北京五輪が終わり、これでこの年代別代表の活動にひと区切りがつきました。
今後は、A代表目指して、日本サッカー界の顔になっていくべき選手達ですが、ここで北京五輪世代選手達に対する個人的な感想を書いていきたいと思います。
【GK】
西川周作 大分Y→大分
この世代の正GK。ワールドユースの前(18歳位)の頃は磐田Yの松井と正GKの座を争っていたが、大分でプロ1年目からレギュラーの座をつかむと、それからはずっとこの西川が正GKの座に座り続けた。(怪我をしていた時期を除く)素早い反応以上に左足での正確なキックが武器で、ユース時代にはFKを直接決めたこともあり「和製チラベルト」と呼ばれたこともあった。ただこの西川のFKに関しては、「蹴る機会があれば狙っていきたい。」とワールドユース本大会の前に語ったのを最後に、それ以降は西川がFKを蹴るという話は全く聞かなくなった。もし西川が右利きだったら、北京五輪本大会での右足のキッカーは西川が務めていたかもしれない?
山本海人 清水Y→清水
ユース時代から能力の高いGKとして知られていたが、代表でもクラブチームでも常に2番手から3番手のGKだった。転機は西川の怪我で巡ってきた五輪アジア予選で4試合に出場し、そこで反町監督の信頼を獲得し北京メンバー入りを決めた。クラブチームではレギュラーの座に届きそうで届かない状態が続いている。
松井謙弥 磐田Y→磐田
中学生時代に地元のスポーツ新聞に取り上げられるなど、当時は同県の山本海人よりも注目され、ワールドユースのアジア予選までは、西川と正GK争いをしていたが、西川が大分で正GKになったのに対して、松井はずっと控えだったことで西川に正GKの座を完全にあけわたす格好になった。その後の磐田で川口の壁を越えられず出場経験が得られず、結局は北京五輪メンバーからも外れてしまう。
佐藤昭大 広島Y→広島
広島Yからの初のGKで、1年目からいきなりトップデビューを果たした広島期待のGK。しかし2年目は出場機会に恵まれず3年目は愛媛に期限付き移籍して28試合の試合経験を積んだ。代表には1年目に呼ばれて以来呼ばれなかったが、広島期待の若きGK。
【DF】
水本裕貴 三重高→千葉→G大阪→京都
この世代でずっと中心に居続けたDF。三重高時代は国体選抜に選ばれる程度の無名選手だったが、U-18の大熊監督に見出され千葉からのスカウトを受けてプロ入りした。プロ1年目から出場機会を得たことでユース代表の常連となり、スピードを生かしたハードマークで外国人FWを封じるプレーが注目された。ユース時代の代表では左SBで起用されることも多かった。マンツーマンDFの申し子というイメージがある。
森重真人 広島皆実→大分
広島JYから広島Yに上がれず広島皆実へ進学した選手。高校時代はボランチでハードなDFをしていたが、プロになってからはCBの真ん中で起用されチームの期待に応える活躍を見せる。ワールドユースの代表には滑り込みで代表入りを果たし、3試合に出場している。空中戦に強く時にダイナミックなプレーを見せるスタイルはどこか福西を思い出させる。
吉田麻也 名古屋Y→名古屋
名古屋ユース時代は、主にアンカーで、DFラインの前で相手の攻撃を跳ね返し続けていた。とにかく高くて強い名古屋ユースを象徴するような選手。プロ入り後もボランチでプレーしていたが、CBに怪我人が続出したことでCBで起用されたことが当たり一気にプロ1年目からレギュラーの座を獲得しそのままオリンピック代表の座まで上り詰めた。個人的に森重と吉田の2人は、非常に伸びしろが大きいと思っている。
続きはまた次回書き込みます。
今後は、A代表目指して、日本サッカー界の顔になっていくべき選手達ですが、ここで北京五輪世代選手達に対する個人的な感想を書いていきたいと思います。
【GK】
西川周作 大分Y→大分
この世代の正GK。ワールドユースの前(18歳位)の頃は磐田Yの松井と正GKの座を争っていたが、大分でプロ1年目からレギュラーの座をつかむと、それからはずっとこの西川が正GKの座に座り続けた。(怪我をしていた時期を除く)素早い反応以上に左足での正確なキックが武器で、ユース時代にはFKを直接決めたこともあり「和製チラベルト」と呼ばれたこともあった。ただこの西川のFKに関しては、「蹴る機会があれば狙っていきたい。」とワールドユース本大会の前に語ったのを最後に、それ以降は西川がFKを蹴るという話は全く聞かなくなった。もし西川が右利きだったら、北京五輪本大会での右足のキッカーは西川が務めていたかもしれない?
山本海人 清水Y→清水
ユース時代から能力の高いGKとして知られていたが、代表でもクラブチームでも常に2番手から3番手のGKだった。転機は西川の怪我で巡ってきた五輪アジア予選で4試合に出場し、そこで反町監督の信頼を獲得し北京メンバー入りを決めた。クラブチームではレギュラーの座に届きそうで届かない状態が続いている。
松井謙弥 磐田Y→磐田
中学生時代に地元のスポーツ新聞に取り上げられるなど、当時は同県の山本海人よりも注目され、ワールドユースのアジア予選までは、西川と正GK争いをしていたが、西川が大分で正GKになったのに対して、松井はずっと控えだったことで西川に正GKの座を完全にあけわたす格好になった。その後の磐田で川口の壁を越えられず出場経験が得られず、結局は北京五輪メンバーからも外れてしまう。
佐藤昭大 広島Y→広島
広島Yからの初のGKで、1年目からいきなりトップデビューを果たした広島期待のGK。しかし2年目は出場機会に恵まれず3年目は愛媛に期限付き移籍して28試合の試合経験を積んだ。代表には1年目に呼ばれて以来呼ばれなかったが、広島期待の若きGK。
【DF】
水本裕貴 三重高→千葉→G大阪→京都
この世代でずっと中心に居続けたDF。三重高時代は国体選抜に選ばれる程度の無名選手だったが、U-18の大熊監督に見出され千葉からのスカウトを受けてプロ入りした。プロ1年目から出場機会を得たことでユース代表の常連となり、スピードを生かしたハードマークで外国人FWを封じるプレーが注目された。ユース時代の代表では左SBで起用されることも多かった。マンツーマンDFの申し子というイメージがある。
森重真人 広島皆実→大分
広島JYから広島Yに上がれず広島皆実へ進学した選手。高校時代はボランチでハードなDFをしていたが、プロになってからはCBの真ん中で起用されチームの期待に応える活躍を見せる。ワールドユースの代表には滑り込みで代表入りを果たし、3試合に出場している。空中戦に強く時にダイナミックなプレーを見せるスタイルはどこか福西を思い出させる。
吉田麻也 名古屋Y→名古屋
名古屋ユース時代は、主にアンカーで、DFラインの前で相手の攻撃を跳ね返し続けていた。とにかく高くて強い名古屋ユースを象徴するような選手。プロ入り後もボランチでプレーしていたが、CBに怪我人が続出したことでCBで起用されたことが当たり一気にプロ1年目からレギュラーの座を獲得しそのままオリンピック代表の座まで上り詰めた。個人的に森重と吉田の2人は、非常に伸びしろが大きいと思っている。
続きはまた次回書き込みます。