11月8日(木): ※夕刊によいコラムが出ていた。
朝日デジタル:池澤夏樹(終わりと始まり)玉城沖縄県政、多難な前途 問われる本土の度量 2018年11月7日16時30分
「沖縄問題」があるのではない。
日本と沖縄の間に問題があるのだ。あるいは沖縄県民と彼らを除く日本国民の間に。
それを本土のメディアは辺野古の一件に集約して報道する。もう少し大きな構図で捉えてはくれないものか。
「沖縄問題」は沖縄と本土の間に歴史的・文化的・政治的に大きな違いがあるところから生じる。
違いはあって当然ではないか。違うもの同士がぶつかるから多様な文化が生まれる。安室奈美恵というシンガーを得て日本のポップスがどれほど変わったか、思い出してみよう。
近代の政治は、違う人間たちがいることを知った上で、互いの存在を認め合うための努力を基軸とする。認め合う最小限を人権という。かつてアフリカ系のアメリカ人はそうやって公民権を手に入れた。今、現実はともかく、政治の建前の上ではすべてのアメリカ国民は同じ権利を持つ。
*
先日の県知事選で有権者は玉城デニー候補を選んだ。
彼が辺野古の新しい基地の建設に反対していることが勝因、とメディアは報じたが、それだけではあるまい。
まず、珍しい履歴の知事である。
母は沖縄人、父はアメリカ人だが、父の顔を知らない。
若い時はロック少年。
まるで戦後沖縄の象徴のよう(長州閥の末裔〈まつえい〉が日本の首相であるように)。
ラジオのディスクジョッキーを十二年間やったが、沖縄市長選に出るらしいという噂(うわさ)でこの職を失った。意気消沈の後、開き直って政治家を目指す。
今回の知事選のために作られたパンフレットで彼はこう言う――
「僕は10歳から母と二人で暮らしていたから、料理も食器洗いも洗濯も、アイロンがけも全部自分でやらなくちゃいけなかった。地方自治も同じなんです。法律がないなら条例をつくって対応するし、法律の不備を役所に説明してわかってもらえないなら国会議員に働きかけて法律を整備したり」
あるいは――
「一番役に立ったのは、ラジオ・パーソナリティー時代に培った現場力。現場のことをよく理解しないと、法律や政策はつくれないんです。全国でワースト一位だといわれる子どもの貧困率は、明らかに親世代の非正規雇用率が関連しています。離婚率も高いけれど、そもそも労働環境が悪いから、離婚後もシングル・マザーの家庭が養育費を夫からもらえていなかったりする。沖縄の現況は厳しいけれど、だからこそ沖縄で先進モデルを作って、それが日本に広がっていけばいい」
復帰後の沖縄県知事は、若い時から政治畑を歩いた西銘順治、もとは社会学者の大田昌秀、財界人であった稲嶺恵一(琉球石油〈現りゅうせき〉)、仲井真弘多(ひろかず)(沖縄電力)と続いた。仲井真が任期の終わりにいきなり辺野古の埋め立てを承認した後、翁長雄志が登場した。本来は自民党に属していたのに、辺野古の新基地建設に徹底抗戦してオール沖縄をまとめた。
このように沖縄では国政との距離が何度も大きく変わってきた。国と距離を置いたのが大田と翁長。玉城新知事はそれを踏襲しようとしている。
「ヤマトンチュになりたくて、なりきれないこころ」と西銘は言ったが、それは沖縄性を捨てて本土に同化はできないという自覚の表明であった。同化の必要はないとぼくは思う。異質を受け入れるかどうか、問われているのは日本の度量だ。
*
玉城が言う地元に密着した日々の政治活動のことだが、そういう人は地方ごとにたくさんいるだろう。目前で困っている人たちのための良策を模索する。社会で有利な位置にいる人のワガママを抑えようとする。政治とはこういうもののはずだ。
それが国政の中枢に近づくにつれてなぜあれほど(あえて言えば)薄汚れた姿になるのだろう?
動かせる金の額が大きい。電力などの大企業と行き来する。その座に至るまでにいくつもの危ない橋を渡ってきた。隠すべきことが増え、ついた嘘(うそ)の数も多くなる。アメリカが大事。
自分の考えを抑えて強きに寄ったことも少なくあるまい。それで取り込まれ、がんじがらめになる。誠実から出発したはずが堕落・頽廃(たいはい)に至る。
いや、これはぼくの妄想。永田町で働くのは誠実な方ばかり、と信じたい。
玉城県政の前途は言うまでもなく多難である。
国と渡り合うしたたかさが彼にあるか否かもまだわからない。応援しつつ見守るとしよう。
辺野古の埋め立てのこと。
人の顔に泥を塗る。塗られた方はその屈辱を忘れないだろう。
人の海に土砂を流し込む。埋め立てられた海はもとには戻せない。
朝日デジタル:池澤夏樹(終わりと始まり)玉城沖縄県政、多難な前途 問われる本土の度量 2018年11月7日16時30分
「沖縄問題」があるのではない。
日本と沖縄の間に問題があるのだ。あるいは沖縄県民と彼らを除く日本国民の間に。
それを本土のメディアは辺野古の一件に集約して報道する。もう少し大きな構図で捉えてはくれないものか。
「沖縄問題」は沖縄と本土の間に歴史的・文化的・政治的に大きな違いがあるところから生じる。
違いはあって当然ではないか。違うもの同士がぶつかるから多様な文化が生まれる。安室奈美恵というシンガーを得て日本のポップスがどれほど変わったか、思い出してみよう。
近代の政治は、違う人間たちがいることを知った上で、互いの存在を認め合うための努力を基軸とする。認め合う最小限を人権という。かつてアフリカ系のアメリカ人はそうやって公民権を手に入れた。今、現実はともかく、政治の建前の上ではすべてのアメリカ国民は同じ権利を持つ。
*
先日の県知事選で有権者は玉城デニー候補を選んだ。
彼が辺野古の新しい基地の建設に反対していることが勝因、とメディアは報じたが、それだけではあるまい。
まず、珍しい履歴の知事である。
母は沖縄人、父はアメリカ人だが、父の顔を知らない。
若い時はロック少年。
まるで戦後沖縄の象徴のよう(長州閥の末裔〈まつえい〉が日本の首相であるように)。
ラジオのディスクジョッキーを十二年間やったが、沖縄市長選に出るらしいという噂(うわさ)でこの職を失った。意気消沈の後、開き直って政治家を目指す。
今回の知事選のために作られたパンフレットで彼はこう言う――
「僕は10歳から母と二人で暮らしていたから、料理も食器洗いも洗濯も、アイロンがけも全部自分でやらなくちゃいけなかった。地方自治も同じなんです。法律がないなら条例をつくって対応するし、法律の不備を役所に説明してわかってもらえないなら国会議員に働きかけて法律を整備したり」
あるいは――
「一番役に立ったのは、ラジオ・パーソナリティー時代に培った現場力。現場のことをよく理解しないと、法律や政策はつくれないんです。全国でワースト一位だといわれる子どもの貧困率は、明らかに親世代の非正規雇用率が関連しています。離婚率も高いけれど、そもそも労働環境が悪いから、離婚後もシングル・マザーの家庭が養育費を夫からもらえていなかったりする。沖縄の現況は厳しいけれど、だからこそ沖縄で先進モデルを作って、それが日本に広がっていけばいい」
復帰後の沖縄県知事は、若い時から政治畑を歩いた西銘順治、もとは社会学者の大田昌秀、財界人であった稲嶺恵一(琉球石油〈現りゅうせき〉)、仲井真弘多(ひろかず)(沖縄電力)と続いた。仲井真が任期の終わりにいきなり辺野古の埋め立てを承認した後、翁長雄志が登場した。本来は自民党に属していたのに、辺野古の新基地建設に徹底抗戦してオール沖縄をまとめた。
このように沖縄では国政との距離が何度も大きく変わってきた。国と距離を置いたのが大田と翁長。玉城新知事はそれを踏襲しようとしている。
「ヤマトンチュになりたくて、なりきれないこころ」と西銘は言ったが、それは沖縄性を捨てて本土に同化はできないという自覚の表明であった。同化の必要はないとぼくは思う。異質を受け入れるかどうか、問われているのは日本の度量だ。
*
玉城が言う地元に密着した日々の政治活動のことだが、そういう人は地方ごとにたくさんいるだろう。目前で困っている人たちのための良策を模索する。社会で有利な位置にいる人のワガママを抑えようとする。政治とはこういうもののはずだ。
それが国政の中枢に近づくにつれてなぜあれほど(あえて言えば)薄汚れた姿になるのだろう?
動かせる金の額が大きい。電力などの大企業と行き来する。その座に至るまでにいくつもの危ない橋を渡ってきた。隠すべきことが増え、ついた嘘(うそ)の数も多くなる。アメリカが大事。
自分の考えを抑えて強きに寄ったことも少なくあるまい。それで取り込まれ、がんじがらめになる。誠実から出発したはずが堕落・頽廃(たいはい)に至る。
いや、これはぼくの妄想。永田町で働くのは誠実な方ばかり、と信じたい。
玉城県政の前途は言うまでもなく多難である。
国と渡り合うしたたかさが彼にあるか否かもまだわからない。応援しつつ見守るとしよう。
辺野古の埋め立てのこと。
人の顔に泥を塗る。塗られた方はその屈辱を忘れないだろう。
人の海に土砂を流し込む。埋め立てられた海はもとには戻せない。