私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

クリスマスローズ展

2015-02-23 16:26:51 | 日記
 2月23日(月)  天気:曇りのち晴れ  室温;18.8℃ 暖かい

 きょうは 手柄山の温室植物園へ ”クリスマスローズ展”(共催:日本クリスマスローズ振興協会)
を見に行きました。 ・・・・可憐な一重咲き、人気の八重咲、 育ててみたくなるクリスマスローズ・・・・
 きのうの新聞に 載っていたので 一日 遅れてしまいました。 新聞には 「合格の花」 として 受験
生らに 人気があるそうで 見ごろを過ぎても 「落ちない」 ことから 「合格の花」 と 縁起がいい呼び
名でも 親しまれているそうです。 クリスマスローズは 下向きに咲く花 と思っていましたが 最近
は 上向きに咲くものも あるようです。 下向きに咲くと 写真が撮りにくい・・・・。


色とりどりの30種、約200点が 展示されています。 欧州・地中海周辺に自生する花で
色合いや 形の異なる新種が 次々に 誕生しているそうです。 種をまいてから 花が咲く
まで 3年ほどかかる・・・。
 ”クリスマスローズ伝説” については 昨年の 〈 3月4日のページ 〉 を ご覧ください。


 クリスマスローズは 早春の庭を彩る花として 広く親しまれているキンポウゲ科の多年草
です。 クリスマスのころに バラのような花を咲かせることから この名がありますが 実際
は クリスマスのころに 花を咲かせるのは 原種の一種 「ニゲル」 という種類で 交配され
て生まれた 多くの種類は 2月から4月の早春に 花を咲かせます。 可憐な花の姿に似合
わず 丈夫で 育てやすい花です。

 「クレオン」 は クレヨンで 擦ったような かすれが 維管束に 沿わずに 花弁の内側に
色が かすれ気味にでてくる 再現性の難しい株です。 また 花弁に グラデーション的に
現れる場合もあり コントラストのはっきりした株は なかなか出にくい。
 表情を作るためには スポット、フラッシュ、ベインなどがあり この花に関しては ダー
ク系の花の中にある花弁自体に 別に 色が にじむような性質を・・・・・。



 2月になって ”リュゼツラン” が咲きだしたそうです。 3月4日の神戸新聞にも 記事が
あり 数十年に 一度 花を 咲かせるので センチュリーフラワーと 呼ばれる リュウゼツランが
二株 同時に 咲き始め 大変珍しい。 花後は 枯れてしまう・・・。



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西国街道 門前・正條・片島

2015-02-21 15:47:45 | 歴史探索
 2月21日(土)  天気:晴れ   室温:17.2℃

 きょうは いい天気で 暖かく 風も穏やかそうだったので 西国街道の鵤荘から西の
揖保町の門前~正條宿~片島宿を 自転車で 歩いてきました。
 先日 太子町の歴史資料館でもらった資料の ”山陽道を歩こう ~相生から鵤~” と
地図を参考に 史跡を巡ります。 大して見るものはありませんでした。 驚いたことに
了福寺で 漆道の岡田さんに お会いしました。
 帰りに 正條から 南へ回り 揖保川町袋尻?の丸亀藩使者場跡と 道標を見て 南の
王子橋を 渡って 帰りました。 片道10kmほどかと思いますが 帰ると 腿も肩も 痛い・・。
10:20 に 出発し 帰ったら 14:45でしたが 私には これくらいが 限界かも・・・・。

 家を出て 北へ行き 太子山の裾を北へ廻り 西国街道に入り 街道を まっすぐ 西へ走ります。
茶屋垣内地蔵の先が 林田川です。 前回 ここまで来たので 今回は ここが スタート地点です。
北の旧国道の誉鳩橋を 西へ渡り 南へ下ります。 村の中の細い道が 西国街道です。

 この辺りには なにもありません。 新幹線がありますが カメラを出す 間もなく 走り去って
いきます。 右に 弥右衛門の石碑があります。 説明板が ないので 詳しことは 分からず。
前に 地理院の水準点があります。 二等? 2.5万の地図・網干で見ると 標高12.8m。

 その先で 女性に尋ねると 宝林寺へ案内してくれましたが 西から ぐるっと大回りして 国道
の方から 廻るのです。 「あそこの大きな屋根の・・」 と言われても・・。 お寺へ行くのに 東から
回って 結局 大きく一周させられました。 目も回る?

 雲門山・宝林寺は 京都紫野 大徳寺開山 大燈国師の誕生地を 記念するために 建てられた
寺である。 国師は 南北両朝の天皇の師となった 禅宗の高僧で 歴代朝廷より 650年間に
8回 国師号を賜っている。 境内には 国師誕生の産湯の井戸伝説と秘めた 夜泣きの水鉢など
見るべき宝物が 現存する。  が 宝物は な~にも見ることができませんでした・・・。

 乗願寺は 確か 街道沿いにあったと思います。 乗願寺の前で 女性に 道を尋ねたので
先に 宝林寺へ行くことになりました。

 街道は 南西方向に曲がります。 その先の揖保村道路元標を 探すのに 苦労しました。
メモに 郵便局前と書いていたので・・。 悪いことに 少し北に 西構郵便局があるのです。

 郵便局の前を 探していたら 運よく 女性が 通りかかり 案内してくれました。 親切な人で
した。 元標を知っていた訳ではありませんが きっと これでしょうと・・。 道路脇の民家の敷地?
にあります。 ちょっと 分かりにくい。 道路元標には 揖保村とありました。
  
 ここで 街道を離れ 南にある崇道天皇神社へ寄ります。 崇道天皇神社の御祭神は 崇道天皇、
恵美酒大神、厄除大神。 崇道天皇は 光仁天皇の第二皇子 桓武天皇の皇六弟で 早良親王と
申し上げる。 延暦19年 七月第廿三日 天皇称号を追贈。
南に 参道が伸びていて 大鳥居もあります。 社殿は 銅板葺きで 緑青が出て いい雰囲気でした。

 西国街道に戻り さらに 西へ進みます。 踏切に差し掛かると カネが鳴り JRの電車が
来ました。 続いて 上りの貨物列車も来て 往復ビンタですが 踏切は 渡らないので・・・。
ここに UCCコーヒー?の工場があり 街道は 行き止まりになります。 右に曲がり UCCの
工場の間を抜け 一旦 国道に出ます。 左は ニトリです。 坂道を上がり 揖保川大橋へ。 

 下流に JRの鉄橋があり その辺りが ”正條の渡し” だった? 橋を渡り 左折して 揖保川
の土手を南へ下ると 大きなくり?の木の下に ”正條の渡し場跡” の標柱があります。
 明治のはじめまで 山陽本線 正條鉄橋のやや川下に 高瀬舟が 浮かび 乗客を待っていた。
旅人を乗せた舟が 川を横切っていく 今では 見ることのできない のどかな風景であった・・・。
※この辺りに 高瀬舟が浮かんでいたとすると 官兵衛が 秀吉から 揖東郡をもらって 山崎に
  城を構えたとき 網干と山崎の間に 高瀬舟の航路を開いたので そのお陰かも・・・・。

 土手から降りて 街道を西へ行くと 揖保川郵便局があり ここに 道標があります。
左 たつの 山崎は 何とか 読めますが 右は・・・。 少し先に 「明治天皇駐輦所」 の石碑
がありました。 傍に 「本陣井口家」 の標柱があります。 往時の姿を うかがい知ることは
できないが 明治18年(1885)8月に 明治天皇が 休憩された御座所が 復元されている。


 街道を さらに西へ進みます。 県道120号線を横切るとき 北のJRの踏切を 智頭急行
スーパーはくとが 一瞬のうちに 通り過ぎて行きました。

 県道を横切ると 竜野駅です。 ここから先は 見るべきものもないので 引返しても良かった
のですが ついつい先へ進んでしましました。 馬路川を渡ると 一里塚跡があるようですが・・・。
見つかりません。 何もないのかも・・・。 圓尾碑を見て 石仏を見て・・・。 平田碑を見て
お地蔵さんを見て・・・。 なにも 書いたものがないので 詳細不明です・・。


 右に 了福寺があったので 寄ってみました。 寂れた感じのお寺です。 写真を撮ろうと
すると やあと 声をかけられ・・。 岡田さんでした。 しばらく おしゃべりしている間に
写真を撮るのを 忘れてしまいました。 ∴山門の写真しかありません。
 すぐ先の 民家の塀の脇に ”片島本陣趾” の標柱がありました。 標柱があるだけ・・・。

 その先で 広い交差点に出ました。 ここの道は 地図にない新しい道路です。
西国街道は まだ先へ続きますが 面白そうなものも ありそうにないので ここで 引返す
ことにしました。

 街道を 正條まで戻り 南へ曲がり 室津方向へ進みます。 新幹線の高架下を潜り
揖保川の傍に来ると 大きな水門があります。 手前の川は 馬路川?
山裾を 東へ回り 下の旧道を進むと お堂の傍に 丸亀藩使者場跡の標柱がありました。

 丸亀藩使者場は 参勤交代などで 往来する大名が 領地の街道を 通る際 地元藩が
敬意を表し 送迎したところだそうです。
少し先に 道標がありました。 正面に 御大典記念 側面に 右 室津 岩見港とあります。
これで きょうの史蹟めぐりは 終わりです。 室津への道は 山裾に沿って 南西方向に進み
ますが 私は 東へ戻り 王子橋を渡って 帰ります。 じゃあ・・・。

 この辺りは 広い平地で ため池もないので 田畑に使う水源に困るのか 堰とか 水門が
多いようです。 昔は 揖保川と 林田川が 合流する辺りは 毎年のように氾濫したようですが・・・。

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奥播磨かかしの里のひなまつり

2015-02-19 14:29:00 | ギャラリー散策
 2月12日(木)  天気:晴れ+雨 のち 晴れ   室温:16.2℃

 きょうは 安富町関 集落一帯で行われている ”奥播磨かかしの里のひなまつり” ~ひな人形
と かかしが共演! ~ を 見に行きました。 あさ 姫路は いい天気で 北に雲もなく 絶好の
ドライブ日和と 思ったのですが 安富町を北へ行くと 雨が 降ってきました。 かなり寒く 雨には
雪が 混ざっているようでした。  かかしの里では 今年は こんな変な天気が 多いとか・・・。

 10:07 出発。 太子町から たつの市に入り 永久橋を渡り すぐ右折。 林田川に沿って 北
へ行き 林田町を抜け 国道29号線に出て さらに北へ。 安志南の信号で 右折して 県道430
号線に入ります。 曲がりくねった県道を しばらく北へ登ると 千年家があったので 寄ってみま
した。 千年家は 土日祝日しか 開いていません。 外から 建物の外観だけ見ました。
 千年家は 室町時代末期と推定される 旧古池住宅が 建っています。 これは 全国でも 1、2
を争う 古い民家の遺構で 入母屋造り 茅葺き屋根の農家は どことなく 日本昔話に登場する農
家を 思わせます。 家の床下に 厄除けの亀石があり 火難の際には 水を噴出し 家を守ったと
いう伝説が 伝わっています。

 少し先に 安富ダムがあります。 ここへも 寄り道。 安富ダムは 総貯水量295万m3の規模
を持つ 重力式コンクリートダムで 昭和61年に 完成しました。 約50mの高さがあります。

 更に 北へ行くと やすとみグリーンステーション鹿ヶ坪があります。 山荘前の広い駐車場に
11:15 駐車。 ここまで 32.9kmでした。
 関地区に入ると 道路脇に かかしが 点々と 並んでいます。

 まず 山荘に展示してある人形から見ます。  ふるさとかかしネットワークのホームページは
”こちら” を。
 雛人形や かかしが展示されている会場は 3つあり ここ鹿ヶ坪山荘と 北のふれあいの館と
300mほど南のふるさとかかしギャラリー。 順番に見ていきます。




 山荘を出て 坂を上がり 橋を渡ると 右に ふれあいの館があります。 ここが メイン会場の
ようです。 展示場ではないので やや暗いのが 難点です。  





 ふれあいの館を出て 山荘前の車に戻り 南へ下ります。 300m以上下って 右の草地に
車を停め 歩いて かかしギャラリーへ行きます。 道路からの入り口が やや分かりにくい。
山側へ登り 鹿除けネットを潜ると 奥の古民家が ギャラリーです。 ここは 中へは入らず
外から ガラス戸を開けて 室内に展示してある人形を見ます。 



 三会場のかかし・ひな人形を見て 帰ろうとすると 本降りになってきました。 北の山が
白く煙っていたので 北は 雪になったようです。
12:03 帰路につき 来た道を そのまま帰りました。  国道29号線から曲がるところも
信号はないのですが なんとか 間違えず 林田町に入りました。 神岡町に 入ると 安富
町の雨がうそのように 晴れ渡り 新竜アルプスは くっきり見えていました。 夕方になると
空も澄んで きれいな夕焼けでした。
本日の走行距離は 往路:32.9km 復路は 寄り道して買い物をしたので 34.4kmで
計:67.3kmでした。 きょうは 少し標高の高いところへ行ったので 燃費は 少し改善しま
した。 年末に 満タンにして まだ 400kmしか走っておらず 燃料計目盛は 半分ほどです。

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各種ニット作品展

2015-02-18 14:55:55 | ギャラリー散策
 2月18日(水)  天気;晴れ   室温:16.2℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ 森田さんの ”各種ニット作品展” を見に
行きました。 きょうは 天気はいいものの 風は まだ冷たい感じでした。 暖かくなった
かと思い 散髪に行き 髪を短くしましたが まだ 寒かった・・・。







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歴史教室 2月号

2015-02-17 12:36:28 | 歴史探索
 2月17日(火)  天気:曇り  室温;16.1℃

 きょうは 2月度の歴史教室に行きました。 今月の歴史教室は 姫路地名研究家の田中
早春先生の 「謎めいたキトラという地名の話」 です。 公民館は いまだ修理中で 今月も
福井総合センターで 行われます。   3月からは 完成した旭陽公民館で 行われます。
きょうは あいにくの雨かと 思いましたが 雨は上がり 自転車で 行くことができました。
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・公民館だより2月号には ”歴史教室へのご案内!” として 
 昭和58年 奈良県明日香村のキトラ古墳の壁画に 星座と霊獣が 確認されました。
 星座は 星降るごとく キラキラと輝き 霊獣は 青龍・白虎につづき 玄武と朱雀が
 確認されています。
 姫路市飾東町のキトラ(北良)地名は 市内唯一の地名ですが 古代につながるので
 しょうか。  私は 「ラ」 に注目しています。


 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

・インターネットで調べると 「姫路の地名色模様」 というページがあり 2009.6.24 に
≪ 北良 きとら : 姫路市飾東町塩崎 ≫ のページがあり
 暴れ川の異名をもつ天川の全長は 18キロメートル、その中流域に位置する塩崎の北方に
「北良」と書いて「きとら」と読む小字地名がある。 文字のままの読みだと 「きたら」 ではない
か との問いかけに、地区の男性は 頑なに 「きとら」 です と こだわりをみせる。
 「きとら」地名であれば、奈良県明日香村のキトラ古墳が 平成10年3月に 調査が行われ、
石室内の壁画に彩色された四神と、精密な天空の星座が 確認されて 当時の新聞記事を賑わせた
記憶がよみがえる。 この古墳は 昭和58年 壁画があることが判り 「亀虎(きとら)古墳」 と
命名された いきさつがある。 この亀虎の当て字について 日本地名研究所 所長池田正則氏は、
「地域の小字名だった北浦が 転訛して キトウラ、キトラになったもの。

 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
  

1】キトラという言葉から なにを連想しますか
 ・奈良県明日香村のキトラ古墳でしょうか
 ・残る三神と 精密な天文図の発見がありました
   昭和58年に 石室の北の壁に亀と蛇?の絵が発見された。 四神は 東:青龍、
   南:朱雀、西:白虎、北:玄武 ですが 亀だったので 亀虎と名付けられたが
   のちに キトラになった。

2】とりあえずの名が 亀虎古墳でした
 ・なぜ 亀虎の文字を用いたのでしょうか
 ・覗き見した亀と虎との言い伝えは 事実と合致していました

3】亀虎表記に 異議あり
 ・日本地名学 研究所 所長の池田末則氏の説です
 ・阿部山なのに 亀虎にこだわった訳は何なのでしょうか
 ・奈良県は 古代文化が 育まれた地だと 言われています
   中国文化への憧れ、伝承があった。
 ・「北浦」 キタウラと キトラは 西日本に多い 方角地名です
   姫路には 1ヶ所だけだが 奈良県には キトラ(木寅、喜寅)が 120ヶ所ある。
   元になっているのは 北浦→キトラ。 浦は 裏であるという人も。
 ・北側が 湾のように入り込んだ地形に付けられたキトラ

4】姫路の きとら 地名を探ってみましょう
 ・北良と書いて きとら と読む、飾東町塩崎の小字地名です
   字限図にある 北良 の北の黒岩は 地形図で見ると 山です。
 ・きとらは 北浦の転訛だと 言われています
 ・クレバと 暮坂の伝承です
   昔 加古川の志方町から 塩崎へ嫁に来た娘が 郷帰りして 帰路 黒岩の
   谷筋に差し掛かると いつも 日暮れになったので 暮坂というようになった。
 ・クレバと 暮坂は 危険地名の一つなのです
   崩場くずれば・・・く れば・・・暮坂
 ・危険を表すクレバ地名は 伝播します

5】中国神話へのロマンと 姫路で 夜空への信仰が窺える地名の紹介です
 ・不思議な天体への憧れは 現在よりも 濃密でした
   北辰信仰、妙見信仰、太白星(金星)を祀る野田神社
   ひじり神を祀る高木神社は 皮革の技術を伝えた。

6】ラ の付く方角地名の話です
 ・村を中心として 方角を指す ラ言葉は 多様です
   私ら のように 複数を指す。 方角を指す あちら など。


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