もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

180415 合掌 m(_ _)m 「時事放談」で野中広務師追悼特集(古賀誠、藤井裕久)

2018年04月15日 17時52分57秒 | 日記
4月15日(日):    
                        多くの人が参列した野中広務さんのお別れの会(京都市下京区) 
 今朝のTBS「時事放談」録画を繰り返し観続けている。1月26日に逝去された非戦の政治家野中広務師(136回出演:92歳逝去)の追悼特集で、生前を知る二人の大物政治家が野中師について語り合う内容だった。俺にとっては永久保存版である。

 野中師は、俺が人生で同時代的に最も尊敬した政治家だった。その野中師を卑劣な差別で貶め陥れたアホウが副総理兼財務大臣を務める現政権が腐敗政権になることは必然だった。それに無知で無恥な虚言癖のある私利私欲のガキンチョが総理なのだ。今の日本は罰を受けているのだと思う。政権交代の後、アベを徹底的に訴追して、牢屋に送り込まなければ日本を立て直すことはできないだろう。それは自民党政権では無理だ。

 二人の大物政治家は野中師を以下のように、述べている。
 *古賀誠77歳:日本政界最強のリベラル。弱者に優しく思いやりのあるリベラル。
 *藤井裕久85歳:本当に立派な人だった。最高のリベラリスト。

京都新聞弱者に寄り添う人柄しのぶ 故野中広務さんお別れの会
  自民党幹事長、官房長官などを歴任し、1月に92歳で死去した野中広務さんのお別れの会が14日、京都市下京区のホテルで営まれた。政財界や宗教界など幅広い分野から約3千人が参列し、政局を動かした辣腕(らつわん)と弱者に寄り添った人柄をしのんだ。
  実行委員長の二階俊博自民党幹事長は式辞で「われわれの道しるべとなった先生を失ったことは、国家の大きな損失」と悼んだ。安倍晋三首相は野中さんが府議時代に京都府政を革新から保守系へと転換させた経過に触れ、「正義を貫き、不正を憎み、弱き者に寄り添った。先生が守り、引き継いでくださった素晴らしい日本を守り抜く」と語った。
  遺族を代表して長女の河合多恵子さんがあいさつし、「息を引き取った顔は少しほほ笑み、穏やかだった」と臨終を振り返った。「平和な国を築く理想を掲げ、長く孤独な道を歩いてきたお父さん、本当にお疲れさま」と静かに語ると、ハンカチで涙を拭う人もいた。最後に伊吹文明元衆院議長が「野中先生に賜(たまわ)った温かい気持ちを、残されたご遺族に注いでください」と参列者に謝辞を述べた。
  「政敵」だった小沢一郎自由党共同代表や、森喜朗元首相ら与野党の政治家が多数参列した。1994年の松本サリン事件で容疑者扱いされ、当時国家公安委員長だった野中さんから直接謝罪を受けた河野義行さん、野中さんが沖縄振興に尽力した縁で交流のあった稲嶺恵一元沖縄県知事、中国の程永華駐日大使も遺影に手を合わせた。
  作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは参列後、「いざという時にちゃんとした言葉をいただける頼りになる人だった。とっても寂しいです」と話した。
  野中さんは旧園部町議、同町長、府議などを経て、83年の衆院補選で初当選。2003年に政界を引退した。お別れの会は自民党や全国土地改良事業団体連合会、野中家などが主催した。15日には地元の南丹市でお別れの会がある。【 2018年04月14日 23時30分 】


*アベの弔辞は、滑稽なお笑いぐさである。敢えて言えば、アベではなく、時の<総理大臣>が言わねばならない弔辞だったということだ。

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