もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

106冊目  藤沢周平「市塵 (上)」(講談社文庫:1990)  評価3

2011年12月23日 04時51分00秒 | 一日一冊読書開始
12月22日(木):

320ページ  所要時間5:00


題名の「市塵」とは「市井紅塵の間に生業をもとめ、ほそぼそと暮らす」の意から来た言葉のようだ。芸術選奨文部大臣賞をとった作品らしいが、いま一つピンとこなかった。

時は、ちょうど300年前。主人公は「正徳の治」の新井白石。2度主家を失い、浪人となり木下順庵の知己を得て、その推挙で甲府徳川綱豊(家宣)に仕えた経緯。多くの子供に恵まれるが、その多くの子供を病で亡くす話。徳川綱吉と甲府綱豊(家宣)の微妙な関係。徳川綱吉の偏執狂ぶり。生類憐みの令。荻原重秀の貨幣政策への批判。宝永の富士山噴火。イタリア人宣教師シドッチ尋問。湯島聖堂学問所や武家諸法度他をめぐる林大学頭信篤との対立(せざるを得ない状況)。興福寺の一条院と大乗院の揉め事(南都訴訟)裁定。当時の朝廷と幕府の関係性。圧巻は朝鮮通信使応接問題の解説と改革(改悪?)の記述。etc.

著者は、主人公の新井白石の時代背景、制度、白石の事績について、本当によく調べぬいている。しかし、その分だけ、背景や事件の解説、長い肩書付きの多くの関係者の名前の羅列が非常に多くを占めて、その隙間を縫って、主人公の白石や間部詮房、6代家宣らと、名もなき人々が行き来し、彼らの心理や場面展開の描写も非常に抑制的になされている。そういう意味では、日本史の詳細の解説を読んでいるようで、ストーリー展開の面白さはそれほど感じない。読んでいてあまり体温の高さは感じない。盛り上がることも、励まされることもない。ただ、「それは違うだろう」と読者を白けさせるような間違いもほとんど無く、読むのが嫌になることは全くなかった。それが、著者の力量というものなのかもしれない。

あと、白石については、儒教的理想主義の限界という評価が存在し、政敵荻原重秀などにはある種の先進的経済官僚という評価も存在するので、あまり勧善懲悪的に描かれると白けてしまうのだが、とりあえず事実関係を優先した表現手法に違和感を覚えることは無かった。   

※評論家の佐高信さんが、司馬遼太郎に対抗させて、あまりにも藤沢周平を称揚するので読んでみたが、やはり比較すること自体が筋違いの見当はずれだったとしか言えない。当たり前すぎることだが、藤沢周平は藤沢周平として味わうべきもので、誰かの評価を引き下ろすために読むべきものではないのだ。所詮「他人のふんどしで相撲を取っているのだ」という節度を忘れた時、評論家は道を踏み外すのだ、と思う。佐高信さんを支持するがゆえに、私もつらい。こうなったら、やはり「三屋清左衛門残日録」「蝉しぐれ」「風の果て」あたりを読まないといけないのだろうか。でも後ろの2作品は、NHKの傑作ドラマで堪能してるから、改めて読むのもなあ…。
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