もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

105冊目 片山恭一「考える元気 (「DNAに負けない心」改題)」(光文社文庫;2004/2000)  評価3

2011年12月22日 02時28分52秒 | 一日一冊読書開始
12月21日(水):

199ページ  所要時間2:30

著者41歳。『世界の中心で愛をさけぶ』(2001)の著者が、セカチューのブレイクする前年の不遇時代に書いたエッセイ集。

ドラマ再放送(山田孝之&綾瀬はるか)でハマったセカチューの著者が、どんな人なのか気になって手に取った。想像よりもかなりかっちりした考え方の人のようだった。調べると、九州大学で農政経済学を学び、博士課程中退。学生時代も含めて、中学生を対象にした学習塾の講師を務めて20年くらいになる。お金にならない純文学を志向し、出した作品が全く売れず、出版社からのリストラ(見放されること?)も経験している。

流し読みでは、なかなか読みとりにくい内容で社会に対する厳しい見方・考え方が展開されており、「なんか偏屈な偏った人かな?」と警戒したが、読み進めるに従って、ベースにマルクス、ヘーゲル、ニーチェなどの思想があり、その上に現代社会・現代科学に関する見方・考え方が幅広く展開されているのに気付いた。借り物でない、オリジナルのまとまりのある考え方が提示されているのがわかってきて、安心した。

「科学」と「貨幣」と「市民主義」を三位一体と観て、市民主義や人道主義は資本主義を補完・補強するイデオロギーでしかない、と断罪する。(一方で、それに代わる明確な思想や具体的な対案の説明がない。っていうか、模索中でしかない。)「人間の価値が能力や効率によって測られるとすれば、遺伝子操作によるデザイナーチャイルドの誕生まで、この社会は一気に突っ走ってしまうだろう。歯止めは何もない。」など、ある種のノスタルジーを感じさせるマルクス主義の風味がただよう内容に出会ったりする(九州大学って、向坂逸郎先生の影響なのか?マルクスを勉強してる人が多い気がする)。経済的に苦しい当時、資本主義社会を批判的に観ていた著者のもとに、この翌年セカチューの空前の大ヒット(発行部数が国内単行本最多記録の306万部)とともに莫大なお金が流れ込むことになるのだから、世の中面白いものだ。

この本は、出版後すぐに絶版になったが、作者にとっては、「現在(2004)に至る創作のモチーフが、この本の中に散在している」「幾多の不備があるけれど、ぼく個人にとってはとても大切な一冊である」と記されている。確かに、セカチューのヒロイン亜紀ちゃんのモデルが、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』に出てくる「再生不良性貧血におかされた十七歳の少女」であること、ヒトの死が本人自身の死で完結するというのは傲慢な考え方(ハイデガーよ、反省しろ!)であって、家族をはじめ周りの人間にとっても重大な関係性をもつ死だ、というセカチューで示された世界観などは本書の中にきちんと書かれている。

また、読んでいて「さすがは作家さんのエッセイ集だ!」と、表現で笑わせられるところもあった。「たとえば私のクローンを作って私の意識を搭載する。彼女のクローンを作って彼女の意識を搭載する。そしてクローンの私とクローンの彼女が、どこかの世界で一緒になる。それはやっぱり、二人の恋が成就したことになるのだろうか。クローンの私とクローンの彼女は、それぞれ元の私や彼女と遺伝子的には完全に同一であるから、遺伝子的同一性を「自己」と考えるかぎり、恋は成就したことになる。しかしなんと言うか、俺的にはちっとも嬉しくないぞ、みたいな?」   

※今回は、怪しい本かな…?と思いながら読んだので、次はそれなりにきちんと読もうと思う。
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