私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

熊山 くまやま 509m

2012-03-15 15:18:20 | ドライブ
 3月15日(木)  天気:曇り・雨 後 晴れ   室温:15.1℃   地図 :和気・万富

 きょうは ドライブ登山で 岡山の熊山に 登りました。 週末は また 予報が 怪しいので 行けるとき
行くことに・・。 しかし きょうは いい天気の筈が 山陽道は 雨で 一時は どうなるかと 思いましたが
二時には 雨は 上がりました。 あるとき 気付いたのですが ポケットに 財布がない! 一瞬 落とし
たか?と 思いましたが よくよく考えると ポケットに入れた記憶がない・・。 忘れてきたのです。 金と
は 縁のない人生なので 財布を忘れても 困ることは ないのですが 免許証も入れているので 不携
帯・・。 ボケが 進行しています。 我ながら 情けない・・・。
 熊山は 山頂近くまで 道路があるので マイカー登山には 最適の山です。 残念なのは 熊山神社
のある峰は 509mの標高点がありますが 二等三角点:熊山のある峰は 標高507.8mで 1mほ
ど 低いのです。 おまけに NTTのバカでかい電波塔に 山頂を占領され 三角点は 隅に追いやられ・・。
 熊山は 吉備地方の東南の隅(すみ)の霊山ということから 「くまやま」 と 呼ばれた?  地図でも
神社の方に 熊山と 表示されています。 熊山周辺には いろいろ 面白いことが ありそうです。


 8:42 出発。 国道2号線を走り 9:05 龍野西ICから 山陽道に入ります。 雨が降ってきました。
赤穂、備前ICを通過し 次の和気ICで降ります。 龍野西~和気間は 37.5km、750円。 やはり
平日は 高い。 休日に 走らないと・・。 国道374号線に降りて 和気駅前を通り 体育館前で 右折し
て 県道395号線に出ます。 県道を西へ走りますが この道は 超狭い。 JR側の石垣に サイドミラー
が 当たりそう。 右側は 吉井川で 無論 車が来ると 擦れ違うことはできません。
 県道から 左へ降りて JRを潜り 奥吉原の集落に入ると 一本道。 正面に見える山並は 熊山の
手前の稜線のようです。 林道は 舗装され 走りやすい山道でしたが 登るにつれ カーブもあり 道
も狭くなり 油断すると 崖下へ・・。 ひやひやする道でした。



 県道から 4.2km登り 赤松峠へ。 広場、ベンチがありますが 峠らしい感じはありません。 山
と渓谷社の 32『岡山県の山』の 「熊山」 の項を見て 北の熊山駅の近くから 登ったことがあります
が ここへ出て 一息 入れるのです。 登山道は 林道を10mほど歩き 右の階段道を 登ります。
登山道は 荒れているので 注意するよう 注意書きがあります。



 林道を左へ進みます。 ヘアピンカーブを抜け 池の傍を過ぎ 道が なだらかになると 開けた所
に出て 左のスペースが 駐車場です。 10:13 駐車。 県道から 7.1km、和気ICから 12.8
km、家から 62.8kmでした。 1時間半ほど かかりました。



 大きな案内図のある所から コンクリ舗装道を上がります。 一般車通行止め。 すぐ 分岐があり
右に30mほど行くと 「二つ井戸」。 扉を開けると 屋根の下に 水溜りがあります。 湧水でしょう
か? 柄杓がありますが 水を飲む気はしません。 二つ井戸の意味は? 



 登山道を戻り 熊山神社へ。 横から大鳥居の前に出ます。 備前焼の狛犬が 印象的ですが 脚が
壊れています・・。 本には 山名は 紀州・熊野三山に 由来するともいわれ とあり 往時は 山系の
20数集落から それぞれ参道がついており とあるので 大きな神社を思わせますが 簡素な神社で
す。 山の上にあるから?
 熊山神社は 明治4年の神仏分離により 帝釈山霊山寺の守護神であった権現社が 奥吉原に下り
権現社跡に 新たに 熊野神社が 開扉された。 権現社の時代には 祭日には 近郷近在から 7つの
登山道を上がって参拝者が 集い 盛大であったそうですが・・。



 神社の右に 岩があります。 「腰掛け岩」とか 「旗立て岩」 と言われ 後醍醐天皇を奉ずる南朝方
の武士・児島高徳は 建武三年(1336) 新田義貞、脇屋義助と謀って 熊山に兵を挙げ 足利尊氏
方の赤松軍と戦った。(太平記) 軍議の際 高徳が 腰を下ろした岩と いわれる伝説がある。
 本殿の周りには 稲荷神社、水宮、大山神社、祇園社などの末社が 並んでいます。



 長い階段を降りて 樹齢千年といわれる二本の大杉の前を 熊山遺跡へ。 右に 観音堂?跡
があり 小さい五輪塔が並んでいます。 この辺りは 古代から中世にかけて 帝釈山霊山寺が
あったそうで 鐘楼?跡もあるようです。 左奥には 猿田彦神社があります。



 南へ進むと 右に 熊山遺跡。 石積みの遺構で 国指定の史跡。 砕いた石を 幾何学的に
3段に築成している。 石積の中央には 竪穴が設けられ 中には 陶製の筒型容器が 収めて
あった。 3段の石積の目的は 近年の研究から 仏塔としての性格を 備えたものであることが
判明した。 熊山の周辺には 類似の遺構が 32基 確認されているそうです。
 ここで 管理棟の管理人に 宝篋印塔を尋ねると 案内していただき 延々と説明を聞く羽目に・・。
30分以上 お話を聞いたでしょうか? 中から本を出して 見せながら説明され・・。 瓦の破片
も見せていただき 一石五輪塔へも 案内していただき・・。 涙が 出るほど 嬉しかった?


 熊山の周辺には 古代寺院跡も多くあり たたら製鉄の跡もあり 今では 長船だけになったが
刀を造る鍛冶屋も あったとか・・。 南には 丸山古墳があり 熊山との深いつながりがあった?
また 備前焼の産地でもあり 熊山南斜面で 古備前の窯跡が 多く見付かっている・・・。
 宝篋印塔は 管理棟の前にありました。 霊山寺・戒光院の客殿跡だそうです。 鎌倉時代の
正応五年の銘があり 岡山県下では 最古の紀年だそうで 市の文化財。 相輪の上端が 欠け
ていますが 高さは 1.1mで 思ったより 小さい。 霊山寺の僧・顕空の供養塔?



 管理棟の横の小高い所に 一石五輪塔があります。 一つの石で 五輪塔が刻まれた塔で 五輪
塔の退化した形? 五輪塔には 普通 空輪、風輪、火輪、水輪、地輪の五文字が 梵字で 刻ま
れる。
 きょうは 気温が低かったのか 長らく立ち話をしていると 寒かったぁ・・。 やっと 管理人から 解
放していただき 南の展望台へ。 南が 絶景ですが 近くの山の鉄塔が見えるだけで 霧のような
濃いモヤで 遠景は 全然 見えません。 三角点の熊山へ行きます。 一旦 駐車場へ戻り 林道を
東へ下ります。 200mほど 降りると 左に 管理道があります。 ここに 車止めがあると 思いまし
たが 車止めは 少し 先にありました。



 右にカーブしながら進むと 山頂。 ドコモの巨大な電波塔があり 奥の小さい鉄塔は 東備消防
組合の無線鉄塔です。 三角点は 奥のヤブにあります。 二等三角点:熊山 には 黄チップが埋
め込まれています。 見晴らしのないので 三角点を撮って すぐ 降ります。



 12:02 車に戻り ひと息入れ 車を出します。 登った林道を降ります。 登ったときは ひやひや
の林道も 降りるときは 様子が分かっているので 楽に降りることができました。 登るときより 霧
のようなモヤが 少し晴れたようです。 北東方向の奥に見えるのは 和気アルプスの神ノ上山でしょ
うか? 次に狙う二等三角点は あそこです。 三度目ですが・・・。 



 県道395号線に降りて 東へ向かうと 吉井川の向こうに 和気アルプスの稜線が 一望でき
神ノ上山の山頂も 覗いています。 今 登った熊山の姿を 見たいと思うのですが・・。 和気橋を
渡って 県道96号線を西へ走りますが・・。 熊山橋の西まで来て やっと 熊山の姿を捕えるこ
とが できました。 和気富士の麓へ戻り 大題目石(高さ17m、幅5m)を見て 金剛橋を渡り
国道374号線に出て 13:31 和気ICから 山陽道に入ります。



 きょうは ドライブ登山なので 簡単に終わると思ったのに 予想外に 時間がかかりました。
龍野西SAで 味噌ラーメン(580円)を食べ 龍野西ICを出ます。 財布は 忘れましたが
ETCのない 播但道を走るときのために 車に 小銭が 置いてあるのです。 国道2号線を走
って 14:38 家に帰ってきました。 歩数計は 7300歩でした。
本日の走行距離は 往路:62.8km 復路:71.6kmで 計:141.5kmでした。


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