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藤枝MYFCを中心としたサッカー観戦記やサッカーに関する個人的な意見の書き込みが中心です。

北京五輪世代選手 総決算3

2008年08月20日 23時35分11秒 | オリンピック代表
【DF】

中村北斗 国見→福岡
史上初めて3年連続で全国高校サッカー選手権決勝のピッチに立った男。高校時代はスッポンマークが持ち味のボランチの選手だったが、ユース代表では右サイドハーフで起用された。ワールドユースでは主力選手として試合に出場するが、初戦のオランダ戦で、オランダの左ウイングのオウスアベイーのスピードに乗った突破を止められずコテンパにやられてしまう。試合自体は後半にオランダが息切れしたこともあり追い上げるが1-2の敗戦だった。この試合でチームメートが「あそこまでやられる北斗君ははじめて見た。」という言葉があったが、そのくらいマンマークに定評のあった中村北斗が1対1で全く相手にならなかったという事実は関係者の間にかなりの衝撃を与えた。ワールドユース後も北京五輪代表に呼ばれ続けたが、試合で靭帯を痛めてしまいその怪我の影響により、結局最後まで北京五輪代表に復帰することはなかった。(直前の候補合宿には呼ばれた)中村北斗が怪我で離脱すると、内田が頭角を現しそのままA代表に定着するという形になった。選手名鑑では「福岡の至宝」と表記されるなど非常に期待度は高く、今後の活躍が十分に期待できる。因みに中村がボランチをやっているところを最後に見たのは国見高の時で、それ以来ボランチをしているところは見たことが無い。



柳楽智和 立正大松南→福岡
「化けるか消えるかどちらかの選手」というのが彼が評価を受けるときによく用いられた言葉。ハードマークが売りでポテンシャルは凄い物があるが、ボンミスが多い選手だった。個人的には高校選手権で藤枝東を1回戦敗退に追いやった時のイメージが強い。ワールドユース時は本大会メンバーに選ばれなかったが、直前に高柳が離脱したことにより追加召集を受け、高柳のポディション(DH)に本来CBの小林が入った為、柳楽が全試合CBでスタメンフル出場を果たした。ワールドユースではこれといったミスは見られなかったが、ワールドユース後は福岡でスタメンを奪えず、北京代表に呼ばれることは1度も無かった。未だに福岡で定位置を確保しておらず、このまま消えてしまわないか非常に心配。



一柳夢吾 東京VY→東京V→鳥栖→東京V→仙台
対人プレーに強くCBとSB両方で起用が出来る選手で、アジア競技大会でチームの主力として戦ったが、その後は東京Vで定位置を確保することが出来ず北京代表に呼ばれることも無くなった。今年からは心機一転仙台に移籍した。



千葉和彦 日生学園二高→アプルドーレン→ドートレヒト→新潟
高校卒業後オランダに渡り経験を積み新潟に加入した逆輸入選手。北京五輪代表ではアジア競技大会の時に召集を受け出場している。元々はボランチで重心の低いどっしりとした幹事のある選手。



田中裕介 桐光学園→横浜FM
Fマリノスで左SBとCBをつとめ、北京五輪代表にも左SB候補として候補合宿に呼ばれたことがあるが、所属チームで小宮山とのレギュラー争いに敗れ、五輪代表にも呼ばれなくなってしまう。今後も所属チームで小宮山から定位置争いが続く。



岩下敬輔 鹿児島実業→清水
全国高校選手権を制覇したときの主将で、守備的なポディションならどこでもこなせる器用さを持っている。同期の青山に比べ出場機会が少なく五輪代表に呼ばれたことは、候補合宿に数回呼ばれただけだった。鹿児島実業時代に清水に練習参加した際森岡が「この選手は絶対にとれ」と言ったことがある。現在清水で徐々に出場機会を増やしている。



藤本康太 熊本国府高→C大阪
北京五輪チーム立ち上げ時、数少ない所属チームでレギュラーを獲得している選手だったので、北京五輪代表の中心選手になるかと思っていたが、反町監督はチーム立ち上げ時からこの藤本はあまり起用せず、結局親善試合に1試合出場しただけだった。所属チームでは守備のユーティリティープレーヤーとして起用されるようになり、次第にスタメンではなくチームの穴埋めの役割をになうようになっていった。