シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ長坂玲東京シャンソンアカデミー

2010年12月03日 03時14分23秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ 長坂 玲 PARISの思い出

初めてパリに行ったのは 私が29歳 の時で ベルギーに留学中でした。
奨学金で買った BMWの中古車 左ハンドルマニュアルのポンコツで
パリまで 行きました。
ベルギーに初めて着いたときも パリの街を見たときも
何だか 初めての気がしなくて 昔から住んでいた様な
当たり前のように感じたものです。
全てが私にとって 心地よく 食べ物も ファッションも
街の景色も 肌になじみました。
ベルギーのブリュッセルという街や 東京が田舎に感じました。
芸術的 ハイセンスな都会は 私を虜にしました。そして
初めてパリで買ったものは 今でも持っています。
LANVINのブーツ。
あれから36年経っても パリの街は 何も変わりません。
ただ 移民の二世達が増え 白人より有色人種が目立ちます。
留学生時代 まさか シャンソン歌手になって パリで歌うようになるなんて
夢にも想像していなかったです。
クラシックの声楽家として パリのオペラ座で
オペラに出たいという夢しかなかったので
パリ でもオーディションなど 良く受けましたけれど
いつも 駄目でした。
夢破れ あの頃は 空がいつでも 暗かったし 心も晴れずに
時には 才能を見切って 「死にたい」とまで 思った事もありますが
「歌手を辞めてしまおう」と34歳の頃 一度日本に戻りました。
でも 運命は また ベルギーで歌う仕事を 沢山くれて
日本とベルギーを行ったり来たりの歌手生活が続き・・・
最終的には 38歳の時 音楽活動を辞め 父親の会社に入社して
公の歌手の生活を捨てました。銀座で五店舗の社長業。その時は
仕方なく 無我夢中でしたけれど 違和感のある職種でした。
でも パリやベルギーへは毎年
一回か 二回 遊びで行き続けてられていました。
運命って不思議です。意図しない事が 起きるものです。
夢を捨てて ただ 父の会社で滅私奉公し働くだけの生活の中
声帯が 水ぶくれになる病気になり 話すことも出来ず
慶応病院で手術して声が出てから 私の人生は変わりました。
歌うことが 喜びになったのです。歌えることに感謝の日々。
シャンソンを 自分の店五店舗の中のクラブで 毎日歌っていたら
いつの間にか レパートリーが増えて シャンソン歌手になっていました。
44歳の秋 ヤマハホールで 二回 シャンソンのソロリサイタルを致しました。
それから 毎年リサイタルをヤマハホールで続け 何だか 自分が
考えた事の無い 現在に至ります。
夢は叶う・・・という 人生教訓は 私には通用しないです。
音楽の神様が 私を見捨てないでくれただけ。
パリの街に行くと
過去から現在まで 何も変わらない 街並みなのに
私の恋も夢も理想も 何もかも変わりました。