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200609 【傾聴すべし!】 外国籍の子に学びを 臨床心理士・中川郷子さん

2020年06月09日 20時52分47秒 | 考える資料
6月9日(火): 

今の日本で最も傾聴すべき視点、見解が示されている。是非お読みください。
 
朝日デジタル:【インタビュー】外国籍の子に学びを 臨床心理士・中川郷子さん
2020年6月9日 5時00分

  中川さんは来日のたび、日系ブラジル人が多く住む地域を訪れ、子どもや親の声を聞く=愛知県豊田市、平山亜理撮影
 日本の公立小学校で、発達障害などと診断され特別支援学級に入る外国人の子どもが目立つ。なぜそんなに多いのか。ブラジル人が多く暮らす地域を毎年訪れ、「デカセギ」の子どもの教育問題を調べてきたブラジル在住の臨床心理士中川郷子さん(63)が、この問題のからくりと、日本の将来にもたらす影響について語った。

 ――「発達に問題がある」とされる、外国籍の子どもが特別支援学級に多くいるそうですね。
 「私は、日本からブラジルに帰国した子どもの教育や心理面を支援する『カエルプロジェクトのコーディネーターをしています。そのため毎年来日し、日系ブラジル人がたくさん住む地方都市を訪れ、親や子ども向けのセミナーを開いています。活動するうちに、特別支援学級に日系ブラジル人の子どもが不自然に多くいるのが気になりました。調べてみると、日本人の子どものうち特別支援学級に在籍する生徒の割合は全体の2~3%なのに、外国人の子どもでは5~6%にのぼることがわかりました」
 ――なぜそんなに高いのでしょう。
 「実態を調べるために、特別支援学級にいた日系人の子どもたちに、日本語とポルトガル語がわかる私が知能検査などを行いました。すると、発達障害の疑いがない子が半数ほどいたのです」
 ――なぜ、そんなことが?
 「文の構造が理解できるなど、学習言語が身についていないと思考力が育たないことや、ポルトガル語で覚えたことはポルトガル語でしか答えられないなどの事例があります。親の中には『大勢で学ぶより、4、5人で個別に先生にみてもらえる教室があると先生に言われた』と喜ぶ人もいます」
 「日本語の指導が必要な子と発達障害を一緒に扱い、必要なケアを受けさせていません。私がみた子どもの中には、ただ、ひたすら花に水やりをしている子もいました。これは外国人の子の『隔離』であり、人権侵害といえるケースもあります。日本語の指導教員が日本語を教え、授業がわかるよう支援すべきなのに、通常学級でほかの子の邪魔にならないように、特別支援学級に入れている面もあります」
 ――どういう解決策が考えられますか。
 「知能テストを受けさせるなら、両国の言語や文化を理解して診断ができる専門家を育てる必要があります。そして、日本語教育の態勢を整えるべきです。いちど特別支援学級に入った後に通常学級に戻って学ぶのは難しく、勉強の遅れも出ます。将来の可能性をつぶしてしまい、日本社会の負担にもなります」
    ■     ■
 ――なぜこの問題に関心を持つようになったのですか。
 「私自身も、特別支援学級に入ったことがあるからです。私は東京で生まれ、生後5カ月でブラジルに渡りました。母は日本人、父は中国人で中華料理店を経営していました。サンパウロ市の日本人コミュニティーで育ちましたが、数年経ったら日本に戻るつもりで、家庭では日本語を話していました。現地の小学校に入ると、特別な学級に入れられました。何もポルトガル語で答えられなかったため、言葉を発せられない障害児と思われたのです」
 「いつも学校から白紙のノートを持ち帰る娘を不思議に思った母は、学校に問い合わせ、初めて状況を知りました。『娘はポルトガル語を話せないだけなので、通常学級に入れてほしい』とかけ合ってくれました。最初は授業が全く分からず、同級生にからかわれました。ただ、先生は辛抱強く隣に座って繰り返し教えてくれ、少しずつ分かるようになりました。大学に入学して、サンパウロ・カトリック大学で博士号もとりました」
 ――日本でも同じような成功談が可能でしょうか。
 「教育制度によると思います。私は、ブラジルで学費を払ったことがありません。もし高い学費を払わねばならなかったのならば、今の自分はありません。移民が無料で言語を学べ、教育を受けられれば、活力ある社会の役に立てると思います。ブラジルの仕組みはそうなっています。移民の子は、二つの文化と言語のはざまにあり、最初は成績も悪いという傾向があります。でも適切に指導すれば、その後、能力を生かせる可能性があるのです」
 ――ただ、日本で成功している日系ブラジル人の若者もいます。
 「うまくいった人たちの話を聞くと、たまたま、いい先生や友達に恵まれたということが多いのです。でも、運任せにしてはいけません。大学に進学した、弁護士になった、と話題になることがありますが、数が少ないからニュースになるのです。日本にいる日系ブラジル人の子どもと青少年は約4万人と言われていますが、大卒は200人程度という試算もあります。いい人と巡り合ったからうまくいった、というのではなく、外国人を受け入れる社会の仕組みを作ることが必要です
 「米国の学校を訪れたとき、ニューカマー(新入生)としてやってきた外国人が、地元の生徒たちと同等に学べるようになるまでにどのくらいかかるか尋ねると、『7年かかる』と言われました。日本では『来日して1年も経っているのに、まだ日本語を覚えていない』などとせかされますが、外国の子どもが社会に溶け込むには、時間がかかります
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 ――このままの状況が続くと、何が心配ですか?
 「約30年前に、デカセギ第1世代として来日した人たちは大卒の人が多く、開業のための資金などを数年で稼いでブラジルに戻りました。でも、その次の世代は高卒も多くいます。彼らの子どもたちは、どちらの言葉も読み書きが出来ない『ダブルリミテッド』と呼ばれる状況です
 「一般的には、移民の第2世代は親より良い仕事に就くことが多いのに、日本にデカセギに来たブラジル人の子どもは、工場労働者のままです。さらに次の世代の子どもたちは、発達に障害があるとされ、世代を経るにつれ社会階層も学歴も落ちています。このままでは、深刻な社会問題を引き起こします。社会に貢献できる人材を育てることは、高齢化で労働者が不足する日本社会にとって重要なのに、です」
 ――子育ての様子も心配だそうですね。
 「両親が一日中工場で働き、ブラジル人用の認可外保育施設などに預けられている子どもが多くいます。おもちゃもなく、必要な年齢に必要な刺激を受けておらず、十分な食事もとれていないので発育が遅れています。親たちも望ましい教育を受けておらず、子どもの扱いも分かっていません」
 ――ブラジルに移住した日系移民は違うのですか。
 「日系移民は2世、3世になるにつれ、高学歴になり、社会階層も上がっていきました。第1世代は農業移民として働きながらも、子どもたちにはいい教育を受けさせようと、親たちは教育に熱心でした。公立学校の門戸が開かれ、無料であったことも大きく、大学に進学し、弁護士や医者、政治家として活躍している日系人もたくさんいます」
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 ――多様性を認めることで、社会の活力となっているのですね。
 「日本政府は、外国人を単なる労働力としか考えていません。技能実習生に、家族帯同を禁止しているのもその表れです。日本に来る外国人は単身でくればいい、なんて理屈は世界では通用しません。外国人は血の通った人間で、結婚もすれば子どもも生まれるし、教育だって必要になる。デカセギとして来日したブラジル人は日本に定住し、ブラジルに戻りません。日本で生まれ育ち、ブラジルに行ったことさえないブラジル人もいます。いくら日本政府が認めたくなくても、彼らは『移民』なのです。それなのに政府は『移民ではない』と言い張り、制度を整えず、問題を放置しています」
 「保育園や幼稚園、小学校などをいくつも見てきましたが、『外国人の子どもを受け入れよう』という制度もマインドもありません。教室に座っていれば自然に日本語を覚え、日本社会に溶け込めるわけではありません。第2外国語として日本語を教えられる先生を置くなど、外国人の子どもを受け入れるインフラ整備が必要なのに、外国人は義務教育の対象にさえなっていません

 ――このままだと、どんな未来が待ち受けていますか。
 「将来的に生活保護を受ける外国人が増え、日本社会の負担となっていくでしょう。社会の隅に追いやられ、非行に走り、犯罪も増えるかもしれません。いちど生活保護になったら、そこから抜け出すのは容易ではありません。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべきです。『外国人のためにやってあげる』と考えるのではなく、日本社会のために受け入れが必要なのです。外国人の子どもが学び、力を発揮できるような制度を整えることは、活力ある社会にするのに不可欠だということに、社会が気づいてくれればと思います」 (聞き手・平山亜理)
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 なかがわきょうこ 1956年、東京生まれ。ブラジル・サンパウロでクリニックを構える。年1、2回来日し、日系ブラジル人の子どもの教育現場を調査する。

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