10月25日(日):
205ページ 所要時間 1:40 蔵書
著者42歳(1947生まれ)。漫画家。
どうも読書のカウントにマンガ本が増えてきた気がする。バカだと思われるのではないか…。でも、そうなのです。私あまり頭がよくないのです。
読書習慣を維持する上で、私が一番重視していることは「自分を甘やかすこと」なのです。たとえ、マンガであっても私なりの基準はあるので、その範囲内であれば読書カウントに含めるのを避けない方がよい。読書の冊数が増えれば、やはりそれだけのことが大きな励みになるので、読書週間の継続につながればそれで上等なのです。
読書習慣さえ維持できればその内に、大物に取り組めることもあるのだ。「量をこなしていれば質が付いてくる」「質より量」なのだ。本を読んでる時、「この時間を他のもっと有意義なことに使えないだろうか」とよく思うのだが、いざ本を読まないからと言って時間の有効利用などできていない。食べるか寝るかテレビを見るか、大したことはできないのだ。
閑話休題。今回、俺の蔵書から本書を手にした理由は、数日前映画「おろしゃ国酔夢譚(井上靖原作)」(1992)録画を観たことだ。何度か見たDVDだが、久しぶりに見るとやはり新鮮で見入ってしまった。ただ、終りが根室にたどり着いて、幕府からの帰国の許可を待つシーンで終わったのが、なんとも物足りなかった。その後、江戸で幕府の役人から吟味を受け、おろしゃ人から聞いた日本人の名前を正されたときに、桂川甫周と中川淳庵の名を告げるが、実はその場に下役の記録係として桂川甫周本人がいた。その後、蘭学者たちとの交流、再度結婚して2人の子を儲けて帰国後36年間生きたこと、などを確認したかったのだ。
光太夫が戻ってきたのは、ちょうど江戸のポル・ポト松平定信が、寛政の改革を行っている時だったが、京都で後桃園天皇の死後、皇統が絶えて新たに閑院宮家から光格天皇(孝明天皇祖父)が建てらると、天皇の父である閑院宮典仁親王を太上天皇にする運動が朝廷で盛んになる。そしてそれに連動する形で、一橋家から11代将軍に迎えられた徳川家斉が、父親の一橋治済を大御所に就けたいという願いが出る。実は将軍よりも、将軍家に血の濃い定信は、いずれも承服できず朝廷を弾圧する形で、将軍の願いも断ち切ってしまうが、それがもとで幕政から外され、その後二度と復職しなかった。
第16巻の話は、エカテリナ2世(ドイツ人)の使節アダム・ラクスマンの根室来航(→箱館→松前)、光太夫の帰国と尊号問題興亡を2本の柱として、寛政の3奇人のうちの高山彦九郎、林子平らの死や、前野良沢、杉田玄白のその後や、最上徳内の政治的復活などが絡められている。厚かましく嫌われた司馬江漢の晩年も出ていた。
エカテリナ2世(ドイツ人)
1787~1793 松平定信、寛政の改革
キリル・ラクスマンとアダム・ラクスマン父子
1792 ラクスマン、根室に来航→箱館→松前
1782~1792 大黒屋光太夫(1751~1828:77歳)漂流
高山彦九郎 林子平
最上徳内
前野良沢、杉田玄白、桂川甫周、(中川淳庵)
11代将軍徳川家斉(父、一橋治済→大御所) 光格天皇(孝明天皇祖父;父、閑院宮典仁親王→太上天皇)