シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソンポエムの世界

2018年02月06日 23時44分07秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソンポエムの世界

先日 日本シャンソン協会から 届いた アンシャンタン プリュス
という 小雑誌の 大野修平さんというシャンソン評論家の記事で
シャンソン歌手LEO FERRE
レオフェレの ことが 書かれてあり

その内容に とても 共感が持ててしまいました。
ガッテン

その記事を そのまま 抜粋いたします。
勿論 フランス語のポエム詩は 既に 韻を踏んだり pASの数に
制限があったりなど 規則的で 高度な技術で作成してあり
芸術作品ではありますが
レオフェレは 自分の詩だけではなく
ヴェルレーヌ ランボー アポリネールなどの古典の詩人の
詩に作曲して 自ら歌うという
本格派の シャンソン歌手です。

レオ・フェレは書いた。
「詩は叫びだ。詩は 音楽のように聴かれなければならない。読まれるためだけに書かれ
活字の中に込められている詩はすべて完成したものではない。
詩は声帯を通してはじめてその性を得る。
ちょうどヴァイオリンが それに触れる楽弓によってその性を得るように。」

LA POESIE EST UNE CLAMEUR、 ELLE DOIT ETRE ENTENDUE COMME LA MUSIQUE、
TOUTE POESIE DESTINEE A NETRE QUE LUE ET ENFERMEE DANS SA TYPPGRAPHIE
N`EST PAS FINIE;
ELLE NE PREND SON SEXE QU`AVEC LACORDE VACALE TOUT COMME LE VIOLON PREND SON
SEXE QU`AVEC LE SIEN AVEC L`ARCHET QUI LE TOUCHE.


私の昔々
声楽家時代に 歌っていた曲は
ほとんど 古典の詩人の曲ばかりで フランス歌曲もさんざん歌いましたけれど
なかでも ボードレールの「旅への誘い」という詩の
デュバルク作曲の名曲 芸術歌曲は
私の レパートリーでした。

その 旅への誘い の詩に レオ・フェレが 作曲したシャンソン
は 私のお弟子さんの男性で レオフェレが大好きだった方が
習いにいらしていた8年くらい前
ご一緒に 学んだことがあり
そのことが とても印象に残っています。

なぜ 敢えて デュバルクの古典名曲のメロディーが世間で有名なのに
その 詩を フェレが 何故シャンソンにしたのかなぁーと
思ったものですが

旅へ誘い L`INVITATION AU VAYAGEは 退廃と甘美 官能の美的な詩。

声として 語りたい 落ち着きある
シャンソン的な 作曲が フェレ

クラシックのデュバルクの作曲は 壮大で優雅
ゴージャスな美声と 豊かな声量が必要な作品です。

私の感覚では そう感じています。

大野修平さんの記事の中にも 書いてありましたが
敢えて 大作曲家デュバルクの 秀作があるのに
シャンソンとして作曲をした レオフェレの 言い分は

デュバルクは 詩を全て 活用せず省略した部分があり
フェレは 全部 メロディーに乗せたのです。

先日 芸大の親友とも話したのですが
クラシックの歌曲は 言葉が 少ない。
逆に シャンソンは とんでもない言葉数
ということで・・・

クラシック歌曲では 声の美を聞かせる為
シャンソンは 言葉の美を 聞かせる為
ということになります。

でも 語るにした所で 歌う声 音を出すとき
魂や 心や 時としては美的な音の色 色々な音色が
無ければ 無意味なので
どちらにしても 人間の 声というものが
人間の言葉を 表現して
ヴァイオリンには 言葉がないから・・・

歌は 文学と音との合体で より 人間的な味が必要な
特殊楽器というわけです。
そして 詩を 感性で理解して 自分の色を
奏でなくてはならない・・・

LA VIE EN ROSEを 歌うとき 私は ピンクのバラを
想像しないで・・色的には 白いバラです。
白いバラの花ことばが  「私は貴方に相応しい」だからかもしれませんが。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 防音室での 深夜稽古

2018年02月06日 04時49分36秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 防音室での 深夜稽古

最近は
寝る直前の 記憶が 一番効率よい・・と
情報がありますけれど

本能的に 昔から 寝る前に
勉強したり
稽古したりしてきたので 要領がよいタイプ
だったのかもしれません。

試験勉強や 受験のときなどは
夜中しつづけて そのまま 試験へでかけて
記憶を そのまま 答案に書いて
机に伏して よだれ垂らして 寝ていたことも
あるほど

体力があったのか 低血圧で省エネ体質なのか
徹夜とか 睡眠不足には めっぽう強いけれど

寝ないと 声には良くない・・と
声楽家 オペラ歌手時代は 無理無理 八時間近く
睡眠薬 を 私に飲ませて
寝かしつけてきました。

憂鬱で寝れないのではなくて
深夜に 勉強したり 稽古するので
興奮して 覚醒してしまい
寝れないだけです。

今年は 異例 
寒すぎて 起きてから もう一度寝れてしまいます。
暖房が 効いてくるころ 起き上がる。

本日は 防音室で フルボイス稽古し続けたら
深夜三時過ぎに
とても お腹が空いてしまい
夜食に 焼きそばを作成して 今 ぽんぽこタヌキ。

あーーもう 明け方 五時過ぎてしまいそう。
ねまーす。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 二月の 極寒が続く シャンソン稽古場

2018年02月06日 04時18分44秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 二月の 極寒が続くシャンソン稽古部屋


昨日も 本日も 我が家から一歩も外へ出かけず
過ぎました。
お稽古にいらしてくださる昼間は
有難い 人の温もりと会話と笑いがあります。

日が暮れて 誰も居なくなると
しんしん と 寒さをかんじるので
昨年11月半ばから続く 長い寒さで 孤独という言葉をしみじみと
感じます。

動くもので 温度を発する
猫 犬 人 が 存在するのと
誰もいない・・・というのでは
温度も かなり違います。

お一人様の お弟子さん達で 一軒家に
住んでいる方々と話すと
今年の寒さと孤独について
笑い話として するのですが
実に しみじみ 感性が合います。

暑いと孤独は似合わなくて
秋の頃は さみしさ
春の桜は 切なさ
極寒になると 孤独という言葉がぴったり。

ベルギーに一人で住んでいた時は
寂しくて 淋しくて・・・パピヨンという犬を
ついつい 飼ってしまいました。


犬が 他界したときの 寂しさの方が
もっともっと ずっと苦しいとことが分かったので
もう 二度と 犬は飼えないです。

本当に 極寒の ひとりきりは
寒いものです。
私は 肌の一部になる孤独というものを知れた
お一人様の極寒の 冬人生にも
ある意味 感謝しています。

知らなかったなら 人の優しさ 有難さも
暖かさを
求めなかったかもしれませんし
人懐っこく 
会えてうれしい・・みたいに なれないかもしれません。

皆さんが帰り お稽古場が 冷える前
今朝届いた ピーちゃんパパの 市場の花達と
戯れ 生け花いたしました。

何かを夢中でしていると
孤独感は 掻き消えます。
花達には 暖かい温度は無いけれど
新鮮な 生気と ビタミンカラー や
ときには
まぶしい赤い強いエネルギーを 放ってくれて
香水のような かぐわしい香りで
甘い世界へ 誘ってくれます。

孤独という色が 灰色なら そこに ピンクや薄いブルーや紫が
斜めに差し込むような
そんな 渋いパステルカラーの世界が
私の心の中で 膨らみます。
そして
花達を すべて 花瓶に生けて終わるころ

本日は 二時間で 生け終わりましたけれど
すっかり 心の中は バラ色の人生・・・

ありがとうございます。感謝の バラ色人生。
花の色と 香りが マインドに与える生命力の数値は
測ることはできないけれど

本能的な私には ひしひし びしびし 届きます。
本日 月曜日の 花達に 大感謝です。