8月31日(金):
「日本で普通に暮らす多くの人たちがセクシュアリティーについて議論を深めてほしい。丁寧に、しかしスピード感をもって」
朝日デジタル:【インタビュー】「ここにいる」私たち 国文学研究資料館長、ロバート・キャンベルさん
2018年8月31日05時00分
テレビでもおなじみの日本文学研究者、ロバート・キャンベルさんが今月12日、自身が同性愛者であることをブログに綴(つづ)った。誰もが「ここにいるよ」と言える社会に――。ネット上には今、共感の声が響き合う。キャンベルさんが疑問を投げかけずにいられなかった日本社会の「空気」とは。
――ブログの文章は、性的少数者であるLGBTを念頭に「生産性」がない、とした杉田水脈(みお)衆院議員の雑誌寄稿への反論でした。
「僕自身は、自分のセクシュアリティーのために日本で不利益を受けた自覚はありません。ただそれは、僕が早くからすべての人に公言したわけではなく、周囲に伝えた時点ではすでに安定した社会的な立場にあって、失うものは多くなかったという現実があります。僕よりはるかに若い人たちはどうだろう。杉田氏のような思考は、性的指向を伝えられずにいる日本の若者たちを苦しめてきました。反論するには僕自身の立場や属性を伝えなければならないと思ったのです」
――大きな反響を呼びました。
「ブログの掲載直後は、主眼ではない『ゲイ公表』の方がメディアで強調され、嫌だなと感じました。でも僕のホームページやSNSを通して、性的少数者の人たちから、『勇気をもらった』『カミングアウトをやめようと思っていたけど考え直してみたい』という言葉が届いて、さらに障害者や女性であるがゆえに前に進まない状況にいる方々からも、たくさんのメッセージをもらった」
――予想外の反応でしたか。
「僕はカミングアウトについて斜に構えていたのかもしれません。今の日本で、僕の性的指向というリアリティーを伝えること自体に力があることを知りました。公表することで、自分に対するまなざしが変化し、細胞がシャッフルされるようなことが起きると想像する人もいるかもしれない。でもその後で、僕は少しも変わったようには見えないでしょう? 当事者もそうでない人もこのことを実感することが、社会を変える力になると思います」
「一方で、僕自身は関わりを持てる範囲が広がるんじゃないかなという予感はあるんです。以前は無意識に自分の中に、外からの衝撃を和らげる『生け垣』のようなものを作っていたかもしれない。その心の中の膜が1枚とれたような感じで、今後の出会いでは、色んな話をもう少し深くできそうだと感じます」
■ ■
――そもそも、自身の性的指向への気づきはどう訪れましたか。
「たぶん異性愛者と変わらなくて、12歳から15歳ぐらいの間に深まっていったような記憶はあります。母には面と向かって話してはいませんが、知っていました。僕の性的指向について一度もネガティブな顔をしたことはなく、見守ってくれました。家族の話を聞くと、母は僕の子どもを見たいという気持ちはあったようです。でも僕にはそれを言わなかった」
――1985年に来日して30年以上になりますが、特に周囲には言わなかったのですか。
「うそはつかないけれど言って回ることもしませんでした。当時は、先生や先輩たちに正面から言うことはやっぱりできなかった。偏見や押さえつけられたためというよりは、怜悧(れいり)な計算です。プラスとマイナスを考えていた気がします。このまま進めば想像もしなかった扉の向こうへ行けるかもしれない、でも言えば閉じてしまうかも。少しずつ伝えられるようになったのは30代半ば、なんとか研究者として歩めると思ってからです」
――ブログでは性的指向について、「生を貫く芯みたいなもの」と書きましたね。
「杉田氏の『嗜好(しこう)』、衆院議員の谷川とむ氏の『趣味みたいなもの』という言葉。いずれも脱着可能なアクセサリーのように表現するのを聞いて、じゃあ反論するならばどう言おうと考え、浮かんだ言葉です」
「性的指向は、感性や共感の仕方といった『資質』に関わるようなものだと思います。その人が他者とどのような交流をして、恵みや痛みを受け、思いやりを持ってきたかという堆積(たいせき)が資質となり、人格に行き渡るようなイメージを持っています。なので外形もそうであるように、この指向だからこういう人だ、と即断ができないわけです」
■ ■
――日本社会は、性的少数者に対して排除的でしょうか。
「いいえ、必ずしもそうではない。日本ではLGBTの人たちを積極的に排除はしない。ただその代わりに言挙げさせず、触れることもしない、目の前に現れないでほしいという空気があると思います。今までうまくやってきたので現状維持でいいじゃないかという人もいますが、僕は違います。様々な情報や知識が常に流れる時代なのに、日本では性的指向や性自認については『泥(なず)んでいる』、つまりそこだけ池の水が流れていないようです」
「自分がたどっているのと異なる轍(わだち)を見ようともしない人たちが多い。社会的なことに『自分事』として関心も持たない。そういう空気がいっそう日本で広がるのを僕はとても危惧しています」
――そうした危惧も、カミングアウトのきっかけですか。
「一つは米国の状況がありました。トランプ政権の誕生以降、政治的な支持を集めるために事実に背を向け、仮想敵を作って対立をあおることが行われている。そして、日本でも、国会議員が自身の経験をもとにLGBTについて根拠のないことを発信し、ネット空間に一部の人たちの『特権を認めるな』といった言葉が乱反射した。誤った情報でたきつけ、苦労を強いられている人たちが傷つく。そんな構図は米国と重なります」
「今回は特定の党の国会議員からの発信でしたが、LGBTの課題を保守か革新かという不毛な二項対立に吸収させるべきでないと僕は思います。東日本大震災の後、日本では原発や代替エネルギーの課題が党利党略に利用され、右か左かの非常に狭い議論に閉ざされた。日本はエネルギー政策で新しい技術や国際競争力にもっとつなげられたはずなのに、とても大事な機会を逸してしまいました。だからセクシュアリティーの問題は、超党派で議論してほしいのです」
■ ■
――そうした議論で分断状況をほぐすことは、口で言うほど簡単ではない気がします。
「僕はその点では少し楽観的です。日本は、米国のように宗教や政党によって分断が固まった現状とは違うと思うのです。僕が物心ついた1960年代は、米国では黒人差別解消を求める公民権運動がさかんな時代でした。国の成立の下に重い過ちがあった。その国で育った者として、解消できることは、社会が気づいた時に早く解消した方がいいと言いたい。日本では性的少数者が弾圧されてきた歴史はありませんが、フラットに受け入れてきた時期もない。現在もです。今が変えるタイミングではないでしょうか」
――どう変えるべきでしょう。
「少子高齢化に相次ぐ災害と、日本社会は課題が多く、今後間違いなく変質していきます。その足腰をしなやかにするためには、やはり誰もが豊かな選択肢を持ち、自分の可能性を実現できる社会にしなければいけない。僕が敬愛する戦後日本の同性愛者の著作家には社会からの抑圧や否定を文化的な力に変えてきた人もいますが、そうした人たちはごく一部です。当事者の中には、自分が社会に適合していないと思うと、どこか自分を引いてしまって社会との接点を希薄にしてしまう人たちが多くいます。こういう状況の人たちを見て見ぬふりをするのは、社会にとっても政治にとっても失点です」
――ブログで「ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしい」とも書きましたね。
「経済的に厳しい家庭に食べ物を支援する山梨のフードバンクを取材した際、近所に分からないように『フードバンク』という文字のない箱で食品を送る様子を見ました。日本では、つらくても、世間のまなざしやいじめ、家族のことを気にして声を上げられず、窮状が可視化されづらい現状があります。これは貧困だけでなく、性的少数者や障害者でも同じです」
「例えば、同性間でもパートナーが病気になった時に家族として支えることを認められ、婚姻が可能になって税制や法律上の立場で不利益を被らないようにするなど、一人ひとりが壁にぶつからずに充実して生きることができれば、社会で発揮できるポテンシャルは全く違ってくるでしょう。そうした個々人の望む自己実現ができることこそ、僕は『生産性』だと思います。ひょっとして、杉田氏は子どもを産むことにこの言葉を使っているのかもしれませんが、子どもを生産物とする捉え方自体に、僕はぞっとする。『生産性』という言葉を取り返したいのです」
(聞き手・藤田さつき、二階堂友紀)
*
1957年、米ニューヨーク生まれ。専門は江戸後期から明治時代の文学。東京大学名誉教授。昨年、日本人パートナーと米国で法的な婚姻関係を結んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/34/856f02a2028786b7d8f640e399a35dde_s.jpg)
朝日デジタル:【インタビュー】「ここにいる」私たち 国文学研究資料館長、ロバート・キャンベルさん
2018年8月31日05時00分
テレビでもおなじみの日本文学研究者、ロバート・キャンベルさんが今月12日、自身が同性愛者であることをブログに綴(つづ)った。誰もが「ここにいるよ」と言える社会に――。ネット上には今、共感の声が響き合う。キャンベルさんが疑問を投げかけずにいられなかった日本社会の「空気」とは。
――ブログの文章は、性的少数者であるLGBTを念頭に「生産性」がない、とした杉田水脈(みお)衆院議員の雑誌寄稿への反論でした。
「僕自身は、自分のセクシュアリティーのために日本で不利益を受けた自覚はありません。ただそれは、僕が早くからすべての人に公言したわけではなく、周囲に伝えた時点ではすでに安定した社会的な立場にあって、失うものは多くなかったという現実があります。僕よりはるかに若い人たちはどうだろう。杉田氏のような思考は、性的指向を伝えられずにいる日本の若者たちを苦しめてきました。反論するには僕自身の立場や属性を伝えなければならないと思ったのです」
――大きな反響を呼びました。
「ブログの掲載直後は、主眼ではない『ゲイ公表』の方がメディアで強調され、嫌だなと感じました。でも僕のホームページやSNSを通して、性的少数者の人たちから、『勇気をもらった』『カミングアウトをやめようと思っていたけど考え直してみたい』という言葉が届いて、さらに障害者や女性であるがゆえに前に進まない状況にいる方々からも、たくさんのメッセージをもらった」
――予想外の反応でしたか。
「僕はカミングアウトについて斜に構えていたのかもしれません。今の日本で、僕の性的指向というリアリティーを伝えること自体に力があることを知りました。公表することで、自分に対するまなざしが変化し、細胞がシャッフルされるようなことが起きると想像する人もいるかもしれない。でもその後で、僕は少しも変わったようには見えないでしょう? 当事者もそうでない人もこのことを実感することが、社会を変える力になると思います」
「一方で、僕自身は関わりを持てる範囲が広がるんじゃないかなという予感はあるんです。以前は無意識に自分の中に、外からの衝撃を和らげる『生け垣』のようなものを作っていたかもしれない。その心の中の膜が1枚とれたような感じで、今後の出会いでは、色んな話をもう少し深くできそうだと感じます」
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――そもそも、自身の性的指向への気づきはどう訪れましたか。
「たぶん異性愛者と変わらなくて、12歳から15歳ぐらいの間に深まっていったような記憶はあります。母には面と向かって話してはいませんが、知っていました。僕の性的指向について一度もネガティブな顔をしたことはなく、見守ってくれました。家族の話を聞くと、母は僕の子どもを見たいという気持ちはあったようです。でも僕にはそれを言わなかった」
――1985年に来日して30年以上になりますが、特に周囲には言わなかったのですか。
「うそはつかないけれど言って回ることもしませんでした。当時は、先生や先輩たちに正面から言うことはやっぱりできなかった。偏見や押さえつけられたためというよりは、怜悧(れいり)な計算です。プラスとマイナスを考えていた気がします。このまま進めば想像もしなかった扉の向こうへ行けるかもしれない、でも言えば閉じてしまうかも。少しずつ伝えられるようになったのは30代半ば、なんとか研究者として歩めると思ってからです」
――ブログでは性的指向について、「生を貫く芯みたいなもの」と書きましたね。
「杉田氏の『嗜好(しこう)』、衆院議員の谷川とむ氏の『趣味みたいなもの』という言葉。いずれも脱着可能なアクセサリーのように表現するのを聞いて、じゃあ反論するならばどう言おうと考え、浮かんだ言葉です」
「性的指向は、感性や共感の仕方といった『資質』に関わるようなものだと思います。その人が他者とどのような交流をして、恵みや痛みを受け、思いやりを持ってきたかという堆積(たいせき)が資質となり、人格に行き渡るようなイメージを持っています。なので外形もそうであるように、この指向だからこういう人だ、と即断ができないわけです」
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――日本社会は、性的少数者に対して排除的でしょうか。
「いいえ、必ずしもそうではない。日本ではLGBTの人たちを積極的に排除はしない。ただその代わりに言挙げさせず、触れることもしない、目の前に現れないでほしいという空気があると思います。今までうまくやってきたので現状維持でいいじゃないかという人もいますが、僕は違います。様々な情報や知識が常に流れる時代なのに、日本では性的指向や性自認については『泥(なず)んでいる』、つまりそこだけ池の水が流れていないようです」
「自分がたどっているのと異なる轍(わだち)を見ようともしない人たちが多い。社会的なことに『自分事』として関心も持たない。そういう空気がいっそう日本で広がるのを僕はとても危惧しています」
――そうした危惧も、カミングアウトのきっかけですか。
「一つは米国の状況がありました。トランプ政権の誕生以降、政治的な支持を集めるために事実に背を向け、仮想敵を作って対立をあおることが行われている。そして、日本でも、国会議員が自身の経験をもとにLGBTについて根拠のないことを発信し、ネット空間に一部の人たちの『特権を認めるな』といった言葉が乱反射した。誤った情報でたきつけ、苦労を強いられている人たちが傷つく。そんな構図は米国と重なります」
「今回は特定の党の国会議員からの発信でしたが、LGBTの課題を保守か革新かという不毛な二項対立に吸収させるべきでないと僕は思います。東日本大震災の後、日本では原発や代替エネルギーの課題が党利党略に利用され、右か左かの非常に狭い議論に閉ざされた。日本はエネルギー政策で新しい技術や国際競争力にもっとつなげられたはずなのに、とても大事な機会を逸してしまいました。だからセクシュアリティーの問題は、超党派で議論してほしいのです」
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――そうした議論で分断状況をほぐすことは、口で言うほど簡単ではない気がします。
「僕はその点では少し楽観的です。日本は、米国のように宗教や政党によって分断が固まった現状とは違うと思うのです。僕が物心ついた1960年代は、米国では黒人差別解消を求める公民権運動がさかんな時代でした。国の成立の下に重い過ちがあった。その国で育った者として、解消できることは、社会が気づいた時に早く解消した方がいいと言いたい。日本では性的少数者が弾圧されてきた歴史はありませんが、フラットに受け入れてきた時期もない。現在もです。今が変えるタイミングではないでしょうか」
――どう変えるべきでしょう。
「少子高齢化に相次ぐ災害と、日本社会は課題が多く、今後間違いなく変質していきます。その足腰をしなやかにするためには、やはり誰もが豊かな選択肢を持ち、自分の可能性を実現できる社会にしなければいけない。僕が敬愛する戦後日本の同性愛者の著作家には社会からの抑圧や否定を文化的な力に変えてきた人もいますが、そうした人たちはごく一部です。当事者の中には、自分が社会に適合していないと思うと、どこか自分を引いてしまって社会との接点を希薄にしてしまう人たちが多くいます。こういう状況の人たちを見て見ぬふりをするのは、社会にとっても政治にとっても失点です」
――ブログで「ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしい」とも書きましたね。
「経済的に厳しい家庭に食べ物を支援する山梨のフードバンクを取材した際、近所に分からないように『フードバンク』という文字のない箱で食品を送る様子を見ました。日本では、つらくても、世間のまなざしやいじめ、家族のことを気にして声を上げられず、窮状が可視化されづらい現状があります。これは貧困だけでなく、性的少数者や障害者でも同じです」
「例えば、同性間でもパートナーが病気になった時に家族として支えることを認められ、婚姻が可能になって税制や法律上の立場で不利益を被らないようにするなど、一人ひとりが壁にぶつからずに充実して生きることができれば、社会で発揮できるポテンシャルは全く違ってくるでしょう。そうした個々人の望む自己実現ができることこそ、僕は『生産性』だと思います。ひょっとして、杉田氏は子どもを産むことにこの言葉を使っているのかもしれませんが、子どもを生産物とする捉え方自体に、僕はぞっとする。『生産性』という言葉を取り返したいのです」
(聞き手・藤田さつき、二階堂友紀)
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1957年、米ニューヨーク生まれ。専門は江戸後期から明治時代の文学。東京大学名誉教授。昨年、日本人パートナーと米国で法的な婚姻関係を結んだ。