シャンソン 歌手の 雨のブリュッセル
今日も雨が降る こんな日には あの街を 思い出す。
私の二十代の後半から三十代まで 声楽家として
ブリッセルと パリが 人生でした。
一人で 異国の地で 音楽だけに生きていました。
今日のように 冷たい雨と 重いい雲が 灰色の石畳の世界。
しかも
ヨーロッパで 認められて 一線で活躍したい為
コンセルバトワール の大学院を卒業する まで 奨学金だけでは
勉強するレッスン代 も とても 足りないし
卒業した後も
コンクールや オーディションで なかなか
一番になれないので
私の人生で一番 寂しくて 暗い時期でした。孤独でした。
ある意味
音楽家として 目的意識が ぶれていたかもしれません。
あの頃の私は 今よりずっと ペシミスト。
音楽家の道は 限りなく長く厳しく 孤独で 達成感が無く いつも 自分の
下手さ に 落ち込んでいて コンクールに落ちるたび
もう 歌手はやめてしまおう・・・・と 思い悩んでいました。
愛し愛される人が いても 何の救いにもならず
音楽の道は 重く 辛く
夢は 常に 破れて お先真っ暗という 感じでした。
あの時代に 依頼されたリサイタル 結構凄い内容で
オラトリオ ミサ曲 のソリスト オペラ出演の プログラムを見て
残っている 録音を聞くと 結構 若いのに 良く歌っているし
大人っぽい しっかりした 音楽性。良い声で歌っています。
あの時点で
輝かしい 未来もあるように 今は 冷静に 聞けます。
でも 本人は 何の才能も無く 技量も無く 音楽家になる素質もないと
勝手に思っていて 現在の私のようなシャンソン歌手になるなんて
まったく 未来予測 出来ませんでした。
冷たい雨の日は 若かりし 辛い 音楽生活を 思い出します。
あの 二十代の 三十代の 孤独と 勉強の日々は 私の心の片隅に
すっかり 住み着いて 未だに 音楽に対して
本物志向 インターナショナルを目指し
真剣で 自分に厳しく おどおど しています。
マスコミなどで 有名になることや
日本で CDが売れるとか そんなことは どうでも良くて
五感を磨き 魂を磨き どの国の人々にも分かるフランス語で
内容の深い 人生のシャンソンを 創作し続けたい
今日も朝まで 店で練習して 朝帰り。
店の窓に 生徒さんから頂いた 紫の蘭が バイオリンのランプの横で
かわいい事。 雨の 銀座並木通り。