Rhythm Technique Fightingspirits

藤枝MYFCを中心としたサッカー観戦記やサッカーに関する個人的な意見の書き込みが中心です。

北京五輪世代選手 総決算5

2008年08月27日 21時34分23秒 | オリンピック代表
【MF】

家長昭博 G大阪Y→G大阪→大分
ユース時代から能力の高さを評価されていた選手。ワールドユースでは水野と共に「世界に通用した数少ない選手」との評価を受ける。持ち味はなんと言ってもドリブルで2~3人に囲まれてもボールを巧にコントロールすることが出来る。G大阪では左SBなどで試されるも、守備での動きに課題がありスタメンを外れスーパーサブになってしまう。このため出場機会を求めて今年大分に移籍したが、2月に靭帯を痛めてしまい北京に行くことは出来なかった。ドリブル能力についてはJトップレベルなので、オフザボールの動きに磨きをかけて攻撃的なポディションで再び巻き返してほしい選手。



水野晃樹 清水商業→千葉→セルティック
高校時代はほぼ無名の存在だったが、千葉スカウトからキックの精度の良さを買われて千葉に入団する。1年目に7試合出場すると2年目からは完全に千葉のレギュラーになる。そのためワールドユース直前に代表に選出され、ワールドユースでは主にジョーカーとして活躍、先発出場したのは最後のモロッコ戦だけだったが、ワールドユースで家長と共に高い評価を得る。その後はクラブでも代表でも中心選手となり活躍する。右サイドでボールを持って1対1での仕掛けた時のトップスピードの状態のまま上げる正確なクロスはJでもトップクラスだった。今年セルティックに移籍するがそれが大きな誤算となってしまう。セルティックでは全く試合に出ることが出来ず、試合勘が鈍り北京五輪直前のトゥーロン国際大会での出来がひどく、反町監督もメンバーから落選せざるを得なかった。出来るだけ早くセルティックから試合に出られるチームにレンタルで出されることを期待したい。




青山敏弘 作陽→広島
広島では最初の2年は出場機会が無かったが3年目からレギュラーを奪い、そこから五輪代表チームにも召集されるようになった。献身的な守備とパス、ミドルシュートが持ち味で、作陽高校時代には選手権県大会決勝で放ったミドルシュートがゴールネットを揺らしたが審判の誤審でノーゴールとなり、優勝を逃したという経験をしている。また、北京五輪チームで初出場となった試合で試合中に怪我をしてしまい(悔しさから)泣きながらタンカで退場していたシーンなども印象深い。五輪アジア最終予選でのサウジアラビア戦の天王山でチームを救うシュートブロックをしているが、北京五輪本戦は本田拓にレギュラー争いで敗れた形になり落選している。




上田康太 磐田Y→磐田
小学校時代は読売SC、中学は柏JYと渡り歩いてきた選手。磐田Y時には名波2世と呼ばれ、同期の岡本、藤井、森下らと3年時には静岡で磐田Yの最強時代を築いた。06年からレギュラーに定着し今年はJアシスト王争いを演じている。精度の高いパスが持ち味だが、磐田では中心選手になりきれず起用貧乏的な感がある。昔は磐田Yの先輩である船谷とかぶる感じがしたが、上田の方が守備が出来る分チーム内で重宝され出場機会を得た。現在は磐田のチーム状態が良くないため、思い切って上田を中心にチームを完全に若返らせるくらいの思い切ったことをしても良いと思う。




枝村匠馬 清水Y→清水
清水ユースの3年時は10番を背負って中心選手として活躍していたが、大怪我をしたり、監督との関係がうまくいかなかったりして、大学進学を真剣に考えていたらしい。プロでは2年目にブレイク。ユースの先輩でもあるボランチの杉山浩太が怪我で離脱して抜けたダブルボランチのポディションで起用され、そのポディションを見事に自分の物にした。これはボランチの相方であった伊東が守備面での枝村の負担を無くした事によって、枝村の攻撃力が最大限に発揮されたことによる。昨季はフェルナンジ-ニョの加入によって出場機会が減り、北京五輪代表にも呼ばれなくなったが、今季はフェルナンジーニョが移籍したこともあり再び枝村の活躍する機会が増えている。




高萩洋次郎 広島Y→広島→愛媛→広島
高校2年時にJデビューし高校3年時にプロ契約した、「稲本を超える素材」としてこれまでの広島ユース出身選手の中で最も期待された選手。ユース代表では主にボランチを務めたが、他に中盤の全てのポディションとサイドバックで起用されている。しかし高校3年でプロ契約したものの出場機会はほとんど無く、3年間でリーグ戦8試合出場にとどまった。広島で出場機会を得られなかったことでワールドユース本大会メンバーから外れ、その後は代表に呼ばれることは無くなった。06年は愛媛にレンタル移籍し44試合に出場。そして今季2列目のレギュラーポディションをようやくつかんだ。個人的には3年でプロ契約せずに高柳や前田らと共にユースで試合に出ていた方が良かったと思う。好きな言葉は「芸は身を助ける」




高柳一誠 広島Y→広島
守備力の高いボランチとしてユース時代から注目され高萩と共にユース代表の常連だった。ワールドユースのアジア予選では高萩とダブルボランチを組んだこともある。また、サイドバックを務めることも多かった。ワールドユース本大会のメンバーに選ばれたが病気のため辞退している。広島ではなかなかレギュラーを取れず、守備固め要因から抜け出せずにいる。