シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  シャンソン芸術

2017年07月18日 01時36分12秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  シャンソン芸術

パリ祭の時期も ナタリーさんのレッスンでは
毎週 ボージョレのリサイタルで歌う19曲の発音矯正を
し続けてはいたのですが
この二週間は
どうしても パリ祭本番の脳神経になっていて
他のシャンソンの発音には専念できず 練習不足でした。

なので あーあー 
末永さんに頼んで わざわざいらしていただいて
ナタリーさんに 全曲聴いていただくのに
あまり
暗譜に 自信が持てない曲ばかりで 憂鬱でした。

ナタリーさんは 成城学園駅まで電車で来て下さり
私は 駅まで迎えに行きました。
気温が 36度の午後三時。

約二時間
末永さんに 伴奏して頂きました。
一曲歌うごとに フランス的でない発音を 指摘して頂き
やり直したりして
なんとか 全曲 終えました。

ばしばし びしびし 幾度も 発音を直して
私も 繰り返し オウムの様に てんてこ舞いで
修正して会得しようとする必死な姿を
末永さんは 真ん丸な目で見て 仰天していました。

フランス人のプロは実は日本人より 稽古は厳しいです。
特に 芸術と美に関しては とても 厳しい。

アンコール曲は
アカペラで さくら さくら ---という日本古謡

バルバラの 九月SEPTEMBREの フランス語歌詞を
私の ラストソングとしての言葉に 少し変えて歌います。

葡萄の収獲の季節 
煙草の煙とともに 愛は行ってしまい
私の心は 止まってしまう

という バルバラの作詞の歌詞で 芸術的な脚韻。

調度 ワインの産地ボージョレ収穫祭 
の私のリサイタル
ラストソングにぴったりのシャンソン。

「なんと 素敵な季節なのかしら 九月
葡萄の収穫の季節
お別れの時としては なんて美しい時なのかしら
また おあいしましょう」 
と 私の言葉を 足しました。

ナタリーさんは 「あーきっと 私 この りりの
さくら と 九月というシャンソンを 最後に
聞いたら 泣いちゃうとおもう」と・・・

毎度ですが 愛の讃歌のときも 美しい・・・と
涙を浮かべて
ナタリーさんは 好きらしいです。

フランス文学の学位と 経営学の学位もあるという
ナタリーさんは
抒情的で 芸術を愛する 美を愛する
涙もろい可愛い人なのに
とても 行動力 自立心 企画力がある
男前な シャープな切れ者です。

今回の リサイタルの会場 照明 音響 ポスター印刷
すべて
どんどん ばんばん 一人で フランスに五月連休に
帰国した時に 決めてきたようです。

仕事が 早くて 回転も速くて 
そして 細かい準備を 猛烈スピードで熟してしまいます。

リリは 私のコンサートの為に 伴奏者まで
頼んで 今日 準備してくれて ありがとう。
今日は ぜったいに レッスン料は いらないと
拒否されてしまいました。

そして 明日から
ナタリーさんは 今月7月中は 日本中を家族と夏休みの旅をして
八月は アメリカに行き そしてフランスに戻り 九月まで
レッスンは しないと おっしやるので
私は このまま レッスン無して
いきなり 九月コンサートだなんて とても怖くて 

えーぇ
これが コンサート前の最後のレッスンなの?
とても 自信がないです。

子供みたいに 懇願したら
アメリカに行く直前の7月31日に
もう一回 稽古してくださると ・・・
おっしゃって下さり

ありがとうございます。
神様に 見えちゃいました。

私の心も魂も 芸大受験していた あの15才の頃と変わらず
それからも 全然 なんら 大人になれず
20才の時 30才の時 40才の時 50才の時
ずっと 自分の技術不足への心配と恐怖を
背負い続けています。

私は 下手なんだ 私は駄目だ
だから どこが 駄目か 教えてもらって 直さなきゃ

欠点を 直せば 少しは 良くなるかも
ずっと 指導を求め続けている芸術の道です。

プロになっても 同じで
いつになっても 自分が下手だとしか思えないから
参ってしまいますよ。
いつになったら 少しは 自信がもてるのかなぁー

今回歌う19曲の中で 暗譜に懸念があるものが
約半分あります。

そして 暗譜は出来ていても 発音要注意のシャンソンが
五曲ぐらいあります。
という訳で まったく 自信の無い 二か月後の
ボージョレ祭の リサイタル。

後二か月で なんとか 少しはマシにしなくちゃー
こういう どん底気分から 救ってくれるのが
練習の積み重ねなのですが

加齢と暑さのせいで 気力が今一つ ないです。
あー それも含めて私の実力
気力満載でもなし 我武者羅にもなれないし
落ちこぼれない程度に 溺れて沈まない程度に

シャンソン芸術への 求道心だけが 広い海原で
泳いでいる 海の日です。