私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

熊山 くまやま 509m

2012-03-15 15:18:20 | ドライブ
 3月15日(木)  天気:曇り・雨 後 晴れ   室温:15.1℃   地図 :和気・万富

 きょうは ドライブ登山で 岡山の熊山に 登りました。 週末は また 予報が 怪しいので 行けるとき
行くことに・・。 しかし きょうは いい天気の筈が 山陽道は 雨で 一時は どうなるかと 思いましたが
二時には 雨は 上がりました。 あるとき 気付いたのですが ポケットに 財布がない! 一瞬 落とし
たか?と 思いましたが よくよく考えると ポケットに入れた記憶がない・・。 忘れてきたのです。 金と
は 縁のない人生なので 財布を忘れても 困ることは ないのですが 免許証も入れているので 不携
帯・・。 ボケが 進行しています。 我ながら 情けない・・・。
 熊山は 山頂近くまで 道路があるので マイカー登山には 最適の山です。 残念なのは 熊山神社
のある峰は 509mの標高点がありますが 二等三角点:熊山のある峰は 標高507.8mで 1mほ
ど 低いのです。 おまけに NTTのバカでかい電波塔に 山頂を占領され 三角点は 隅に追いやられ・・。
 熊山は 吉備地方の東南の隅(すみ)の霊山ということから 「くまやま」 と 呼ばれた?  地図でも
神社の方に 熊山と 表示されています。 熊山周辺には いろいろ 面白いことが ありそうです。


 8:42 出発。 国道2号線を走り 9:05 龍野西ICから 山陽道に入ります。 雨が降ってきました。
赤穂、備前ICを通過し 次の和気ICで降ります。 龍野西~和気間は 37.5km、750円。 やはり
平日は 高い。 休日に 走らないと・・。 国道374号線に降りて 和気駅前を通り 体育館前で 右折し
て 県道395号線に出ます。 県道を西へ走りますが この道は 超狭い。 JR側の石垣に サイドミラー
が 当たりそう。 右側は 吉井川で 無論 車が来ると 擦れ違うことはできません。
 県道から 左へ降りて JRを潜り 奥吉原の集落に入ると 一本道。 正面に見える山並は 熊山の
手前の稜線のようです。 林道は 舗装され 走りやすい山道でしたが 登るにつれ カーブもあり 道
も狭くなり 油断すると 崖下へ・・。 ひやひやする道でした。



 県道から 4.2km登り 赤松峠へ。 広場、ベンチがありますが 峠らしい感じはありません。 山
と渓谷社の 32『岡山県の山』の 「熊山」 の項を見て 北の熊山駅の近くから 登ったことがあります
が ここへ出て 一息 入れるのです。 登山道は 林道を10mほど歩き 右の階段道を 登ります。
登山道は 荒れているので 注意するよう 注意書きがあります。



 林道を左へ進みます。 ヘアピンカーブを抜け 池の傍を過ぎ 道が なだらかになると 開けた所
に出て 左のスペースが 駐車場です。 10:13 駐車。 県道から 7.1km、和気ICから 12.8
km、家から 62.8kmでした。 1時間半ほど かかりました。



 大きな案内図のある所から コンクリ舗装道を上がります。 一般車通行止め。 すぐ 分岐があり
右に30mほど行くと 「二つ井戸」。 扉を開けると 屋根の下に 水溜りがあります。 湧水でしょう
か? 柄杓がありますが 水を飲む気はしません。 二つ井戸の意味は? 



 登山道を戻り 熊山神社へ。 横から大鳥居の前に出ます。 備前焼の狛犬が 印象的ですが 脚が
壊れています・・。 本には 山名は 紀州・熊野三山に 由来するともいわれ とあり 往時は 山系の
20数集落から それぞれ参道がついており とあるので 大きな神社を思わせますが 簡素な神社で
す。 山の上にあるから?
 熊山神社は 明治4年の神仏分離により 帝釈山霊山寺の守護神であった権現社が 奥吉原に下り
権現社跡に 新たに 熊野神社が 開扉された。 権現社の時代には 祭日には 近郷近在から 7つの
登山道を上がって参拝者が 集い 盛大であったそうですが・・。



 神社の右に 岩があります。 「腰掛け岩」とか 「旗立て岩」 と言われ 後醍醐天皇を奉ずる南朝方
の武士・児島高徳は 建武三年(1336) 新田義貞、脇屋義助と謀って 熊山に兵を挙げ 足利尊氏
方の赤松軍と戦った。(太平記) 軍議の際 高徳が 腰を下ろした岩と いわれる伝説がある。
 本殿の周りには 稲荷神社、水宮、大山神社、祇園社などの末社が 並んでいます。



 長い階段を降りて 樹齢千年といわれる二本の大杉の前を 熊山遺跡へ。 右に 観音堂?跡
があり 小さい五輪塔が並んでいます。 この辺りは 古代から中世にかけて 帝釈山霊山寺が
あったそうで 鐘楼?跡もあるようです。 左奥には 猿田彦神社があります。



 南へ進むと 右に 熊山遺跡。 石積みの遺構で 国指定の史跡。 砕いた石を 幾何学的に
3段に築成している。 石積の中央には 竪穴が設けられ 中には 陶製の筒型容器が 収めて
あった。 3段の石積の目的は 近年の研究から 仏塔としての性格を 備えたものであることが
判明した。 熊山の周辺には 類似の遺構が 32基 確認されているそうです。
 ここで 管理棟の管理人に 宝篋印塔を尋ねると 案内していただき 延々と説明を聞く羽目に・・。
30分以上 お話を聞いたでしょうか? 中から本を出して 見せながら説明され・・。 瓦の破片
も見せていただき 一石五輪塔へも 案内していただき・・。 涙が 出るほど 嬉しかった?


 熊山の周辺には 古代寺院跡も多くあり たたら製鉄の跡もあり 今では 長船だけになったが
刀を造る鍛冶屋も あったとか・・。 南には 丸山古墳があり 熊山との深いつながりがあった?
また 備前焼の産地でもあり 熊山南斜面で 古備前の窯跡が 多く見付かっている・・・。
 宝篋印塔は 管理棟の前にありました。 霊山寺・戒光院の客殿跡だそうです。 鎌倉時代の
正応五年の銘があり 岡山県下では 最古の紀年だそうで 市の文化財。 相輪の上端が 欠け
ていますが 高さは 1.1mで 思ったより 小さい。 霊山寺の僧・顕空の供養塔?



 管理棟の横の小高い所に 一石五輪塔があります。 一つの石で 五輪塔が刻まれた塔で 五輪
塔の退化した形? 五輪塔には 普通 空輪、風輪、火輪、水輪、地輪の五文字が 梵字で 刻ま
れる。
 きょうは 気温が低かったのか 長らく立ち話をしていると 寒かったぁ・・。 やっと 管理人から 解
放していただき 南の展望台へ。 南が 絶景ですが 近くの山の鉄塔が見えるだけで 霧のような
濃いモヤで 遠景は 全然 見えません。 三角点の熊山へ行きます。 一旦 駐車場へ戻り 林道を
東へ下ります。 200mほど 降りると 左に 管理道があります。 ここに 車止めがあると 思いまし
たが 車止めは 少し 先にありました。



 右にカーブしながら進むと 山頂。 ドコモの巨大な電波塔があり 奥の小さい鉄塔は 東備消防
組合の無線鉄塔です。 三角点は 奥のヤブにあります。 二等三角点:熊山 には 黄チップが埋
め込まれています。 見晴らしのないので 三角点を撮って すぐ 降ります。



 12:02 車に戻り ひと息入れ 車を出します。 登った林道を降ります。 登ったときは ひやひや
の林道も 降りるときは 様子が分かっているので 楽に降りることができました。 登るときより 霧
のようなモヤが 少し晴れたようです。 北東方向の奥に見えるのは 和気アルプスの神ノ上山でしょ
うか? 次に狙う二等三角点は あそこです。 三度目ですが・・・。 



 県道395号線に降りて 東へ向かうと 吉井川の向こうに 和気アルプスの稜線が 一望でき
神ノ上山の山頂も 覗いています。 今 登った熊山の姿を 見たいと思うのですが・・。 和気橋を
渡って 県道96号線を西へ走りますが・・。 熊山橋の西まで来て やっと 熊山の姿を捕えるこ
とが できました。 和気富士の麓へ戻り 大題目石(高さ17m、幅5m)を見て 金剛橋を渡り
国道374号線に出て 13:31 和気ICから 山陽道に入ります。



 きょうは ドライブ登山なので 簡単に終わると思ったのに 予想外に 時間がかかりました。
龍野西SAで 味噌ラーメン(580円)を食べ 龍野西ICを出ます。 財布は 忘れましたが
ETCのない 播但道を走るときのために 車に 小銭が 置いてあるのです。 国道2号線を走
って 14:38 家に帰ってきました。 歩数計は 7300歩でした。
本日の走行距離は 往路:62.8km 復路:71.6kmで 計:141.5kmでした。


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歴史教室 その4

2012-03-13 13:18:41 | 日記
 3月13日(火)  天気:晴れ or 曇り   室温:14.2℃

 きょうは 本年度最後の 「歴史教室」 に 出席しました。 ”郷土史フォーラム” ということで 今後
の歴史教室について 出席者の意見・希望などを 聞く 会合でもありました。 公民館に 用事があ
ったのか 珍しく 和久の自治会長さんも 来られていました。 また 出席者の中に このページを
見た人が いることも 分かりました。

 10時からですが 早く着きすぎたので 旭陽小学校の周りを 散歩しました。 今 公民館がある
場所は 旭陽村役場跡で 11世紀頃から 「福井の庄」 と 呼ばれていましたが 明治22年 市町
村制 施行により 播磨国 揖東郡の 高田、和久、福井、坂出、坂上、津市場、宮内、田井 各村の
八ヶ村 併せて 朝日山の南という意で 「旭陽村」 と 名付け 役場を置いた。  昭和17年 網干
町と 合併。  昭和62年 その跡地に 公民館が 建てられたのです。



 東は 県道で 車の通行も 多いのですが 西は 一面 田圃で のどかな田園風景が 広がり
西に 御津山脈、北には 新竜アルプスを 望むことができます。



配布された 本日のメニューは
 1.ビデオ 「播磨にゆかりのある先人たちの 個性あふれる人物像」 (抜粋)
 2.H24年度の歴史教室の計画について(詳細別紙)
     4月 郷土史(室津探訪)  播磨学研究員 田中早春氏
     5月 市 出前講座114   姫路文学館 学芸員
     6月 郷土史「魚吹八幡神社」 魚吹神社 宮司 澤 弘隆
     7月 郷土史「江戸時代の農村風景」 元旭陽小 校長 大西文雄氏
     ・・(以下 省略)
 3.歴史教室の在り方について
   講座の希望等、講座生の募集等。 播磨地方の城跡を との希望がありました。
 4.歴史教室の世話人:今井、治田、山野の各氏に引き続き お願い
 5.24年度4月 第1回 館外研修の実施について
   行き先:室津探訪(別紙:室津名所絵図)・・・室津民俗館、海駅館、加茂神社、その他
    4月17日(火)清盛ゆかりの室津探訪・・・講師:田中早春先生
    交通の便が 悪いので 車の手配要+参加人数調整。 (公民館だより)

 フォーラムが 終わり ロビーで ビデオを鑑賞。 ビデオは SUNテレビで 播磨に ゆかりの
ある50人分があります。 比較的 知名度の低い 下記 8人を見ました。 一人3分程度(計154分)
・黒田官兵衛・・・希代の軍師
・宮本武蔵・・・文武・二刀流の剣聖
・千姫・・・徳川三代将軍 家光の姉 姫路城西の丸で 幸せな10年間を過ごした。
・阿江与吉・・・加古川の河川開発、船座、闘龍灘に銅像がある。
・滝 瓢水・・・畸人伝の俳人、
・坂本 遼・・・おかんの詩人、詩集「たんぽぽ」、加東市
・河合道臣・・・藩政改革雄、姫路藩名家老、河合寸翁
・亀山雲平・・・灘のけんか祭り隆盛にも寄与、松原八幡神社 宮司、久敬舎をひらいた。



23年度は 今回を含め 4回 出席しましたが 歴史教室の歩みとして
・4月  網干地域探訪(ダイセル異人館~誠塾 他) 田中早春氏
・5月  もっと知りたい 播磨の文人達(河野鉄兜)  甲斐史子氏
・6月  魚吹八幡神社史・・縁起を読む(1)    澤 弘隆 宮司
・7月  古代播磨の寺院   大西文雄氏
・8月  休講
・9月  姫路藩・船手組   大西文雄氏
・10月 センドと呼ぶ墓地の話   田中早春氏
・11月 魚吹八幡神社史      澤 弘隆 宮司
・12月 垣内という地名の由来について   田中早春氏
・1月  休講
・2月  埋れたわが町の歴史・・JRあぼし駅界隈  田中早春氏
・3月  歴史教室フォーラム(話し合い)      福尾 隆重 館長

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網干まちなかあるき

2012-03-08 14:35:44 | 日記
 3月 8日(木)  天気:曇り   室温:16.5℃

 週末は 予報がよくないので 山へ行けるかどうか 分かりません。 きょうは 「網干まちなかあるき」
に 行きました。 3月4日の 新聞の折り込み板 「サンサンあさひ3」 Vol.96に ”旧網干町地区 マップ
片手に 歩いてみよう” という 記事があり
 姫路市の西部 揖保川の河口に位置する 網干区は 古くから漁業と海運業が盛んで 江戸時代には
 港町として栄えた。 昭和21年に 姫路市と合併するまで 「網干町」 として独立していた地域は
 国道250号の南側にあたり 古い街並みが残る。
 平成21年2月 旧網干町のほぼ中心に 「あぼしまち交流館」 が オープンした・・・ とあります。

 先日 「歴史教室」 で 北のJR網干駅周辺のことを 学んだばかりなので ちょうど いい機会です。
自転車で 網干の南地域を 散策してきました。 10時頃 家を出て 帰ってきたのは 2時過ぎです。
あちこち走りまわって ちょっと 疲れました。

あぼしまち交流館で もらった 「網干まちなかあるき」のパンフレットによると 
 網干(あぼし)の名の起こりは 「網干町史」に 魚吹八幡神社の由来により 養老四年(720)
 放生会の式日 殺生を禁じ 氏子の漁師は 網を干して 社参したので 網干祭といい
 近郷を 網干と称したことによる とあります。
 記録では 鎌倉時代の文治二年(1186) 源頼朝 書状に 「播磨国網干渡」とあるのが
 初めてといわれます。(角川地名辞典)
 また 縄文・弥生の遺跡や 条里遺構 「播磨国風土記」の「宇須伎津」などから 古く開発の進んだ
 地で 江戸時代には 姫路藩領から 龍野藩領 さらに 丸亀・龍野・幕府領に分かれるなど 複雑な
 様相を示し 古社・古寺も 多く 文化財に富み 網干メロン・トマトの栽培 海苔・牡蠣の養殖など
 農水産業も 盛んな地です。
 このマップ片手に 「網干まちなかあるき」 に いざ 出発!! とあります。

 10時過ぎ 出発。 自転車で 約15分 網干区余子浜にある 交流館に 着きました。 パンフレット
をもらって いざ スタート。 自転車で 走ったルートは 行ったり 来たり 戻ったりしたので 簡単には
説明できません・・。
 最初に お断りしておきますが このページも 写真が多く 文字数が 一万字を越えそうなので 詳しい
説明は できるだけ 省略したいと 思います。 右手の指が 腱鞘炎になりそう・・・。

 山電網干の前から 街中を抜けると 揖保川の土手に出る手前に 船渡八幡神社が あります。 船渡
八幡神社は 神功皇后、応神天皇、玉依姫命が 祭神で 宝暦年間の地史に 神社の名があり 『播磨
国風土記』 には 神功皇后伝説があるそうです。 神功皇后は 風波を静めんと 天神地祇を 祭祀し
この処を 神楽江と伝え 船渡社として 魚吹八幡神社の若宮と称す。
 この辺りには 堀川溝渠があった。 下の方にある丸亀藩の地図に 描かれている水路でしょうか?

 船渡八幡神社の隣が 加藤家住宅で 築150年の大型の町家で 国の重要文化財。 加藤家は
江戸時代には 蔵元で 廻船業を営み 成田屋と称した。 入口が 開いていたので 中を見せてい
ただきましたが 特に 見るものは・・・。
 住居は 加藤家、山本家、中圓尾家の 三軒しか 見ませんでしたが マップには 片岡家、水井家・・
など 多くの住居が 描かれています。 むかし 豪邸が 軒を並べていた街並みの雰囲気は あります。
 テレビ番組 『百年名家』も 好きで かかさず 見ていますが 住居には 現在も 生活されている家も
多く 建物内部を 見ることができないのが 残念です。

 船渡八幡神社の南が 「あぼしまち交流館」です。 ひっそりしているので お休みかと思いました。
交流館で 「網干まちなかあるき」のマップをもらい まず 丸亀藩陣屋跡へ行きます。 川の土手を
本町橋の袂へ行き 東へ降りると 陣屋跡。 龍野藩主・京極家が 丸亀に移封された後も 興浜、
浜田は 京極家に属し 興浜に 丸亀陣屋を設置。 郡奉行が在勤していた。 今は 興浜の資料館
になっています。


 鶴立山大覚寺へ行きました。 浄土宗 西山禅林寺派の大覚寺は 前身は 隆禅上人が 天福元
年(1233)に 創立した光接院で もとは真言宗として 余子浜にあったが 兵火で焼失し 弘治二
年(1556) 堯淳上人が この地に移して 再興した。 このとき 鶴立山大覚寺と称し 浄土宗に改
められた。 当寺の中興と称せられる 智淳上人は 時の後陽成天皇の帰依をうけ 豊臣秀吉が 訪
れるなど 寺運大いに栄えた。 江戸時代には 高い格式を誇り 盛時には 六つの塔頭があり・・・。
今でも 広い境内に 11の伽藍(建物)があります。 裏の墓地には 赤松五輪塔があるらしい。
≪追記≫
 『播州の花神』によると 誠塾を開設した河野東馬の兄・河野鉄兜は 江戸から帰り 嘉永三年 網
干の古刹・大覚寺の実津院に於いて 塾を開き 子弟の教育に当たった とあります。


 興浜商店街へ戻り 山本家住居を見ました。 主屋は 明治初期 洋館は 大正期の建物で 一部
3階建ての木造建築。 望楼風の塔が異彩を放つ とありますが 非公開で 内部を見ることはでき
ません。 山本家は 網干銀行の頭取や 網干町長を務めた?
 北側が 金刀比羅神社で 銅板葺の屋根の緑青が 周りの景色に溶け込み いい雰囲気です。
ここに 讃岐?金刀比羅神社が あるのは 丸亀藩・京極一族と縁がある? 大国主命=大黒天が
祭られているとか・・。

 あぼし一番街を通って 旧網干銀行本店へ。 北の橋本町商店街にありました。 大正10年に
設立された網干銀行は レンガ造り銅板葺の洋風建築で 今は 洋品店です。 北には 網干橋が
あり 網干川を眺めることができます。 商店街の南に 中圓尾家住居があったのですが・・。

 少し南の離れた所にある ダイセル異人館へ行きました。 ダイセルの前身 日本セルロイドの
工場が 明治42年 この地に建設されたとき イギリス人らを招き 翌年 一角に 居宅として 洋風
住宅が 建設された。 そのうち二棟が 現存しており 緑壁の建物が 資料館で 赤い屋根の建物
は 会社の迎賓館。 様式は 19世紀末の アメリカのコロニアルスタイル? 公開されている筈で
すが 扉が閉まっています。 窓から 中を撮りましたが 内部の照明は 点いています。

 地図を見ると さっき通った 一番街の角が 中圓尾家住居。 表札を見ると 中圓尾善左衛門
とありました。 南の「網干神社」の石標に 総代 中圓尾善左衛門 とあったのです。
 南にある網干神社に お参りしました。 せっかく 網干に来たら 網干神社に お参りしないと?
網干神社の縁起が 書かれていますが 明治のもので 風化して 読むことができません・・。 
それはそうと この辺りの神社に 土俵があるのは なぜでしょう? 網干六ヶ村では 夏祭りに
子どもの奉納相撲が行われる? そういえば 土俵は ちょっと 小さいような・・。

 西へ戻ると 善慶寺があったので 門から 中を覗くと 鐘楼と本堂が見えます。 ここも 大覚寺と
同じ 浄土宗西山禅林寺派のお寺でした。 善慶寺は 明応元年(1492) 勧空善慶上人の開基と
伝えられ 八世山空和尚を 中興開基とする。 本堂は 18世紀前半の様式で 入母屋造り 本瓦葺。
向拝一間で 簡素な造り。 江戸時代の浄土宗本堂の形を残しています。 表門は 切妻造り 本瓦
葺の四足門で 明治15年の建立。 残念ながら 表門の写真が ありません・・。
 網干地区には 神社仏閣が多く マップにあるだけでも 40寺34社 あります。

 あぼし一番街の角に 境橋がありました。 南から見ないと 分かり難い。 万治元年(1658)から
明治維新まで 興浜地区は 丸亀藩(京極家)の所領 新在家地区は 龍野藩(脇坂家)の所領に分割
されていました。 この石橋は 両藩の境界堀割に 架けらていたので 境橋と呼ばれていた。 昔は
ここに 通用門が設けられ 朝夕 時刻を定めて 門が 開閉されていた・・。

 本町橋を渡って 浜田の街を抜け 木材港道路の交差点の角に出ると カトリック教会・マリア幼
稚園があります。 以前 浜田に住んでいたことがあり 上の娘は マリア幼稚園に 行き ませんで
した。 前のゴルフ練習場へ行ったことがあり この辺りは 大変 懐かしい・・。

 龍門寺に着きました。 天徳山・龍門寺は 臨済宗妙心寺派のお寺で 開山の盤珪永琢は 地元
浜田の出身で 厳しい修行を重ねた後に 「不生禅」を 説いた 江戸時代初期の禅僧。 寛文11年
(1671) に 妙心寺の住持となる。 当寺は 盤珪国師の根本道場で 丸亀藩主・京極高豊と 地元
網干の豪商・灘屋(佐々木家)の三兄弟の援助により 寛文元年に 創建された。 主要伽藍は 江戸
時代初期から中期の建物で 創建当時の様子を 今に 伝えている。 
 門を入って 右にある 不動明王を祀る不動堂は 境内では 唯一の二層建築で 貞享三年の建立。
池に浮かぶ 辯天堂の 奥にあるのが 開山堂で 盤珪国師は 72歳で亡くなられ 霊骨が納められ
ている。

≪余談≫ 網干まちなかあるき とは 関係ないのですが 11日の新聞の 「声」 の 欄に 臨済宗
 妙心寺派は 教団として 「原子力発電に依存しない社会の実現」 という 宣言文を出すと 決めま
 した・・という記事が 載っていました。 「知足(足を知る)を実践し 持続可能な共生社会を 作る
 ために 努力することを ここに 決意」 と 述べられています。   檀家に 脱原発の署名を お願い
 した そうです。
門を入った 正面の奥にあるのは 庫裡。 屋根の上には かまどの煙?抜くための 小さい屋根があ
り まるで 京都の天竜寺の庫裡のような建物です。 庫裡の左は 食堂で 大方丈とつながっている。

 門の右には 鐘楼。 袴腰付き入母屋造りで 元禄五年(1691)の建立。 梵鐘は 寛政元年(17
89)の鋳造。 音色が 甚だ良く 「網干浜田の龍門寺の鐘は 一里聞こえて 二里ひびく」 の俗謡が
ある。 正面が 大方丈ですが 塀があり 入れません。 大方丈は 龍門寺の本堂に当たる建物で
現在の建物は 安永元年(1772) に 再建されたものです。 禅寺なので 簡素な建物ですが 中に
は 狩野派の優れた襖絵が 43面あるそうです。(姫路市指定重要文化財)

 下の案内図のように 龍門寺の境内には 多くの伽藍がありますが 以下は 割愛させていただきま
す。 網干地区に 大覚寺や 龍門寺のような 大きなお寺があるのは 京極家や 多くの豪商の援助
があったからでしょうか? 大覚寺で お会いした人は 大覚寺と 龍門寺は つながりがあると・・・。
門を出ると 道路脇の梅が 満開で 桜と 見間違えそうです。
 龍門寺の西には 中川橋があり 向こうには タキロンが見えます。 もう お昼過ぎで しみけんさん
が この前 行かれた ”カフェmarica” へ行こうかとも 思いましたが きょうは 網干散策なので 姫
路を越えて行くのは 止めました。 実は 走りまわって 疲れて 行く元気も なかったのす。


 国道の手前まで 引き返すと ラーメン屋があったので 寄りました。 味噌ラーメン(450円)が
できるのを 待ちながら マップを見ると 近くに 「誠塾」 があるので 行くことに。 稲香村舎・誠塾
は 網干の勤皇の志士・河野東馬が 長州軍に参加して 蛤御門の戦いに敗れ 出石藩に 囚われ
の身となり 免責後 慶応四年(1868) に開設。 門弟約500名を 育成し 優秀な人材が育った。
昭和23年には この地に 網干農学塾が 開設され・・。

 帰りは 少し北風もあり 重たい自転車を 必死に漕いで 帰りました。 南の網干地区には 意外
と 多くの見所があり いい勉強になりました。 見残したところもありますが 満足しています。
13日(火)は 本年度 最後の 「歴史教室」 ”郷土史フォーラム” へ 行ってきます。
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盆栽作品展

2012-03-05 12:12:25 | 日記
 3月 5日(月)  天気:雨・曇り  室温:15.5℃

 きょう 手柄山交流ステーションで行われている 「盆栽作品展」 (主催:社団法人 日本盆栽協会 西播
支部) を 観に行きました。 今の時期 葉が まだ 茂らず 枯れ枝状態で 見られるのは ”松”くらいで
しょうか? マンサクの花は 完全に 終わり 梅も 何点か ありましたが 花は ほとんど 咲いていません。
 しみけんさんが 綾部山梅林、世界の梅公園へ行かれたそうですが あまり 咲いていなかった・・。 私
も 好古園の 「盆梅展」 を 観に 行こうかと 思いましたが 電話すると 咲いていないそうで 止めました。
 今冬は 寒かったのでしょうか? 雪は 一度も 積もりませんでしたが・・。 花ものは 見頃のタイミング
が 難しい・・・。
 ついでに 温室植物園に寄り 「クリスマスローズ展」 を 見てきました。 クリスマスローズは 可憐で
きれいなのですが 花が うつむき加減に 下向きに咲くので 写真が 撮り難いのです。






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 次に 温室植物園に行き 「クリスマスローズ展」 を 見ました。
魅惑的な春の妖精・・・クリスマスローズは 早春の庭を彩る花として 広く親しまれているキンポ
ウゲ科の多年草です。 クリスマスの頃 バラのような花を咲かせることから この名があります。
 実際は クリスマスの頃に 花を咲かせるのは 原種の一種 ニゲル という種類で 実際には
多くの種類は 2月から4月の早春に 花を咲かせます。 可憐な花の姿に似合わず 丈夫で
育てやすい草花で こうしたことからも 高い人気のあるところと 思われます。
 地中海周辺のヨーロッパ地域の落葉樹の どちらかといえば 日陰に自生する植物です。
奥の部屋では 前回の残りでしょうか シンビジュームと デンドロビウムが 展示してありました。




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三角点 さんかくてん 457m

2012-03-03 15:30:35 | 山歩き
 3月 3日(土)  天気:曇り 後 晴れ  室温:16.5℃  地図:谷川、中村町

 きょうは ひな祭りです。 どこか 山へ行かなくては・・。 天気は 芳しくありませんが 西脇の三角点山
へ行きました。 山の名は 三角点 ですが 山の感じがしないので 三角点山ということに・・。
 国土地理院の 「基準点成果等閲覧」の 地図を見ると 最近 この山から 三角点が消えています。 低
下高上処理 となっていますが 意味が 分かりません。 兵庫県の二等三角点が ひとつ 消滅したのか?
早速 調査に 行ってきましたが 三角点は 無事で 黄チップが 埋められていました。
 「はりま歴史の山ハイキング」で 紹介されていますが 歴史との関わりは 書かれていません・・・。
歩いたルートは 本にある 愛宕ルートを登り 南福谷ルートを降りる 時計回りのルートです。

 7:57 スタート。 姫路バイパスを 東に走ると 朝日が正面から照り 眩しいです。 車も多いし・・・。
8:21 花田ICから 播但道に入り 8:30 福崎ICから 中国道に廻ります。 播但道は 13.5km、表示
は 400円ですが 休日3割引のはずです。 8:38 加西ICを降ります。 中国道は 11.1km、200円。


 県道24号線に出て 鎌倉山の南を東へ走り 明楽寺の信号で 右折して 県道34号線を東へ。 国道
は 走りたくないので 手前の野村西の信号で 左折。 北へ走り 国道427号線に出て 冨吉南の信号
で 右折して 県道297号線を東へ。 国道を横切り 狭い畑瀬大橋を渡り 黒田庄駅の北を回り 踏切
を越えると 兵主(ひょうす)神社が あります。 立派な神社です。 帰りに寄ることにして 集落の中を
右に左に曲がり 福谷池の脇を通り 稲荷神社へ。 赤い鳥居の先のスペースに 車を停めます。
 9:27 駐車。 本にあるトイレは 無くなった? 加西ICから 23km 家から 71.5km。 福谷池の
土手から 池越しに 三角点の山頂が見え 歩く尾根も見えます。 山頂左のピークは ニセピークです。



 9:30 スタ-ト。 赤い鳥居の並ぶ 長い階段を上がります。 稲荷神社は 五穀豊穣の神を祀り
鳥居は お礼参りの人が 奉納するとか・・。 ここに 工事?関係の人がおられ 山へ登ると言うと
愛宕ルートは 登りが 急なので 南福谷ルートを登る方が いい と言われましたが・・・。
稲荷神社に お参りしました。 本殿の軒下の彫り物は なかなか立派なもので 見応えがあります。 
拝殿の左から 林道に出たところに 登山口があり 上に小さな道標があります。 9:37 スタート。



 登り始めの登山道は 沢のように水が流れ 荒れています。 急な登りで シダも茂っています。
尾根の西端に 回り込むように 左へ廻ります。 尾根の急登を 登り始めると 木々の隙間から
西や北の景色が 見えますが 木々が邪魔で 写真になりません。



 登るにつれ シダも無くなり いい山道になります。 ところどころで 展望があり 景色を撮りつつ
休みながら登ります。 日差しもあったのに いつの間にか 南から真っ黒い雲が 空を覆い 雨が
降りそうに 暗くなってきました。



 登山道に岩が 現われ始めると 愛宕さん。 ここまで 30分ほど。 岩場に小さい祠があり 中を覗
くと 愛宕大神が祀られていました。 この辺りまで 登ってくると 傾斜が 少し緩みます。 愛宕さんから
2、3分 なだらかに進むと 役行者。 積み上げられた岩の中に 祠があり 中に 20cmほどの 役行者
像があります。 格子の間から 写真を撮りましたが 役行者が 傾いていたかどうか? 杖がありません。 



 やや急な登りを 登った小ピークが 山頂かと思いましたが ここは ニセピーク。 本にも こん
ど こそ頂上? とだまされるピークとあります。 ここは 等高線400mの尾根の先端です。
シダヤブを 掻き分けながら 進みます。 前方に 頂上が見えますが まだ 少し先です。



 山頂への登りにかかると 右に槍のように尖った岩があり 上の岩場から いい展望です。 南か
ら 西が見渡せます。 ひと登りすると 山頂手前の岩場に出ます。 ここに 道標があり 右は 黒田
庄駅を示しています。 右の下山路にも 道標があり 南福谷コースを示しています。 ここから 岩の
間を 抜けると 20mほどで 二等三角点のある三角点の頂上です。



 10:40 登頂。 登山口から 1時間かかりました。 あまり広くない 岩のある頂で 焚火?跡
があるのは お正月の御来迎登山の名残でしょうか? 遮るものはなく 御来迎には 最適です。
天気が 良ければ・・。 二等三角点:上比延 は 無事でした。 黄チップも埋められています。
なぜ 国土地理院は 抹消したのでしょう? 霧雨のような 細かい雨が 落ちてきました。 景色
も モヤっとしていますが 北の白山、妙見山 東の西光寺山は 見えます。



 南に見える山は 同定し難いのですが 大坂山と金城山でしょうか? 三草山は? 地図を見ても
この辺りは ちょうど 5万分の一の 「生野、篠山、三田、北条」 に 分かれているので 定まり難い。
 西には 登ってきた尾根、ニセピークが 見えます。 ゆっくり 写真を撮っていると カメラが 雨で
濡れるので 四方の写真を撮って 6分 山頂にいて 10:46 下山。
 後で 調べると TAJIさんのページは ありませんが やまあそさんと たぬきさんのページがあり
やまあそさんの ’04.10の 「杉原山~三角点山」 を見ると 山は 大体 合っていました。 私の同
定能力も なんとか 人並み?



 分岐へ戻り 南福谷ルートへ降ります。 降り初めは いい道でしたが すぐに 岩が現われて
歩き難い岩尾根になります。 分かり難いですが 地図にも 岩の印が描かれてます。 まるで
七種槍からの下山路を 彷彿させます。 左下に 西脇ゴルフ場のコースが 見えますが・・。
ゴルフ場の奥にある丸い山は 御嶽山清水寺だそうです。



 下山道は 岩場なので 見晴らしは いいのですが 同定ができないのが 情けない。 写真は
何枚も撮ったのですが・・・。 北西方向の奥には 笠形山~千ヶ峰が かすんでいると 思うので
すが・・。 尾根の前方に 降りる尾根が見え 西の先端に 189m標高点ピークが なだらかで
す。 尾根は 南へ続いているので 西へ降りる分岐を 探しながら 降りたので 結構 遠い。



 ずっと前に 来たことはあり 同じルートを歩いたのに なにも覚えていません。 西尾根に降りる
ところに 分岐はありませんでした。 自然と西尾根に進みました。 西尾根から 歩いた後方の稜
線が見えるかと 思ったのですが 雑木が茂って 見晴らしは あまりよくない・・。 急な下りもありま
す。 稲荷神社で会った人は このルートの方が登りやすいと 言われましたが・・・。
 少し下で 4、5歳の男の子を連れた 若い夫婦に会いましたが 急な登りと 岩の尾根を この天
気で 登るのは 大変でしょう。 岩場では 気を付けて と言っておきましたが 無事 登れたかな?



 西尾根を降りるのも かなり 長かった? 11:34 やや分かり難い分岐に 降りました。 ここま
で 見晴らしが良くなかったので 189m標高点ピークへ行けば 歩いた尾根の稜線が見えるかと
西のピークへ登りました。 ササヤブを抜けると なだらかで歩きやすい道で 鞍部の分岐から 8
分で 189mPの登りましたが 僅かに 西の市街が見えるだけ・・。



 分岐へ降りて 左へ降りると すぐ 林道に出ます。 林道を 4分歩いて 11:57 車に 戻りました。
本日の行程は 往路:山頂まで 70分、復路:南福谷ルートの下山に 70分で 2時間20分でした。
車で 弁当を食べようかと 思いましたが ここは あまり雰囲気が よくないので 兵主神社へ行くこと
にして 12:00 車を出し 集落を抜け 稲荷神社から 1.3km 兵主神社に 着き 西の広い駐
車場に 車を停めます。


 神社の前を県道が通り 向かい側に鐘楼があります。 前が 宮池で 遮るものがないので 三角点
が すっきり見渡せます。 神社には 囲いがなく 鳥居、門、手水舎があります。 門には 随身さんが
おられるので 随身門? 左右の随身は 同じものに見えましたが・・・。 門を潜ると 正面が 拝殿。
3月の月例歳が 行われたばかりなのか きれいに 掃除された 玉砂利を踏むのは 大変 気持が いい。
心が洗われ 気持ちが 落着きます。
 社伝によると 兵主神社の創立は 延喜三年(784)。 時の播磨椽(じょう) 岡本修理太夫 藤原友
恒の創始になるという。 主祭神は 大己貴(おおなむち)命。



 拝殿は 県指定の文化財で 長床式の平面で 支外桁を軒で支えている。 建物の回りは 一部
(西北隅室)を除き 解放吹放ちで 内部は 正面中央部 三間を広間床とし 両脇間境を 円柱柱列
とした特異な意匠になっている。 天正19年(1591) 造立の棟札があり 桃山時代における 長床
式拝殿として また その時代の茅葺入母屋造りの様式を 伝える建築として 全国的にも 稀に見る
遺構である と 説明板に書かれています。 拝殿は 土足禁止なので 上がりませんでした。



 拝殿が 有名な建物なら もっと 詳しく撮るのだった・・。 外観の写真しか 撮っていません。
拝殿、幣殿、本殿の周囲を 一周して 咲き始めた紅梅を 見ながら 車に戻りました。 車で
おにぎりを食べ 12:40 帰路につきます。
畑瀬大橋を渡って 国道175に出て 中国道・滝野社ICへ向かいます。



 信号も 車も 多いし 右折、左折の車も 多いので 国道は 走り難い・・。 兵主神社から 11.2
km、13:03 滝野社ICから 中国道に入り 21.1km走り 13:16 福崎ICで 播但道へ。 中
国道は 350円。 播但道を 13.6km走って 13:25 花田ICを抜け 姫路バイパスへ。



 途中で 買い物をして 14:11 帰着。 本日の走行距離は 往路:71.5km 復路:73.5km
で 計:145kmでした。
  。。。。。。。。。                            。。。。。。。。。

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