2月21日(金):
朝日デジタル(月刊安心新聞plus):広がる新型肺炎 弱者の視点に立つ契機に 神里達博
新しい病が、世界を揺るがしている。日々増える患者数に、私たちは不安を禁じ得ないが、「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」の基本に立ち返り、大局的に考えてみたい。
まず、「彼」は何者か。起源は、まだはっきりしない。だが、なんらかの動物からやってきたとされる。コロナウイルスの仲間は昔から、さまざまな哺乳類や鳥類に、それぞれ「お気に入りの居場所」を確保してきた。人類に「風邪」と呼ばれるありふれた病気を起こしてきた連中の一部も、そこに含まれている。
そもそも、「生命」の定義にもよるが、ウイルスは生き物とはいえない。なぜなら、自力で生きていくための「細胞」を持たないからだ。そのためウイルスは、常に他の「一人前の生き物」に、どっぷり頼って暮らす。例えば、風邪のコロナウイルスは、上気道、つまり鼻から喉(のど)までの、粘膜が古くからの住処(すみか)だ。
従って、ウイルスの立場から考えれば、居場所を提供してくれる宿主にダメージを与え過ぎるのは、愚かな選択だ。宿主が適度に元気で、次の宿主のところまで自分を連れて行ってくれるのが、望ましい。殺してしまうなど、愚の骨頂である。
しかしそれは、「馴染(なじ)みの相手」であることが条件だ。新型コロナウイルスも、そういう「良い関係」の動物が存在していたはずだ。だがなぜか、これまで縁のなかった「人類」にとりついてしまった。勝手の分からない相手に対しては、暴力性を発揮してしまうこともある。具体的には、新型コロナは、呼吸器系の比較的奥の細胞にとりつく傾向があるらしい。これが重篤な肺炎をもたらしているとも考えられる。
では今後、どうなっていくのか。一般にウイルスは、遺伝子を変えながら、できるだけ宿主に「優しい」方向に進化していく。そういう性質を獲得した株の方が、より多くのコピー(子孫)を作り出すことができるからだ。重い肺炎を起こすよりも、3日だけ鼻水が出る、くらいの方がウイルスにとっても都合が良い。
現段階では、このウイルスを完全に制圧しようと各国が奮闘中だ。当然、まだ諦めるべきではない。だが、もしそれができなかったとしても、ウイルスは将来、人類と「そこそこの関係」を保てるように進化し、また人類の側も徐々に免疫を獲得して、一般的な風邪の病原体の一つに落ち着く可能性もあるだろう。
*
考えるべきは、そういう段階になるまでの間に、このウイルスが私たちに及ぼす悪影響を、どうしたら最小化できるか、である。ここからは、「己を知る」ことも大事になる。
まず確認しておくべきは、疾病との闘いは常に、リスクや利益のトレードオフになる、という点だ。
たとえば、熱が出れば、解熱剤を使うのが当たり前になっている。だが、体温が上がるのは免疫力を高めるための自然な反応だ。実際、解熱剤を使わない方が、風邪の治りが早かったという研究報告もある。
しかし、ならば解熱剤を全く飲まなければ良いかといえば、必ずしもそうではない。高熱は体力を消耗し治癒力を弱める効果もある。要するに程度問題、バランスが重要であり、名医はその見定めが上手なのだ。
このような、さまざまな価値やリスクの比較・交換に注目すべきであることは、公衆衛生的な対策のシーンでも、本質的には同じである。
極論すれば、全ての社会活動を停止し、人の動きを止めれば、ウイルスは次の宿主が得られず、自然消滅するだろう。だがそれは、私たちの社会システムが「窒息」することでもある。そうなれば結果的に、感染症以外の原因で犠牲者が出ることもありうる。さまざまな条件を比較考量し、適切な選択肢を随時見つけていくことが、あるべき対策なのだ。
もちろん、その判断が難しいこともあるが、たとえば感染制御学という分野の専門家は、その道のプロである。クルーズ船への対応に批判が集まっているが、大切なのは、そのような専門知を適切かつ迅速に、ポリシーに反映させる仕組みだ。
その点で、米国の疾病対策センター(CDC)のような、強力な組織を持たない日本は、今回のような事態に対して脆弱(ぜいじゃく)と言わざるを得ない。2009年には新型インフルエンザの流行もあり、必要性の認識はあったはずだが、実現されていない。これを機に、必ず具体化すべきだ。
*
いずれにせよ最も重要なのは、患者が同時に集中発生して、医療資源を超過するような事態を避けること、そして私たち一人一人が「弱者」の視点に立って考えることである。
最新のデータでは、患者の約8割は軽症だが、5%程度が呼吸困難などで重体となっているという。
もし、「熱があっても休めないあなた」が、解熱剤を飲んで活動し、ウイルスを拡散させてしまうと、とりわけ、重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人の命を、結果的に危険に晒(さら)すことになる。
そもそも体調が悪いのに無理して働く人、働かせる人が、この国には多すぎる。現実には、大抵の仕事は「代役」でもこなせる。だからこそ、世の中はなんとか回っている。
同時に、休んでも不利益にならないよう、労働者を守るルールを徹底させることも大切だ。これを契機に、立場の弱い者への理不尽な要求や、陰湿な同調圧力を、この社会から無くそうではないか。テレワークにも注目が集まっているが、どんどん活用すべきだ。「禍(わざわい)を転じて福」となれば良いのだが。
難局を、理性的に乗り切りたい。
◇
かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。「ブロックチェーンという世界革命」など
朝日デジタル(月刊安心新聞plus):広がる新型肺炎 弱者の視点に立つ契機に 神里達博
2020年2月21日 5時00分
新しい病が、世界を揺るがしている。日々増える患者数に、私たちは不安を禁じ得ないが、「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」の基本に立ち返り、大局的に考えてみたい。
まず、「彼」は何者か。起源は、まだはっきりしない。だが、なんらかの動物からやってきたとされる。コロナウイルスの仲間は昔から、さまざまな哺乳類や鳥類に、それぞれ「お気に入りの居場所」を確保してきた。人類に「風邪」と呼ばれるありふれた病気を起こしてきた連中の一部も、そこに含まれている。
そもそも、「生命」の定義にもよるが、ウイルスは生き物とはいえない。なぜなら、自力で生きていくための「細胞」を持たないからだ。そのためウイルスは、常に他の「一人前の生き物」に、どっぷり頼って暮らす。例えば、風邪のコロナウイルスは、上気道、つまり鼻から喉(のど)までの、粘膜が古くからの住処(すみか)だ。
従って、ウイルスの立場から考えれば、居場所を提供してくれる宿主にダメージを与え過ぎるのは、愚かな選択だ。宿主が適度に元気で、次の宿主のところまで自分を連れて行ってくれるのが、望ましい。殺してしまうなど、愚の骨頂である。
しかしそれは、「馴染(なじ)みの相手」であることが条件だ。新型コロナウイルスも、そういう「良い関係」の動物が存在していたはずだ。だがなぜか、これまで縁のなかった「人類」にとりついてしまった。勝手の分からない相手に対しては、暴力性を発揮してしまうこともある。具体的には、新型コロナは、呼吸器系の比較的奥の細胞にとりつく傾向があるらしい。これが重篤な肺炎をもたらしているとも考えられる。
では今後、どうなっていくのか。一般にウイルスは、遺伝子を変えながら、できるだけ宿主に「優しい」方向に進化していく。そういう性質を獲得した株の方が、より多くのコピー(子孫)を作り出すことができるからだ。重い肺炎を起こすよりも、3日だけ鼻水が出る、くらいの方がウイルスにとっても都合が良い。
現段階では、このウイルスを完全に制圧しようと各国が奮闘中だ。当然、まだ諦めるべきではない。だが、もしそれができなかったとしても、ウイルスは将来、人類と「そこそこの関係」を保てるように進化し、また人類の側も徐々に免疫を獲得して、一般的な風邪の病原体の一つに落ち着く可能性もあるだろう。
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考えるべきは、そういう段階になるまでの間に、このウイルスが私たちに及ぼす悪影響を、どうしたら最小化できるか、である。ここからは、「己を知る」ことも大事になる。
まず確認しておくべきは、疾病との闘いは常に、リスクや利益のトレードオフになる、という点だ。
たとえば、熱が出れば、解熱剤を使うのが当たり前になっている。だが、体温が上がるのは免疫力を高めるための自然な反応だ。実際、解熱剤を使わない方が、風邪の治りが早かったという研究報告もある。
しかし、ならば解熱剤を全く飲まなければ良いかといえば、必ずしもそうではない。高熱は体力を消耗し治癒力を弱める効果もある。要するに程度問題、バランスが重要であり、名医はその見定めが上手なのだ。
このような、さまざまな価値やリスクの比較・交換に注目すべきであることは、公衆衛生的な対策のシーンでも、本質的には同じである。
極論すれば、全ての社会活動を停止し、人の動きを止めれば、ウイルスは次の宿主が得られず、自然消滅するだろう。だがそれは、私たちの社会システムが「窒息」することでもある。そうなれば結果的に、感染症以外の原因で犠牲者が出ることもありうる。さまざまな条件を比較考量し、適切な選択肢を随時見つけていくことが、あるべき対策なのだ。
もちろん、その判断が難しいこともあるが、たとえば感染制御学という分野の専門家は、その道のプロである。クルーズ船への対応に批判が集まっているが、大切なのは、そのような専門知を適切かつ迅速に、ポリシーに反映させる仕組みだ。
その点で、米国の疾病対策センター(CDC)のような、強力な組織を持たない日本は、今回のような事態に対して脆弱(ぜいじゃく)と言わざるを得ない。2009年には新型インフルエンザの流行もあり、必要性の認識はあったはずだが、実現されていない。これを機に、必ず具体化すべきだ。
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いずれにせよ最も重要なのは、患者が同時に集中発生して、医療資源を超過するような事態を避けること、そして私たち一人一人が「弱者」の視点に立って考えることである。
最新のデータでは、患者の約8割は軽症だが、5%程度が呼吸困難などで重体となっているという。
もし、「熱があっても休めないあなた」が、解熱剤を飲んで活動し、ウイルスを拡散させてしまうと、とりわけ、重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人の命を、結果的に危険に晒(さら)すことになる。
そもそも体調が悪いのに無理して働く人、働かせる人が、この国には多すぎる。現実には、大抵の仕事は「代役」でもこなせる。だからこそ、世の中はなんとか回っている。
同時に、休んでも不利益にならないよう、労働者を守るルールを徹底させることも大切だ。これを契機に、立場の弱い者への理不尽な要求や、陰湿な同調圧力を、この社会から無くそうではないか。テレワークにも注目が集まっているが、どんどん活用すべきだ。「禍(わざわい)を転じて福」となれば良いのだが。
難局を、理性的に乗り切りたい。
◇
かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。「ブロックチェーンという世界革命」など