もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

104冊目  森達也「君が選んだ死刑のスイッチ  よりみちパン!セ」(理論社;2009)  評価4

2011年12月21日 05時38分48秒 | 一日一冊読書開始
12月20日(火):

252ページ  所要時間3:55

著者53歳。中学生(以上)向けの本なので仕方ないが、第1章は前書きに入れて省略して欲しかった。私自身の勉強不足によるのだが、<裁判員制度>に対して、これほど真っ向から疑問・批判を述べた本に出会ったのは、初めてだ。<死刑制度>については、加賀乙彦『死刑囚の記録』を読んでいたので、よくわかった。

「わかりやすさには気をつけよう。現実は単純ではない。とても複雑で多面的だ。」と述べ、ジョージ・オーウェルの『1984年』で核戦争後の世界を支配する独裁者「ビッグ・ブラザー」から、「ニュー・スピーク」という非常に単純化した言語を強制された人々が、複雑なことが考えられなくなる話を紹介し、国家の支配者と、マスメディアのあり方に警鐘を鳴らす。  

<罪刑法定主義>。<無罪推定原則>。

<冤罪>。<松本サリン事件>「警察は味方ではない。警察は犯人を作るところ」「マスメディアが犯人を作る」「警察もメディアも裁判所もまちがえる。なぜなら人だから」。<1942横浜事件の再審請求→2009免訴(なかったことにしましょう…?)>。<デュー・プロセス(適正な手続き)>。

刑事司法の問題点:<代用監獄>。<取り調べの不可視性>。<供述調書偏重主義>。<無罪推定原則の機能不全>。<ポピュリズム(司法の、世論迎合)>。     

裁判員制度については、「どうして国民が裁判に参加したほうがいいのだろう?」と根源的疑問を呈し、司法側の「国民の視点と感覚を取り入れて!司法への理解を!云々」という言い分の虚妄を、実は1997年頃、アメリカ資本側からの圧力を受けた「司法の規制緩和」がきっかけであり、元々<民事裁判>が焦点だったのが、光市母子殺害事件や北朝鮮の拉致問題による社会不安・厳罰化を求める世相の中で、皮肉にも<刑事裁判>に焦点がスライドしてしまったのが真相である。つまり、「刑事司法に市民感覚を取り入れる」「国民の司法への理解を求める」などは、全くの<後付けの理屈>である。

<裁判の迅速化>って、もっともらしいけど、なんで必要なの?。日本の裁判は遅くない。そのズレは、「裁判員制度が<一審のみ>で、二審・三審に何の影響力もない」という無意味さ。厳しい<出頭義務>と<守秘義務>を課すが、特に<守秘義務>は、国が国民に強制的に大きな精神的負担を課すことで許し難い人権問題。重罪に適用される裁判員制度では、法律の素人が多くの<死刑判決>に関わることを避けられないのに、<死刑制度の実態>は知らされず、知る国民は少ない。これほど未整備で矛盾を抱えたまま、取り返しのつかない形で実施が始まった裁判員制度は、もはや<その継続維持のみが自己目的化した>マンモスの伸びた牙ような存在になり果てている。そんな不備な裁判員制度が、非常に大きな問題をはらむ<死刑制度>と深く関与するのは、未整備カーで高速を走るようなもので、あまりにも危険な問題をはらむ!。  

アメリカの死刑は<公開>、日本の死刑は<密室>。死刑囚の罰は殺されることだけなので、<拘置所>に入る。<刑務所>に入るのは自由制限刑を受ける懲役囚のみ。処刑の言い渡しは、その日の朝が原則。死刑囚の朝は恐怖の極み、そんな日々が何年も続く。本書の中に<死刑執行の過程>が、詳細に描かれているが画像は無くても恐怖は伝わる。アメリカでは、「絞首刑は絶命するまでにとても大きな苦痛を与えている」という研究報告があり、絞首刑は廃止になった。
   
2007年の殺人事件は、戦後最も低かった。「日本の治安が悪くなっているから死刑は必要」という論理は完全に破綻している。虚偽の社会不安をあおって、罪深いのが日本のマスメディアである。犯罪抑止効果が虚偽ならば、残るのは被害者遺族の応報感情(死刑を希望しない遺族もいる)の満足のみであり、それならば死刑は<公開>で、もっと<なぶり殺し>にするべきである。      

2008年現在、世界の3分の2が死刑廃止国、3分の1が存置国。廃止国は賛成4対反対6の段階で、世論を押し切って政治家が判断をした。ただ現在の日本は、賛成0.6対反対8.1と異常に死刑廃止反対が強いのも事実。これは、地下鉄サリン事件などをきちんと究明することを怠った日本の司法と、「オームの信者が、純真で善良で優しい「普通」の人々であることを隠し、「凶暴凶悪な殺人集団」「洗脳された不気味な集団」、要するに「普通ではない」「自分たちとは違う」存在として捏造報道、少なくとも真実を伝えなかったマスメディアの責任は大きい。

著者は、死刑について強く反対の立場を持っている。しかし、同時に、死刑制度のもつ特異性・複雑さも十分に認めている。読者には、「大切な命を奪ったのだから死刑になって当然なのだ」という浅いレベルで考えるのだけは、やめてほしい、と言うに止めている。死刑制度の実態、死刑制度の存置論者、廃止論者の双方の考え方を、できる限り具体的統計や世界の流れなどを十分に考えてよく考えて欲しい。すぐに結論は出さないで欲しい。さまざまな視点から、十分に時間をかけて<自分の頭で考えて結論を出すこと>を求めている。そして、「もしもあなたが死刑はあって当たり前だと思うのなら、本当はこのスイッチを、刑務官にばかり押しつけないで、あなたも押すべきなのだ。」と訴える。

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