなかから、ドロリとした非理性的な部分が大量に露出してしまったように感じられます。」
*この状況は、形を変えて、現在の日本でも進行している気がしてならない。
第七の問い 関東軍はなぜ暴走したか
 ・石原莞爾は、やはり見逃せない、興味深い。
第八の問い 天皇はなぜ戦犯にならなかったか
 ・マッカーサーの天皇に関する本国政府への電報は、大変興味深かった。天皇問題は、歴史のタブーであり、テーマとして取り上げた勇気は認めるが、もう一歩踏み込んで欲しかった。
第九の問い 高度経済成長はなぜ持続したか 
 ・ブレトン・ウッズ体制の記述は良かった。

もう寝ます。また、書けたら書きます。

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148冊目 池上彰「伝える力」(PHPビジネス新書;2007) 評価3

2012年02月10日 03時23分38秒 | 一日一冊読書開始
2月9日(木):

205ページ  所要時間2:25

著者57歳。評価3だが、俺はこの本に好印象を持っている。読者にとって実のある内容・情報が解り易く提供されていて、まったくストレスを感じないで速く読めたのだ。本書の中で著者が書いている「「簡単なことは簡単に」「難しいことも簡単に」/これは、何かを伝えるときの基本です。」が完全に実践されている。今回の評価は、「本書の内容をたまたま俺自身も、既に自分なりに模索して考えていたことと重なる部分が多くて、あまり新鮮さがなかった」というだけのことである。

若いビジネスパーソンたちには、非常に良い六韜・虎の巻になるだろう。従って、「池上彰にハズレ無し!」の評価は継続中である。けれども、池上さんちょっと一時のブームのカリスマに祭り上げられ過ぎですよ。もっと難しい分野での「簡単に!」の著述を充実させて欲しい、もっと報道のタブーに挑んで欲しい、というのが読者としての本音である。

※それにしても、3年後の2010年に66刷り発行というのはやや異常であり、「そこまで重用する本でもないですよ。」という声を上げたくなった。

※限界です。もう寝ます・
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原発の<地元>って何ですか?

2012年02月09日 06時29分27秒 | 日記
2月8日(水):

福井県の大飯原発再稼働について、「地元の声」と夜のニュースでやっていたが、原発の地元って何?何処のこと?。<地元の了解>を得ればって、どういうことですか???。原発の建っている周辺町村だけが<地元>なのか?バカバカしい!原発で事故が起これば、必ず琵琶湖に放射能・放射性物質が降り注ぐ。ならば、関西の広域すべてが<地元>だろう!。
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147冊目 武田邦彦「放射能列島日本でこれから起きること」(朝日新書;2011.11.) 評価4

2012年02月09日 06時14分38秒 | 一日一冊読書開始
2月8日(火):夜のニュースを見た。原発の「地元」って何・何処ですか?福井県の大飯原発再稼働について、「地元の声」とニュースでやっていたが、原発の地元って何?何処のこと?。原発の建っている周辺町村だけが<地元>なのか?バカバカしい!原発で事故が起これば、必ず琵琶湖に放射能・放射性物質は降り注ぐ。ならば、関西の広域すべてが<地元>だろう!

219ページ  所要時間4:15

表題の続き→「誰も気づかない環境被害の真実。」

著者68歳。福島原発事故の実態に関する解説と政府・マスコミ報道への逆説的批判だけかと思ったら、後半では環境問題の嘘を巡って日本社会の歪みを指弾する著者の従来からの主張を全面的に展開(繰り返しが多い…)し始めた。最後に100年後の日本の未来像として<ドーム型都市構想>を詳述し、歴史を30年×5=150年ごとに大きな変化がある、として幕末以後に当てはめる歴史観を紹介。都市構想も歴史観も、なかなかの切れ味だったが、「またいきなり何を…」と乱暴過ぎる気がした。科学者なのに、政治批判的発言が多いのは、著者の環境問題の主張実現のために必要なことなのだろう。皮肉逆説的批判を得意とする著者の論法については、善し悪しは一概に解らないが、阿らない独自の確固とした科学的世界観をもった学者だと思った。最後まで読むと、妙なしみじみ感も醸していて、「まあ、この人の言っていることが真実なんだ、と信じてもいいかなあ」と思ってしまった。

カバー紹介文:「20年間も続くウソの環境問題と原発事故による最悪の環境問題。負の関係性を鋭く抉った新・環境論。リサイクル・ダイオキシン・温暖化…… かつて論じられた環境問題は、どうして消えてしまったのか。正義を隠れ蓑にした利権の中、また同じ過ちを繰り返してはいけない。これからの日本人へ生きる指針を示す待望の書。」

目次:
第1章 原発事故が起こした誰も言わない後遺症:1人類は地震に耐える原発をつくったことがない/2「原子力発電所は安全だけれど危険だ」という論理/3原発には救命ボートがなかった/4「本当は原発の電気代は高かった」理由/5原発を取り囲む間違った環境
第2章 体内被曝は何を基準に判断したらいいのか:1いつからか1年1ミリシーベルトの基準が変わった/2水の基準と食品の基準がまったく違う現実/3あいまいな日本の放射線防護基準/4生産者を優先し食べる国民を犠牲にする政策
第3章 不安な日本の将来を変えるエネルギー問題:1地球温暖化を隠れ蓑にした原子力発電/2原発を中止したらエネルギーは不足するのか/3化石燃料資源のコペルニクス的転回/4石油の枯渇は幻想だった/5世界を見て冷静に問題に取り組む
第4章 “ウソの環境問題”20年間のツケ:1「環境に良い原子力発電所」という偽善/2軽蔑していた中国から軽蔑される愚/3偽善の政策が日本をダメにする/4公的発表を隠れ蓑にした危ない日本

「私たち日本人は競争力もなく競争相手もいない電気会社の意のまま

第5章 最悪の環境の今、取り戻したい日本人の心:1幻の環境問題の萌芽/歴史は何を教えてくれているのか/3ここ20年間の重大な問題/4日本はどういう未来を歩んでいくのか/5“環境問題”のない理想の社会へ

「原発を建てた町は衰退する」と言われます。原発を建てて交付金をもらえば、それをもとに町を発展させることができそうな気がしますが、略、「何もしないのにお金をもらう」という癖がつくと、人間は発展のチャンスを失うのです。」

あとがき:「そういえば、世界で「温帯の島国」というのはほぼ日本だけです。イギリスは亜寒帯で気候も悪く、略。温帯の気候は人間にとって住みやすく、さらに島国なので、気温は安定し、水も豊富です。まさに山紫水明、四季のある瑞穂の国です。」「1930年には軍事、1960年には高度成長、そして1990年にはウソの環境問題が社会の関心を呼びました。/2020年には再び、まともな日本になるように、誠実で善良ではない人たちを政治家としても官僚としても、そして東大教授(*御用学者)としても、ぜったいに認めない社会に持っていければと願っています。」



限界、もう寝ます。書き足せれば、頑張って書き足します。




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146冊目 加賀乙彦「不幸な国の幸福論」(集英社新書;2009) 評価5

2012年02月08日 06時48分58秒 | 一日一冊読書開始
2月7日(火):

238ページ  所要時間4:25 

著者80歳。精神科医。俺の中では名著『死刑囚の記録』(中公新書;1980)を著した文豪である。

読み始めて、戸惑った。心理学・哲学・宗教観などを期待したのだが、前半では現在の日本の社会・制度の行き詰まりを厳しく批判し、何やら「もっと自分でよく考えなさい」「世の中のおかしさに流されてはいけない」「他人の目を気にし過ぎてはいけない」など頻りに叱咤激励?し、日本の政治の無策を論うのだ。「あれ、こんな感じの人だったっけ…、もっと冷静で、明晰な作家さんだったはずだけど…」。勿論、社会を観る目は的確で間違いはない。

読み進む中で、疑問は氷解した。まず、高齢の著者にとって、この本が最新(最期?)作であり、無理はできない。そして、当初期待した哲学的内容は後半で、十二分に展開されている。要は、前半で思索の前提となる政治・経済(*)などの下部構造を徹底的に批判し、それを踏まえて後半で、上部構造として「今の日本でより良く生きる」道を徹底的に論じるという構成をとったのだ。
 *80年を生きた著者の目から見ても、現在の日本が抱える問題はそれほどに深刻だということ。
  ex.1998年以来、日本の年間自殺者は連続で3万人を超え続けている。「ちなみに、日露戦争の戦没者数は、約8万8千人。日本は60数年一度も戦争をしていない平和な国だと誇ってきたけれど、これでは3年に一度、日露戦争をやっているようなものでしょう」そして、変死者数の半分を自殺に含めれば、年間10万人を超えて、「自殺率世界一のリトアニアをも軽く抜き去ってしまいます。」と著者は指摘する。

読んでいると、あっさり感があって、軽い印象を受けるが、やはり文豪クラスの作家である!。それぞれの短い内容や言葉の端々に、切れ味鋭い意味を読みとることができる。覚えておきたい、チェックしておきたい一節や警句めいた言葉が無数に出てきた。しかし、図書館で借りた本なので、鉛筆で線を引けない。付箋をしながら読んだら、最後には本が針ねずみ状態になった。もう一度読み返したい言葉が無数にあり、書き出しておきたいとも思うのだが、時間が無い。

著者は、自らの老いの経験を踏まえて、60歳前後の読者を一番意識しているような気がする。この本の真価は、俺にとって単に読んで終わりではなく、むしろ今後年齢を重ねる中で、繰り返し何度も読み直すことによって、著者の言葉を体に沁み込ませることにこそある。まさにこれから生きるための杖のひとつとなる“知恵の書”を発見したと思う。

目次:
第1章 幸福を阻む考え方・生き方:(1)「考えない」習性が生み出す不幸  (2)他者を意識しすぎる不幸
「人間にとって、他社に認められることは大きな喜びです。しかし、だからと言って、自分の評価を他人だけにゆだねてしまってはいけない。自分を自分で評価できること、自分という人間がこれから変わっていく可能性を秘めていることを忘れてしまったとき、人は自らを不幸へと追いやることになるのです。」

第2章 「不幸増幅装置」ニッポンをつくったもの:(1)経済最優先で奪われた「安心」と「つながり」 (2)流され続けた日本人
「私には、今の子供たちが不幸を背負わされているように思えてなりません。コンクリートで覆われた国土で、ろくなセーフティネットもないまま、一千兆円を超える借金と膨大な数の老人を抱えて生きていかなければならないのですから。幼いころから画一的で歪んだ物差しで人としての価値をはかられるだけでなく、心のなかにその物差しを組み込まれ、他者や自分自身をはかるようにさせられてしまうのですから。」

第3章 幸福は「しなやか」な生に宿る:(1)不幸を幸福に変える心の技術 (2)幸せを追求する人生から、幸福を生み・担う生き方へ
「これがなければ幸福になれないという思い込みを捨てること。自分を不幸だと決めつけず、身のまわりにある小さな幸せに目を向けていくこと。「今、ここ」にとらわれず、場を広げ、人生というロングスパンで自分の置かれている状況を見ようとすること。挫折も幸福になるための要件だと考えること。今の混乱をチャンスと考え、これまで自分たちを縛っていた価値観を見直し、人にも環境にもやさしい生き方を模索していくこと……。/そう、スープル(しなやかで柔軟)な精神こそが幸福の源泉である。しなやかな生にこそ希望があるのです。」

第4章 幸せに生きるための「老い」と「死」:(1)人生八十五年時代の「豊かな老い」の過ごし方 (2)死を思うことは、よく生きること
「自分が輝いていた過去に執着するということは現在の自分を否定することでもあります。「昔、俺はこんなにすごかったんだ」と自慢するたびに、そのときは気持よくても、実は心の深いところで自尊心が傷ついているのです。そして、それを続けている限り、身一つの自分を輝かせようという方向へと気持ちを切り替えられない。」

あとがき:「今の日本を「不幸な国」と呼ぶわけは、憲法十三条にある<すべて国民は、個人として尊重される>ということが、ほとんど空文になっている現状があるからです。」
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145冊三浦展「仕事をしなければ、自分はみつからない。フリーター世代の生きる道」(晶文社;2005)評価3

2012年02月07日 04時19分38秒 | 一日一冊読書開始
2月6日(月):一日の閲覧449PV、訪問者148IPともに最高記録更新です。何が原因なのか…?、判りませんが、いずれにせよ、勿体無いことです。m(_ _)m

252ページ  所要時間2:35

不愉快な著者による不愉快な若者論、その分析が意外と当たっている不愉快な現実。著者の目線は高くて微妙にずれている。そして、観察・分析の果てに、ビジョンを語らずに終わってしまった不愉快さ。「行間を読めというのでもないし(そこまでの義理は無い!)、結局、著者は何が言いたかったんだ???。」という思いばかりが残された。

著者47歳。41歳で消費・都市・文化研究シンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」を設立。俺は、若者論に関心があったので、本のタイトル「仕事をしなければ、自分はみつからない。」に魅かれて手にとり、著者の名は以前から知っていたので安心して借りた。結局、タイトル以上の収穫は無かったのだが…

読み始めて、違和感があった。統計資料を駆使する姿勢はよくあるパターンだ。けれど予想した格調の高さよりも、何か下世話さが感じられる。統計資料も、はじめに結論ありきの印象がぬぐえない。フリーターの若者たちの<無気力さ>を強調しながら、大卒者の高校への再入学などのリカレント(還流)制度を多様化・工夫すればよい、などと思いつきのような提案をしてみたりする。「一番の問題は、<無気力>だったんじゃなかったっけ???」。あまり腑に落ちない。

また、やたらと自分が一橋大学を卒業したことで、これまで特別扱いを受けることができたことや、政府委員として「私のしごと館」設立に深く関わったことを自慢する。幼稚な出身大学自慢は論外として、「私のしごと館」が、その後2010年にわずか6年半で、無意味で壮大な赤字マシーンとして営業終了の憂き目にあったことを知っている俺としては「この人の世の中を見通す目の当てが外れた」のを知っているだけに、この本をこのまま読み進めることに不安が募った。目線が高くて、俯瞰的で、若者たちの問題ある行動の背景にある真の問題を共有するために実際に自らが降りて行って、ともに汗をかくというスタンスではない。あくまでも遠巻きに眉を顰めて眺め、統計の数字とにらめっこをしている感じなのだ。さすがは、一橋大学の学士様となると、政府には尻尾は振るが、下々の者たちと接触して連帯するようなはしたないことはできなかったのだろうか。(*ちょっと嫌みが過ぎたかな…、反省…。)

しかし一方で、無理やりな世代論で、彼が粘着する<真性団塊ジュニア世代>=1973年~80年生まれ(2005年時点で、25歳~32歳)に関する批判的観察は、よく行き届いているのだ。何よりも内容が、なかなか興味本位で面白いので特に詮索して上げ足をとる気にもならない。途中、挿入される長いインタビューも「ちょっと都合良過ぎる内容やろー」と突っ込みながらも、「でも確かにあるある、そんなもんやわなー」とそこそこ楽しめた。

あとは、「さあて、これをどうまとめてくれはりまんねん!?」と思って、ラストのロングインタビューを読み終わった時、この本も終わったのだった。「これで終わるの???、うーん…」。今さら眺め読みし直すほどの義理は感じない。キツネに鼻をつままれたような終わり方だった。「トンデモ本」では決してないが、頭の中を「ト」の字が行ったり来たりした。的外れかもしれないが、昔、猪瀬直樹の「ミカドの肖像」を読んだ時の壮大なカラ振り感を思い出してしまった。

いつも、読了後に、サントリーの角瓶と丹波ワインを摂取し始め、投稿文を書き始める。そして、吟味・推敲する段階で、一丁上がりで酔っ払ってしまい、言わでもがなの皮肉を織り混ぜてしまう。正直な本音が出てしまうと言えば、聞こえは好いのかもしれないが、ご不快を覚えさせてしまった方々には、やはり申し訳のないことでございます。おもさげながんす。おゆるしえってくなんせ。やっぱり酔っぱらってますね。ほんますんません。m(_ _)m
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アーカイブ 評価5を中心に

2012年02月06日 02時55分58秒 | 日記
2月5日(日):

 本日、山岳サークルで、近くの高い山(といっても900m前後)に登った。麓には全く雪が無いが、八合目辺以上からは完全に雪の世界で、4本アイゼンを装着して登った。信仰の山で道も整備され、天気は上々で気持のよい山登りになった。

 岡田斗司夫「いつまでもデブと思うなよ」(新潮文庫;2007)の影響を受けて、昨年9月の一日一冊読書と同時に始めたダイエットで、現在体重は20kgの軽量化を実現している。おかげで下山後も疲労は以前と比べて随分軽かった。

「これなら今日も一冊読めそうだな」と思って何度も読書を試みるのだが、その度毎に猛烈な睡魔に襲われて、ページを読めないどころか、机に突っ伏して30分ほど意識が跳んでしまうので、結局諦めた。なかなか「木口小平は死んでもラッパを放しませんでした」とはいかない。疲れよりも、連日の昼夜逆転生活の中で突然の早朝7:30の起床が決定的要因だったようである。

◎アーカイブ

魚住昭「野中広務 差別と権力」(講談社;2004)評価4 所要時間2:00 361ページ 2004年10月28日  
 テキスト?。噂よりも良い内容。もう少しだけゆっくり再度読むべし。野中さんには人間としての真摯な真実がある。

野中広務「野中広務 権力の興亡 90年代の証言(五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行)」(朝日新聞社;2008)評価5 所要時間6:00 326ページ 2008年9月初  
 ※今(2012年)の日本の政治に最も必要な政治家だと思う。老骨に鞭打って、今一度政界に復帰して欲しい方だ。

大石慎三郎「将軍と側用人―新書・江戸時代①―」(講談社現代新書;1995) 評価5 所要時間2:30 240ページ 2007年10月6日
 読んでしまった。綱吉・荻原・吉宗・意次を賞賛。特に田沼による近代国家への可能性は惜しい。定信(=元祖ポルポト)への憎悪。俺も定信は嫌いだ。

鹿野政直 「近代国家を構想した思想家たち」(岩波ジュニア新書;2005)評価5 所要時間2:00  181ページ 2007年11月22日
 市川房枝も石橋湛山も公職追放に遭っていた。中江兆民は被差別の人びとから推されて当選。面白い内容ばかり!。借りずに所有したい本。

鹿野政直「近代社会と格闘した思想家たち」(岩波ジュニア新書;2005) 評価5 所要時間3:00  196ページ 2007年11月23日
 俺が日本史に対して本当に求めているものを与えてくれる。著者と歴史に対する目的意識が重なる。より多くの人たちに読ませたい。

鹿野政直 「日本の現代 日本の歴史(9)」(岩波ジュニア新書;2000) 評価5 所要時間2:50  237ページ 2008年1月7日  
 テキスト。著者の歴史観が全面的に出ていて、通常の歴史書らしくない。マイノリティや名もない弱い立場の人々に深く関心を寄せている。この視点は魅力的!

高橋哲哉・斎藤貴男「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(日本評論社;2006) 評価5 所要時間3:10 216ページ 2007年12月23日
 テキスト。卒業式の君が代に憂鬱になった。現場で教師たちが分断・孤立させられている現実。管理職をはじめ、頭でっかちになった学校組織の時代に対する責任の自覚なき大衆的教員たちの姿に戦争を身近に感じる。

辛淑玉「悪あがきのすすめ」(岩波新書;2007) 評価5 所要時間3:00 208ページ 2007年12月31日
 テキスト。比較は良くないが、賢ぶって愚痴ってるだけの香山リカよりも実践に裏打ちされた鋭い眼差し、説得力と解決への現実的な道筋が示されている。
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144冊目 石川文洋「日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦―」(岩波新書;2004年) 評価3

2012年02月05日 03時32分03秒 | 一日一冊読書開始
2月4日(金) 立春:

226ページ  所要時間3:35

著者66歳、フリーの報道カメラマン。2003年7月15日北海道宗谷岬(気温12℃)スタート、12月10日沖縄県那覇市(気温22℃)ゴール。約5か月の旅。一日の歩行距離を30kmを基準に計画。「のんびりと風景を見ながら楽しい旅をして、略、悲壮感は少しもなく、旅館で毎晩旨い料理を食べて酒を飲み、自分だけこんな贅沢な旅をしていて良いのかなあ、と妻に申し訳ないと思っていた」。本人は随分満足な旅だったようだ。

日付と地名を見出しに、コースを追いかける読書は、いま一つ楽しくなかった。このような旅を将来自分もやってみたいから、その参考になればという思いで読んでいたのだ。しかし、所詮他人の気ままな体験をわざわざ聞くこと自体はあまり楽しいことではないのだ。これが外国の話であれば、まっさらな知識・情報に触れる新鮮味もあるのだろうが、日本国内ということであれば、たいていのことは知っていたり、聞いたことがある手垢に塗れた情報に過ぎないのだ。

著者は、共産党や社民党のシンパで革新の立場をとっている。それは、別にかまわない。俺だって、「憲法九条を護るためなら命を懸けてもいい!」と覚悟している。でも、「日米安保を否定しきれない」弱さも抱えているのだ。とにかく民主集中制を掲げ、自己の無謬性に固執し、数々の市民運動に対して共闘するどころか、支配・妨害してきた「共産党は大嫌いだ!」。でも、どんくさい社民党は、どうしようもなく好きなのだ。社民党の本質は、阪神タイガースかもしれないなあ…。

ただ、著者が今の日本の社会問題(犯罪者;いじめ、不登校他)を軽々しく口にしながら、まともな分析もできずに「昔は良かった」「自分たちの頃は夢があった」「昔のご近所の井戸端会議がよかった」程度のことしか言わないので、何度も鼻白んでしまったのだ。発言するのならば、ちゃんとしたこと言えよ!。結局無いものねだりかもしれないが、著者の思考は、陳腐で平面的、傾聴すべき深みがないのだ。

※ちょっと今日は、酔っ払うのが早いなあ…、俺は、「このブログで、不毛のイデオロギー合戦をする気は全くありません。」ただ、たまに黙っておれなくて自分のスタンスを口走ってしまったのです。ちなみに、今の民主党と自民党には、正直失望以外の何ものも感じられません。でも、橋本徹大阪市長の大阪維新の会には、ファシズムへの一里塚、民主主義の危機を感じるばかりで、すごく不安を覚えています。それにしても、野田首相という小物に「税と社会保障の一体改革」なんかできるわけはない!。また、やらせるべきではない!。まさに、<漂流日本>はどこに行くんでしょうね。 

※小生の酔っ払った言動に不快の念を抱いた皆様には深甚のお詫びを申し上げます。酔っ払いの戯言として、スルーして下さいませ。すんません。
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143冊目 池上彰「1テーマ5分でわかる世界のニュースの基礎知識」(小学館;2010) 評価5

2012年02月04日 06時11分18秒 | 一日一冊読書開始
2月3日(金)節分: 祝! 池上さん、東京工業大学教授就任!。

287ページ  所要時間4:50

一年ほど前に読んだ本の再読。週刊ポストの連載を再構成して、加筆・修正したもの。「池上彰にハズレ無し!」は今回も鉄板だった。

読んでいて、読者への行き届いた配慮と、丁寧な取材と博覧強記さに裏付けられた世界と日本の情勢に対する確かな判断力、阿らない記者魂に、「どうしたら、この人のようになれるのだろう」と空恐ろしく思える瞬間があった。

複雑で難解なことを、ぶれずに平明に解り易く書き伝えることでは、当代一の人だと思う。読みごたえがあったし、再読しても学ぶことはたくさんあった。何度でも読み返す価値あるテキストだと思う。

「田母神論文」を「あの戦争の教訓を蔑にする愚行」と一刀両断に切って捨ててくれたのは溜飲が下がった。特別なことではなく、当り前のことなのだが、池上さんが明確に批判してくれたことに大きな意味があるのだ。

興味深い内容は、全編にわたって、無数にあったが、逆に特定の内容を書き出しにくいので、とりあえず目次の詳細を紹介しておく。

目次:
[まえがき] ドバイから世界が見える
[第1章] テロ・紛争・衝突  なぜオバマでも「戦争」を止められないのか?
南アジア オバマ大統領 「アフガン増派」と「ノーベル平和賞」の板挟み
南アジア 米軍「アフガン戦争史上最大の作戦」でも勝利できない理由
南アジア タリバン勢力急進で危ぶまれるパキスタン「核の流出」
中東 “アルカイダの故郷”イエメンが「中東の火薬庫」になる日
中東 難問山積み! 米軍「イラク撤退」で再び治安悪化へ?
中東 ドバイで暗殺事件発生! ハマスVSイスラエル報復合戦へ
中央アジア キルギス「米軍基地閉鎖」の背後にロシアの影
中央アジア 「ロシア軍VSグルジア軍」緊迫の軍事境界線に潜入ルポ
中東 大統領選で激戦! イラン改革のカギは自由を求める女性
米ロ オバマ「核兵器大幅削減」で米ロ関係をリセットできるか?
東アジア 北朝鮮「ミサイル発射失敗」を追跡した米NORADとは?
☆北朝鮮のミサイルはなぜ日本の上空を通るのか?
東アジア 北朝鮮「核実験も偽装」? 核物質はなぜ見つからないのか
東アジア 米「台湾に武器売却」で知る「チャイワン=中台接近」への危機感
東アジア アメリカに新大統領が誕生すると米中間の緊張が高まる
東アジア ウイグル暴動報道に透けて見える中国政府の“操作”
南アジア スリランカ「内戦終結」後も難民問題・民族対立は終わらない
アフリカ 内戦続くソマリアの「海賊」問題と国連の限界
アフリカ スーダン南部現地ルポ「忘れ去られた戦争の傷跡」
米国 時期大統領候補? ペイリン女史のああ勘違い
[第2章] 注目事件&人物  海外の現実が「10倍よくわかる」ニュースの見方
中米 大地震だけじゃない! 最貧国ハイチを苦しめる悲劇の歴史
欧州 スパイ映画より奇想天外 「消えた貨物船」騒動はモサドの仕業
アフリカ 国連でお騒がせ! リビア・カダフィ大佐の野望
南米 ベネズエラ・チャベス大統領「2030年まで独裁」の傍若無人
米国・中米 オバマが命じたキューバ・グアンタナモ収容所閉鎖
米国 アメリカで“流行”する新型インフルエンザの特効薬とは?
中東 「ラマダン」に異変!? 新型インフル対策でメッカ巡礼禁止
東アジア グーグル「中国から撤退?」の裏に「サイバーポリス3万人」
[第3章] 経済・金融  欧米の混乱を尻目に存在感を増す中国
EU ギリシャほか南欧4か国「PIGS]の財政赤字がユーロを脅かす
米国 「1929年の大恐慌」の教訓に学ばなかった米国の愚
米国 バカ高報酬にNO.! オバマ流「金融規制」の要諦
米国 失業率10%なのに株や金が上昇! ドル安バブルが世界を襲う
☆米金融を牛耳る「FRB」ってどんな組織?
米国 伝説の投資家バフェット「鉄道会社買収」の勝算とは?
世界 中国&ロシアが模索する新国際通貨構想「SDR」って何?
中東 金満都市ドバイのバブルを支える外国人労働者と中国マネー
東アジア 「デノミで格差解消」に失敗した北朝鮮を追撃する米国
[第4章] 政権交代 問題続出!? 選挙は何をもたらしたのか?
日本 NYタイムズの「記者クラブ問題」報道を黙殺する日本メディア
米国 政権交代で総入れ替え! アメリカ式「回転ドア」人事とは
☆アメリカ大統領選挙の仕組み―投票日はなぜ火曜日なのか?
米国 オバマ大統領が提唱する「国民皆保険法案」は無保険者を救えるか
米国 ブッシュを描いたオリバー・ストーン映画のリアリティ
欧州 地方選で与野党逆転! イギリス議会「経費スキャンダル」の情けなさ
欧州 イタリア首相「スキャンダルまみれ」でも高支持率の理由
欧州 最有力のブレアが脱落! EU「初代大統領」選びの条件とは
東南アジア 「黄組」VS「赤組」―タイを分断する格差社会と国王不在
中東 大統領選で激震! イラン改革の鍵は自由を求める女性
[終章] 歴史的視点 「20世紀」を読み説けば世界がわかる
世界 “激動と変革の時代”を生き抜く道標は、この100年間にある
日本 首相がサハリンをロシア領と認定「北方領土」解決策はあるか?

※わずか2年弱の前に出された本なのに、当時の疑問の答えが出てしまっていたり、既にそれどころでなくなっていたりと内容的にやや古さを感じるのを禁じ得ない。今生きている現代の世界が、如何に猛スピードで変貌を遂げているのか、を強く感じさせられる読書でもあった。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
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142冊 立花隆「証言・臨死体験」(文春文庫;1986)  評価4

2012年02月03日 07時47分52秒 | 一日一冊読書開始
2月2日(木):

330ページ  所要時間4:40

17年ほど昔にNHKや民放の「臨死体験」特集番組をビデオに撮り、何度も観た。立花隆『臨死体験(上)・(下)』も苦労して読んだ。本書は、その続編と言ってよい。この歳(小さな秘密です)になると、若かりし昔以上に、メメント・モリの意識は、ますます深まっていく。当り前のことだが、残り少ない人生の<生>を充実させるために、終焉の<死>を掘り下げておきたいのだ

本書は、やや怪しい体験者の例も混じっている。しかし、その経験が重篤な例であればあるほど、臨死体験者の証言には、共通性の高い部分が明確に存在する。
*三途の川(或いは水辺) =生死の境目
*美しい花畑の存在
*向う岸で待つ人々(ex.手招きをする人々) 
*死後の魂の世界の存在への確信=「死ねば終わりなのではない」→信仰の有無に無関係。
*普通の夢とは全く違う現実感の記憶
*「あんな気持ちのよい経験なら、死も怖くない」という<死の恐怖からの解放>
…これは読者にとって福音である!

他に、光の存在。幽体離脱(目と魂のみ、肉体ともなわず)。空に昇っていく。未来予知。瞬間移動。死者の出た日に魂(光の玉)の目撃。所謂「霊視(死んだ人の魂が見える、感じる)」の存在。外見上昏睡でも臨死体験から戻った人の意識はかなりはっきりしているので耳は良く聞こえている。etc.

23人の証言者:安田 伸(俳優)/水上 勉(作家)/邦光史郎(作家)/志賀信夫(放送評論家)/前田忠明(TVレポーター)/佐野三治(ヨットマン)/向井承子(ノンフィクション作家)/北林谷栄(女優)/永倉万治(作家)/木内鶴彦(彗星探索家)/大仁田 厚(プロレスラー)/岡 ふさ江(ホームヘルパー)/大熊武志(郵便局局長)/佐藤正弥(大学教授)/奥津浩美(主婦)/山本江里子(ワープロ技術者)/石田雅祥(紀和交通大阪支店長)/中村のり子(『ふたたび愛をありがとう』著者)佐藤国男(機械設計技師)/古口樹美(演歌歌手)/宮内婦貴子(脚本家)/天野そう一(元検察事務官)/羽仁 進(映画監督)

※本書は、臨死体験の検証本であるが、一方で、まさに生死の境目を彷徨う重篤で・不幸な人々の人間模様になっている。「幸福な姿は皆似ているが、不幸はどれ一つとして同じものは無く、まさに個別にさまざまである!」普通では出会えない特殊な不幸な事例の集積でもある。その角度からも十分に社会に訴える強い存在感がある。やはり労作ということになるだろう。

夜半に一人で読む本ではない。途中で少し怖くなって何度も後悔したのも事実である。こんな時には、必ず子どものときに読んだ漫画『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』の恐怖感を思い出してしまうのだ。そう言えば、臨死体験に守護霊や背後霊、自爆霊などのおどろおどろしい話は全く出てこなかった。それでも、首のまわりのうすら寒さが気になった。

※昨日、中江兆民の「無心無霊魂」の唯物論的哲学を読んで「さすが幸徳秋水の師、兆民センセー!」と感慨を覚えたのに、翌日には「宗教」や所謂「昔話」に見られる<死後の世界>がまんざら作り話ではない。百歩譲って少なくとも、古来から臨死体験経験者による現実感をともなった経験知に裏付けられた、ある意味で始末に負えない<実在的存在>だったのだと思い知らされた。

※俺は、この<死後の世界>を迷信・偏見と切り捨てられるほどお偉い科学的人格ではない。 少なくとも、<死後の世界>の存在を信じることによって、何かの<効用>・<救済>があるのであれば、やはりそれは十分に意義ある存在と考えるべきだ!という程度の非科学的俗物人間なのである。面白いなー。別に、なんのイデオロギーもポリシーも無い“ノンポリ”人間でも、こうしてアンビバレンツに陥るのだ!。だからこそ人の世は、面白いのだ!!と、もみのオッサンは思うのだ。  

※注意:今、相当酔っ払ってます。暴論・駄弁、お許し下さい。でも正直に本音を吐いてます。ほんまスンマセン。


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141冊目 なだいなだ「TN君の伝記」(福音館日曜日文庫;1976) 評価5

2012年02月02日 07時31分04秒 | 一日一冊読書開始
2月1日(水):

381ページ  所要時間6:25

著者47歳、精神科医。TN君とは、明治の思想家中江兆民(1847~1901;享年54歳)。20年近い?昔に読んで感動したという印象だけが残っていた。その後、分厚さに気後れして手が出なかった。今回再読してみて、「こんなに面白かったんだ!」と驚くとともに、自身の加齢により、作品に対する理解が前より随分深まっている気がした。

とにかく中江兆民って人は、間違いなく<明治の骨太の巨人>であり、かつフランス語という傍流の悲哀も抱えつつ、前向きに突き抜けたステテコの似合う偉人だった。明治の政治・思想界、特に自由民権運動で指導的役割を果たし、大きな業績を残しておきながら、自らを学者と規定し、自らが権力を持つことには関心を持たず終始一貫恬淡としていた。

一方で、自分が育てた自由党を経済支援するために資金稼ぎに奔走するのだが、そちらの才能は無くて失敗を重ねる。最後の方では、どん底の貧困の中で痛々しさが、滑稽さを帯びて、思わず「とほほやなー、中江兆民、ほんま最高ー!」とつぶやいてしまった(*)。さらにその後にも日清戦争で保有する鉄道株が暴騰して、今(1976年時)の金で数十億円の儲けが出てるのに売ろうともせず、紙切れ同様の値に下がるまでもち続けたり、「ほんまかよー、どないなってんのん、兆民先生、超サイコー!!」となった。最後はガンで気管切開して声を失いながら、『一年有半』がベストセラー化し、日本人初の哲学書「無心無霊魂」という題をもった『続一年有半』を書き上げて掉尾を飾り、「さすがやなあ」と骨太の巨人らしい最期を遂げるのである。
 (*)弟子の幸徳秋水との会話で、自由党の政治資金捻出の金儲けのために「売春婦たちが、悲惨なめにあわぬような、理想の売春宿をつくってやるつもりなのだ」発言で、幸徳が「やれやれ…」とドン引きするシーンです。

さて、本書は、所謂「伝記文学」の白眉と言える。これほど興味深く奥行きのある偉人を掘り起こして活写した作品は、やはり稀有だろう。波乱万丈と人間味に満ちたさまざまな逸話に彩られた盛りだくさんの内容で、とてもそれらを取り上げる余裕はない。大久保利通、西園寺公望、板垣・大隈・後藤・植木枝盛・星亨・

ただ、中江兆民という人が、明治の自由民権運動の士族民権→西南戦争→豪農民権→貧農民権&激化事件→三大事件建白運動→大同団結運動→憲法公布→衆議院選挙擁立(大阪の被差別民の支持・選挙協力も受ける)→当選、自由党土佐派の賄賂受領で、法案が通って、<無血虫の陳列場>と吐いて、わずか3カ月で議員辞職。

書きたいエピソードが、無数にあるが、書きだす時間が無い。また書けたら書きます。

とりあえず、日本近代史に基礎知識がある人には、この本は、すごい本ということは、分かってもらえます。古い本だけど、内容は全く古くなっていないことを断言します。

それでは寝させてもらいます。逸話のいくつかは、後日必ず、ピックアップします。お休みなさいませ。

◎身分にとらわれない人材登用した吉田東洋に対する前向きな評価。

◎長崎で坂本竜馬から大きな影響を受けた。「TNのお兄さん煙草を買って来てくださらんか」。竜馬「いや、長州に勝たせたいんじゃない、負けさせたくないんじゃ。略。わしゃ、勝ったあとの長州と薩摩も、おそろしいんじゃ。略。いちばんこわいのは、連中いいことをしようとしとる。そこがこわい。略。負けないようにさせといて、勝たせないようにさせねばならんでのう。つなわたりしとるみたいじゃ。」

◎1870年23歳、大学南校でフランス語教える。1871年24歳、同郷の板垣・後藤ではなく、大久保利通に嘆願して、岩倉遣外使節に加わり、パリ・コンミューン鎮圧直後のフランスに2年間留学。西園寺公望と知り合う。西園寺は「自分は、日本のミラボーになる!」と語っていた。場末の居酒屋の庶民の口論のなかで学ぶ。そして、ルソー著『社会の契約』の古本を手にし、フランスの革命の精神の真髄を知る。

◎征韓論争(明治六年の政変;1873)後の混乱の中、1874年帰国。「TN君は、フランス語で飯を食う人間をつくりたくなかった。TN君のめざしたのは、フランス語で、まだ日本人の知らない自由と民権の意識をよびさますことだった。」1875年東京外国語学校の校長就任、教授たちや役人とけんかして、3か月でやめさせられる。

兆民が西園寺を民権運動推進のために「東洋自由新報」社長に引っ張り出した。



まだ、まとめ切れてません
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)