もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

151118 沖縄がパレスチナに思えてきた!政府が翁長知事(=沖縄県民143万人)を提訴したのは倒錯の極致!

2015年11月18日 18時40分02秒 | 沖縄と共に生きる
11月18日(水):

 政府が辺野古埋め立て承認取り消しの撤回を拒否した翁長雄志沖縄県知事を提訴したそうだ。沖縄県の人口は143万人であり、翁長知事は沖縄県民の意志の代表者である。翁長知事を国が提訴したということは、沖縄県民との話し合いを政府が拒否して県民143万人の意志を踏みにじり、<被告>として裁判所に訴えたことを意味する。 政府は誰のためにあるのか。政府は何のためにあるのか。そも143万人の国民(沖縄県民)を侮辱し、その意志を踏みにじって護らねばならない如何なる国家の利益があるというのか!? 

 沖縄の近代史を振り返れば、琉球処分、方言札の同化政策、本土の捨て石とされた沖縄戦、多くの住民の死、1952年の本土独立後の「銃剣とブルドーザー」による米軍基地のしわ寄せの加速、1972年の日本復帰後も残り続ける米軍基地問題など目を背けてはいけない歴史がある。

 これらの背景に佐藤優氏の指摘する<構造化された差別意識>が横たわる。見ようとすれば、確実に見えるはずなのに本土の人間は目を背け続けている。本来、政府は沖縄差別を人権問題として国民に広報・改善すべき立場にあるのに、今の安倍自公政権をはじめとしてこれまでの自民党や民主党右派(野田・前原・細野)は同じように知らぬふりをしてきた。

 しかし、今回の提訴ばかりは常軌を逸しているとしか言えない。見えない<構造化された差別意識>を指摘して解決を図るどころか、その沖縄に対する差別意識を利用して「沖縄県民が、身勝手な反対運動をしている」と印象付ける形で裁判所に提訴しているのだ。そこには沖縄の人々の思いや言い分を汲み取ろうというひとかけらの意志も存在しない。恥知らずにもほどがある。

 143万人の沖縄県民を「政府に従わない愚かで身勝手な輩(やから)」として提訴し、<被告>にしてしまったのだ。歴史的に見ても、現状のひどさからみても沖縄県民の意志を代弁する翁長知事の辺野古移設反対の訴えの方が条理にかなっている。それに対して、現政府が堂々と不条理・不正義を押し通そうとする姿は異常である。一体、自民党・公明党は日本をどこに連れて行こうとしてるのか。独裁国家の地獄に連れて行こうとしている、としか考えられない。

 また、143万人の無辜の国民(沖縄県民)を被告としてしまう自公政府による独裁政治の「原因が米軍基地問題である」以上、我々は「アメリカ帝国の責任」にも目を向けざるを得ない。我々の同胞たる沖縄県民を植民地の2等市民のように扱かおうとする独裁政府を放置しているアメリカに対する印象は確実に悪くなっている。

 俺には、最近沖縄県民が、パレスチナのアラブの人々のように思えてきている。日本の中にも実は<パレスチナ問題>があるのだ。イスラエルはもちろん本土の安倍晋三自民・公明政権である。安倍自公を支えるのがアメリカだというのも妙に符合する。 米軍基地問題を放置して、知らぬ顔をするアメリカを俺は許せない。アメリカは、沖縄の米軍基地問題を通して<日本人の反米意識>が強くなることを自覚して恐れるべきだろう。

朝日新聞【素粒子】11月18日夕刊
・ある時は私人のふりをして今度は居丈高の国として。政権が知事を訴える。沖縄はこの国ではないかのように。
・1億は総活躍、五輪には国民総参加。「総」の字がよほどのお気に入り。入場行進が兵隊のパレードに思えてきて。

朝日デジタル【天声人語】辺野古、「法廷闘争」へ   2015年11月18日
 後になってから、あれが一里塚だったと気づかされる出来事がある。1996年の衆院予算委員会で菅直人氏が質問した。憲法65条に「行政権は、内閣に属する」とあるが、ここに自治体の行政権は含まれるのか、と。新たな論点の提起だった▼当時の内閣法制局長官は、含まれないという趣旨の答弁をした。菅氏はこれを受け、「自治体においても独自の行政権が認められる、という考え方は大変重要だ」と念押しするように述べた▼3年後、東京都知事だった石原慎太郎氏はこの答弁を、中央集権の崩壊という「時代の流れ」をとらえて極めて妥当、と称賛した。国と自治体の関係を「上下、主従」から「対等、協力」へ切り替える。後に地方分権改革の一里塚とも評された答弁だ▼時代の流れは沖縄県にだけは及んでいないのか。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、政権が翁長雄志(おながたけし)知事を提訴した。辺野古埋め立ての承認取り消しを、知事に代わって撤回する「代執行」の手続きを進めるためだ▼政権は既に別の方法で埋め立ての本体工事に着手している。行政不服審査制度だ。「私人」を救済するための仕組みを、国の機関が私人に「なりすます」格好で使う。制度の乱用だとの批判が出たのは当然だろう▼そんなやり方で工事を進めながら、知事の権限自体を奪うための「法廷闘争」へ。いまや自治体が「地方政府」と呼ばれることも珍しくないのに、沖縄だけを国との「主従」の関係に置き去りにしていいはずはない。

朝日デジタル【社説】政権、沖縄知事を提訴 「第三の道」を探るとき  2015年11月18日(水)付
  沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、安倍政権と県が法廷闘争に入った。
  政府は、辺野古埋め立ての承認取り消しを撤回するよう県に指示したが、翁長雄志知事が拒否。そこで福岡高裁那覇支部に知事を提訴したのだ。
  1年前の知事選など一連の選挙で反対派が勝利し、辺野古移設拒否の民意は明白である。そこから目をそらし、強引に移設を進めれば、沖縄県民に、日本国民に分断を生む。
  沖縄の声になぜ耳を傾けないのか。不毛な政治のありようと言うほかない。

■二者択一を超える
  改めて考える。辺野古移設は安全保障上、唯一の選択肢か。
  答えは、否である。
  政府は「辺野古が唯一の選択肢だ」と繰り返す。だが実際には、辺野古しかないという安全保障上の理由はない。むしろ、米国との再調整や、関係自治体や住民との話し合いなど、代替策の検討に入った場合に生じる政治的な軋轢(あつれき)を避けようとする色彩が濃い。
  辺野古移設か、普天間の固定化か――。その二者択一を超えて、政府と沖縄、そして米国が納得しうる「第三の道」を探るべきときだ。
  まず大事なのは、軍事技術の進展や安全保障環境の変化に応じて、日本を含む西太平洋地域全体の安保戦略を描き直すことだ。米軍と自衛隊の役割・任務・能力を再検討しながら抑止力をどう維持、強化していくか。そのなかで、沖縄の基地をどう位置づけるかを日米両政府が議論する必要がある。
  たとえば、知日派の米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱(ぜいじゃく)になった」と指摘している。中国に近い沖縄に米軍基地を集中させる発想は、かえって危ういという意見だ。
  すでに米海兵隊は、ハワイやグアム、豪州、フィリピンへの巡回配備で対応を進めている。南シナ海での中国の海洋進出への対応を重視するなら、フィリピンなどに代替施設を造る選択肢もあり得るだろう。

■負担を分かち合う
  そうした再検討のなかで、日本全体で安全保障の負担を分かち合うことも、いっそう真剣に検討する必要がある。
  政府はこれまで、沖縄県外への機能移転を具体的に検討してきた。普天間の空中給油機部隊は岩国基地(山口県)に移ったし、新型輸送機オスプレイの佐賀空港への暫定移駐案が浮かんだこともある。
  航続距離の長いオスプレイが、いつも沖縄にいる必然性はない。現実に訓練は本土でも行われている。
  辺野古の代替施設が絶対に必要だとも言えない。横須賀基地(神奈川県)や三沢基地(青森県)の米海空軍を増強することにより、日本全体の抑止力が高まり、在沖縄海兵隊の削減につながるという指摘もある。
  2011年には米上院のマケイン議員らが、沖縄・嘉手納基地の空軍の戦闘機部隊を三沢基地などに分散したうえで、普天間の海兵隊を嘉手納に移す案を示したことがある。
  その後、仲井真弘多(ひろかず)前知事が辺野古の埋め立てを承認したため立ち消えになったが、日本全体や周辺を見渡せば、対案の組み合わせはほかにも考え得るだろう。当面は普天間の平時の運用停止を急ぎ、その代わり有事の際の使用は認める案もある。

■日本が決める問題
  国土の0・6%の沖縄に、全国の73・8%もの米軍専用施設を押しつける異常事態を正すためにも、この際、日本政府として辺野古移設を白紙に戻す決断を求めたい。
  そのことこそ、より説得力をもって「日本全体での負担の分担」を自治体や住民に働きかける力になるはずだ。
  いまは「辺野古移設を支持する」と繰り返す米国の政策も、不変とは限らない。
  来年11月に選ばれる米国の次期大統領が、違う選択肢を探る可能性もある。
  実際、米国の駐日大使経験者からは柔軟な見方が相次ぐ。
  19年前、橋本龍太郎首相と普天間返還を発表したモンデール氏は最近、沖縄の基地について「これは日本で決めるべき、日本の問題だ」と語った。前任のアマコスト氏も辺野古移設について「コストと便益を考えると見合わない。海兵隊基地の戦略的価値はどれほどあるのか」と疑問を投げかけている。
  日本政府が辺野古に固執し続ければ、沖縄の民意はますます硬化し、結局、普天間の固定化による危険が続く可能性が大きい。周辺住民に支持されない基地に安定的な運用は望めず、長期的に見れば、日本の安保環境を損ねかねない。
  まさに悪循環である。
  辺野古をめぐる法廷闘争は、むしろ基地問題の解決を遠ざける。日米の政治の構想力と実行力が問われている。
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