私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

きょうは 書写の里・美術工芸館へ

2017-01-21 14:32:24 | ギャラリー散策
 1月21日(土)   天気:晴れ   室温:15.2℃

 きょうは 書写の里・美術工芸館へ 行きました。 いま 工芸館では 新春特別展示 ”丹波焼の
魅力” が行われていています。 兵庫県の最も代表的な やきもの として知られる 丹波焼。 この
展示では 近世の施釉陶器を中心に 室町時代から 江戸時代までの様々な 丹波焼を 個人コレク
ターの所蔵品を中心に 約110点を 紹介。 写真は 禁止です。

 11時ころ出かけましたが 太子町から 姫路市に入る青山の峠で 工事をしていて 片側交互通
行で 渋滞。 国道を 西へ行く車が 多かったのは なぜ? 国道は 夢前橋まで ずっと渋滞気味・・。

丹波焼という呼び名
 篠山市の南西部に位置する 今田町の中でも 上立杭・下立杭・釜屋地区を中心とした 限られた
地域で作られた やきもの は 時代とともに 呼び名が変わってきました。  この一帯は 中世に 丹
波国 小原野荘と呼ばれていたので 平安時代末期から 桃山時代ころの穴窯時代には 「小原野
焼」 と呼ばれていました。


 その後 桃山時代末期 以降 最初の登窯が釜屋地区山麓にあったので 釜屋時代と 区分され
その一帯産を 総じて 「丹波焼」 と呼びます。 その後 登窯の中心が より里に近い 立杭地域に
移ったことから 「立杭焼」 と呼ばれ それが 戦前まで 定着していました。 
 昭和53年に 「丹波立杭焼」 の名称で 国の伝統工芸品指定を受けました。 古い作例に限って
「古丹波」 と称されることもあります。

 篠山市今田町一帯で 現在も焼かれる丹波焼は 平安時代末期に始まったとされ 瀬戸・常滑・信楽・
備前・越前とともに 日本六古窯のひとつとして 知られます。 当初は 穴窯を用いて 焼締陶器がつくら
れた丹波焼は 燃料の松などの灰が 窯の中で やきものに降りかかって生まれた 緑色に発色する自
然釉の景色が 特徴です。 この時代特有の紐積の歪んだ形や それを整えるためのヘラ跡である猫掻
きも ユニークです。

 続く桃山時代には それまでの穴窯から 登窯へ変わり 技術的な革新期となって ろくろ成形が始ま
り 灰釉や鉄釉を使うようになります。 釉薬を使うことは 丹波焼の大きな転換点といえるでしょう。
 そして 江戸時代に入ると 赤土部が使われるようになります。 もとは 水漏れ防止だった塗り土が
赤褐色の見事な発色の釉薬として使われました。 加えて 色絵や 暖かい雰囲気の白地で 化粧した
上に 筒描きや 墨流しで 装飾を施すなど 多様なテクニックを駆使するようになります。
 江戸時代後期には 徳利が 丹波焼生産の主力となり 様々な形状や 名称の徳利が 出揃いました。

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