12月 3日(月) 天気:晴れ 室温:15.1℃
きょうは 天気も良いので 姫路の街を歩き ”姫路まちなか建築めぐり” パンフレットの
残りを片付けてきました。 ついでに 好古園に寄り きのうで 終わった ”紅葉会(もみじえ)”
の紅葉の残りを見ました。 一生懸命歩いたつもりですが 5時間歩いて 12000歩・・・。
きょう歩いたのは 1.アルモニー・アッシュ 2.白鷺橋 3.今井内科 4.播州信用
金庫・船場支店 5.扇観亭(シロトピア公園) 6.文学館(休館日) 7.ヤマトヤシキ。
これで パンフレットの建物は 終了です。 ( 高尾アパ-トは パス )
以前 訪れた建物は 歴史博物館、中央保健センター、姫路モノリス、市立美術館、淳心
会本部。 そのほか 旧網干銀行本店、美術工芸館、県立こどもの館 も訪れました。
きょうは 電車です。 9:38 で 網干駅を出発。 姫路駅に着くと 観光案内所に寄り
パンフを漁ります。 きょうは 何もなし・・。 官兵衛関係の新しいパンフは まだ 出てい
ないようです。 北へ行くと 山陽デパートの隣が アルモニー・アッシュ。
アルモニー・アッシュは 昭和34年 に建てられた 旧三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)
だったのですが いまは 建物をリノベーションした ウェディング施設に 変身しています。
パンフレットに 載っていますが ライオンのブロンズがある以外 面白味のない建物ですが・・。
銀行建築は その立地の良さ、重厚感、天上の高い営業室を有することなどから 各地で 商業
施設としての再利用が 進んでいるそうで ここも 結婚施設に 様変わりしています。
2時に 開館なので 中へは 入れません・・・。
国道に出て 西へ歩きます。 大劇シネマのような古い建物、ホテル・アーベストのよう
な新しい建物が・・・。 きょろきょろしながら歩く姿は お上りさん・・・。
船場川に出ると ”船場八景” の看板が・・。 船場八景とは 男山、景福寺、白鷺橋・・、
江戸時代の情景で 庶民の和歌から 選ばれた。
船場川沿いに 播州信用金庫・船場支店があるはずですが・・。 見当たりません・・。
国道2号線に移転したそうです。 姫路市の 「都市景観賞」 の建物です。
船場川沿いに 北へ歩くと 白鷺橋。 これは 「バンカル」 に載っている 「播磨の戦争
遺跡」 のひとつ。 昭和20年7月の空襲で 黒く焼け焦げた欄干が 今も残り 当時の
状況を 物語っています。 白鷺橋の後方の長い建物は 船場東ビル。
白鷺橋の東の路地に 今井内科の建物があります。 今井内科は 今は 営業していない
ようですが 旧第三十四銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)です。 大正六年(1917) 頃に
完成した煉瓦建築。 今は 商店街から離れた 静かな場所ですが 正面の道路は 旧西国
街道で かっては メインストリートとして 賑わっていました。 正面の縦長窓や 側面頂部の
装飾に 銀行建築の名残を 見ることができます。
国道2号線・東行を 西に行くと 播州信用金庫・船場支店(小姓町)があります。
第9回 市都市景観賞に選ばれた建物です。 3年に1回 公募で 選ばれるそうで ガラ
ス窓を基調とした 開放感のある壁面の平屋建で 周辺景観と調和してる点が 評価さ
れた・・。 第9回の賞は 播州信用金庫の北支店と 船場支店、WDBホールディングス
本社ビルの3件です。
・前回の姫路 建物めぐり(美術館、淳心会館etc.)と 都市景観賞の 播信・北支店と
WDBホールディングス・ビルは 「円心・則祐展」 のページの下の方にあります。
・たつの市の播州信用金庫の建物は 「峯相記の考古学」 の 一番下にあります。
・中央保険センター・ビルは 「秋季盆栽展」の一番下にあります。
・美術工芸館は 「ドレスデン展」 のページです。
播信の裏は 船場本徳寺で 屋根が見えています。 行かなくては・・。
船場本徳寺は 真宗・大谷派のお寺で 明徳年間に 本願寺中興の祖である 蓮如上人
が 英賀に 道場を開いたことを 開基とする。 天正十年(1582) 秀吉の命で 亀山に
移築され その後 姫路城主・本多忠政より 船場の土地と 旧池田家 菩提寺・国清寺
の建物を与えられ 元和四年(1618) 地内町に 船場本徳寺が 建立された・・・。
表門の横にある石燈籠は 元禄九年(1618)のもの。 史蹟 明治天皇姫路行在所
の碑もあります。 大きく 立派な本堂ですが 境内が がらんとして 寂れた雰囲気です。
建物も古く 修理中?
実は 播信の方から 工事の柵を越えて 裏から入ったのですが おかげで 本堂の裏に
ある 「勤皇志士の碑」 を 発見することができました。 なぜ 砲弾型の玉垣? 忠魂碑か
と思いました。 玉垣の中に 朽ちた大木の切株が・・・。 えっ これは ドイツのお城?
この辺りには ドイツ人の捕虜が住んでいた?
観光案内所で パンフレットを見ると 「勤皇の志士」 の足跡をたずねて というのも
あるようで 幕末の頃 勤皇の志士達が 姫路の地にもいました・・・・。 薩摩藩主・島津
久光の上洛途中 姫路や室津に 集まった諸藩の尊皇攘夷派の志士たちを・・・・・。
国道を 東に戻り 白鷺橋から 船場川に沿って 北へ歩きます。
市之橋の手前が 「船場八景」 のひとつ ”梅雨松” で 和歌は ”降りつづく 梅雨も
何時しか 晴れて来し 千代のためしに 色変えぬ松”。 実際の松は 橋の北にある?
橋の袂には 千姫の座像があります。 じっと 男山八幡宮の方を 見つめていますが
何か 寂しそう・・・。 市之橋を渡って 船場川の右側・千姫の小径を歩きます。
ここは 紅葉の名所で 紅葉も見頃です。 右の石垣の上には 西櫓が 白く輝いてい
ます。 写真は 何枚も 撮りましたが 割愛・・・。
千姫の小径の北端・清水橋を 右に行くと 「扇観亭」 があり これが 建築めぐりの2番。
ここは シロトピア記念公園で 扇観亭は 休憩所とトイレです。 黒川紀章の設計だそう
ですが なぜ トイレの設計を 黒川紀章が・・・。 円形の池の周りに ガラスの箱と コン
クリートの箱が 八の字型に 配置されています。 水のない池の中の造形・モニュメント
は 「森」(永廣隆次作)。
ここは シロトピア記念公園で 「姫路城十景」 のひとつ。 天空の白鷺が 望めますが
天井部が透けて 穴が開いているよう・・・。
清水橋を渡り 西へ歩き 姫路文学館へ行きます。 観光案内所で きょうは 休館と
言われたのですが 建物を見るだけなので 休館でも いいのです。
入口に ”瀬戸内寂聴展” の表示がありますが きのうで 終了。 南館に 司馬遼太郎
記念室があるので 一度 見てもいいかも・・。 「播磨灘物語」 に 何が書かれているのか・・。
冒頭は この前行った 備中・長船の福岡 だそうですが・・。
姫路文学館は 立方体やシリンダーを組み合わせた ユニークなコンクリートの建物で
安藤忠雄の設計で 1991年の竣工。 角ばった柱と梁が 目障りなのですが・・・。
国の登録有形文化財の 「望景亭」 では なにか 展示しているのですが・・・。
黒田家ゆかりのメグスリノ木が 紅葉しています。 ここは 姫路城十景では ありま
せんが 十景の男山と同じように 西櫓と姫路城、小天守を 見ることができます。
市之橋へ戻り 東の好古園に行きます。 姫路城西御屋敷跡庭園・好古園は 高齢者
は 無料。 きのうまで 「紅葉会」 をしていました。 好古園は 姫路城を借景に 姫路市
制百周年を記念して 造営され 平成4年に 開園した 池泉回遊式の日本庭園で 広さ
は 約1万坪。 好古園の愛称は 江戸時代の最後の藩主・酒井家によって この庭園の
入口付近に移設された藩校 「好古堂」 に因んでいます。
池も多くありますが どの池も 水に流れがあり 水がきれいで 鯉が泳いでいるのが いい。
好古園は 上の絵のように 御屋敷の庭、流れの平庭、茶室のある茶の庭 など 幾つか
の庭があり 紅葉など 見るものも多く 写真も 30枚以上撮りましたが 文字数制限もあり
このぺーじでは ほとんどを 割愛させて頂きます。
またいつか 暇ができれば 好古園のページを 作りたいと思います。
好古園を後にして 大手前通りを横切り イーグレひめじの横から 御幸通りに入り
ヤマトヤシキに行きます。 ヤマトヤシキで トイレを借りたついでに 中井三成堂
に寄りましたが 展示はなし・・。
ここへ来たら ヤマトヤシキの南にある ”ストリート・ギャラリー” 街・発信 に寄らないと・・。
この前は 場所が分かりませんでした。 店の前にあるグラマーな 「想」 の像が 目印です。
岩田健三郎の版画が 展示してあり 「街・発信」 の小冊子(500円)もあります。
建築めぐりのパンフの最後は 9番の ヤマトヤシキ ですが 建物としては 面白くな
い・・。 パンフには 村野藤吾氏の設計で 昭和26年に建設された 老舗百貨店。
関西を拠点に 活動した建築家で 都ホテルや 旧そごう本店など 多くの作品を残して
いますが 姫路では ヤマトヤシキだけのようです。 とありますが 建築家の名前だけで
選ばれた?
11番の高尾アパート( 日本住宅公団が 昭和41年に 建設した賃貸アパートで モノレ
ール駅と合築 ) は パスして これで 1~10番と A、B、Cの三軒 すべて 訪れました。
行列のできる ”鯛焼き” を買い忘れたので 駅前で 回転焼き・御座候を 買い
14:28 の電車で帰りました。 きょうは よく歩いたのに 12000歩ほどでした。
。。。。。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。。。。。。。
きょうは 天気も良いので 姫路の街を歩き ”姫路まちなか建築めぐり” パンフレットの
残りを片付けてきました。 ついでに 好古園に寄り きのうで 終わった ”紅葉会(もみじえ)”
の紅葉の残りを見ました。 一生懸命歩いたつもりですが 5時間歩いて 12000歩・・・。
きょう歩いたのは 1.アルモニー・アッシュ 2.白鷺橋 3.今井内科 4.播州信用
金庫・船場支店 5.扇観亭(シロトピア公園) 6.文学館(休館日) 7.ヤマトヤシキ。
これで パンフレットの建物は 終了です。 ( 高尾アパ-トは パス )
以前 訪れた建物は 歴史博物館、中央保健センター、姫路モノリス、市立美術館、淳心
会本部。 そのほか 旧網干銀行本店、美術工芸館、県立こどもの館 も訪れました。
きょうは 電車です。 9:38 で 網干駅を出発。 姫路駅に着くと 観光案内所に寄り
パンフを漁ります。 きょうは 何もなし・・。 官兵衛関係の新しいパンフは まだ 出てい
ないようです。 北へ行くと 山陽デパートの隣が アルモニー・アッシュ。
アルモニー・アッシュは 昭和34年 に建てられた 旧三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)
だったのですが いまは 建物をリノベーションした ウェディング施設に 変身しています。
パンフレットに 載っていますが ライオンのブロンズがある以外 面白味のない建物ですが・・。
銀行建築は その立地の良さ、重厚感、天上の高い営業室を有することなどから 各地で 商業
施設としての再利用が 進んでいるそうで ここも 結婚施設に 様変わりしています。
2時に 開館なので 中へは 入れません・・・。
国道に出て 西へ歩きます。 大劇シネマのような古い建物、ホテル・アーベストのよう
な新しい建物が・・・。 きょろきょろしながら歩く姿は お上りさん・・・。
船場川に出ると ”船場八景” の看板が・・。 船場八景とは 男山、景福寺、白鷺橋・・、
江戸時代の情景で 庶民の和歌から 選ばれた。
船場川沿いに 播州信用金庫・船場支店があるはずですが・・。 見当たりません・・。
国道2号線に移転したそうです。 姫路市の 「都市景観賞」 の建物です。
船場川沿いに 北へ歩くと 白鷺橋。 これは 「バンカル」 に載っている 「播磨の戦争
遺跡」 のひとつ。 昭和20年7月の空襲で 黒く焼け焦げた欄干が 今も残り 当時の
状況を 物語っています。 白鷺橋の後方の長い建物は 船場東ビル。
白鷺橋の東の路地に 今井内科の建物があります。 今井内科は 今は 営業していない
ようですが 旧第三十四銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)です。 大正六年(1917) 頃に
完成した煉瓦建築。 今は 商店街から離れた 静かな場所ですが 正面の道路は 旧西国
街道で かっては メインストリートとして 賑わっていました。 正面の縦長窓や 側面頂部の
装飾に 銀行建築の名残を 見ることができます。
国道2号線・東行を 西に行くと 播州信用金庫・船場支店(小姓町)があります。
第9回 市都市景観賞に選ばれた建物です。 3年に1回 公募で 選ばれるそうで ガラ
ス窓を基調とした 開放感のある壁面の平屋建で 周辺景観と調和してる点が 評価さ
れた・・。 第9回の賞は 播州信用金庫の北支店と 船場支店、WDBホールディングス
本社ビルの3件です。
・前回の姫路 建物めぐり(美術館、淳心会館etc.)と 都市景観賞の 播信・北支店と
WDBホールディングス・ビルは 「円心・則祐展」 のページの下の方にあります。
・たつの市の播州信用金庫の建物は 「峯相記の考古学」 の 一番下にあります。
・中央保険センター・ビルは 「秋季盆栽展」の一番下にあります。
・美術工芸館は 「ドレスデン展」 のページです。
播信の裏は 船場本徳寺で 屋根が見えています。 行かなくては・・。
船場本徳寺は 真宗・大谷派のお寺で 明徳年間に 本願寺中興の祖である 蓮如上人
が 英賀に 道場を開いたことを 開基とする。 天正十年(1582) 秀吉の命で 亀山に
移築され その後 姫路城主・本多忠政より 船場の土地と 旧池田家 菩提寺・国清寺
の建物を与えられ 元和四年(1618) 地内町に 船場本徳寺が 建立された・・・。
表門の横にある石燈籠は 元禄九年(1618)のもの。 史蹟 明治天皇姫路行在所
の碑もあります。 大きく 立派な本堂ですが 境内が がらんとして 寂れた雰囲気です。
建物も古く 修理中?
実は 播信の方から 工事の柵を越えて 裏から入ったのですが おかげで 本堂の裏に
ある 「勤皇志士の碑」 を 発見することができました。 なぜ 砲弾型の玉垣? 忠魂碑か
と思いました。 玉垣の中に 朽ちた大木の切株が・・・。 えっ これは ドイツのお城?
この辺りには ドイツ人の捕虜が住んでいた?
観光案内所で パンフレットを見ると 「勤皇の志士」 の足跡をたずねて というのも
あるようで 幕末の頃 勤皇の志士達が 姫路の地にもいました・・・・。 薩摩藩主・島津
久光の上洛途中 姫路や室津に 集まった諸藩の尊皇攘夷派の志士たちを・・・・・。
国道を 東に戻り 白鷺橋から 船場川に沿って 北へ歩きます。
市之橋の手前が 「船場八景」 のひとつ ”梅雨松” で 和歌は ”降りつづく 梅雨も
何時しか 晴れて来し 千代のためしに 色変えぬ松”。 実際の松は 橋の北にある?
橋の袂には 千姫の座像があります。 じっと 男山八幡宮の方を 見つめていますが
何か 寂しそう・・・。 市之橋を渡って 船場川の右側・千姫の小径を歩きます。
ここは 紅葉の名所で 紅葉も見頃です。 右の石垣の上には 西櫓が 白く輝いてい
ます。 写真は 何枚も 撮りましたが 割愛・・・。
千姫の小径の北端・清水橋を 右に行くと 「扇観亭」 があり これが 建築めぐりの2番。
ここは シロトピア記念公園で 扇観亭は 休憩所とトイレです。 黒川紀章の設計だそう
ですが なぜ トイレの設計を 黒川紀章が・・・。 円形の池の周りに ガラスの箱と コン
クリートの箱が 八の字型に 配置されています。 水のない池の中の造形・モニュメント
は 「森」(永廣隆次作)。
ここは シロトピア記念公園で 「姫路城十景」 のひとつ。 天空の白鷺が 望めますが
天井部が透けて 穴が開いているよう・・・。
清水橋を渡り 西へ歩き 姫路文学館へ行きます。 観光案内所で きょうは 休館と
言われたのですが 建物を見るだけなので 休館でも いいのです。
入口に ”瀬戸内寂聴展” の表示がありますが きのうで 終了。 南館に 司馬遼太郎
記念室があるので 一度 見てもいいかも・・。 「播磨灘物語」 に 何が書かれているのか・・。
冒頭は この前行った 備中・長船の福岡 だそうですが・・。
姫路文学館は 立方体やシリンダーを組み合わせた ユニークなコンクリートの建物で
安藤忠雄の設計で 1991年の竣工。 角ばった柱と梁が 目障りなのですが・・・。
国の登録有形文化財の 「望景亭」 では なにか 展示しているのですが・・・。
黒田家ゆかりのメグスリノ木が 紅葉しています。 ここは 姫路城十景では ありま
せんが 十景の男山と同じように 西櫓と姫路城、小天守を 見ることができます。
市之橋へ戻り 東の好古園に行きます。 姫路城西御屋敷跡庭園・好古園は 高齢者
は 無料。 きのうまで 「紅葉会」 をしていました。 好古園は 姫路城を借景に 姫路市
制百周年を記念して 造営され 平成4年に 開園した 池泉回遊式の日本庭園で 広さ
は 約1万坪。 好古園の愛称は 江戸時代の最後の藩主・酒井家によって この庭園の
入口付近に移設された藩校 「好古堂」 に因んでいます。
池も多くありますが どの池も 水に流れがあり 水がきれいで 鯉が泳いでいるのが いい。
好古園は 上の絵のように 御屋敷の庭、流れの平庭、茶室のある茶の庭 など 幾つか
の庭があり 紅葉など 見るものも多く 写真も 30枚以上撮りましたが 文字数制限もあり
このぺーじでは ほとんどを 割愛させて頂きます。
またいつか 暇ができれば 好古園のページを 作りたいと思います。
好古園を後にして 大手前通りを横切り イーグレひめじの横から 御幸通りに入り
ヤマトヤシキに行きます。 ヤマトヤシキで トイレを借りたついでに 中井三成堂
に寄りましたが 展示はなし・・。
ここへ来たら ヤマトヤシキの南にある ”ストリート・ギャラリー” 街・発信 に寄らないと・・。
この前は 場所が分かりませんでした。 店の前にあるグラマーな 「想」 の像が 目印です。
岩田健三郎の版画が 展示してあり 「街・発信」 の小冊子(500円)もあります。
建築めぐりのパンフの最後は 9番の ヤマトヤシキ ですが 建物としては 面白くな
い・・。 パンフには 村野藤吾氏の設計で 昭和26年に建設された 老舗百貨店。
関西を拠点に 活動した建築家で 都ホテルや 旧そごう本店など 多くの作品を残して
いますが 姫路では ヤマトヤシキだけのようです。 とありますが 建築家の名前だけで
選ばれた?
11番の高尾アパート( 日本住宅公団が 昭和41年に 建設した賃貸アパートで モノレ
ール駅と合築 ) は パスして これで 1~10番と A、B、Cの三軒 すべて 訪れました。
行列のできる ”鯛焼き” を買い忘れたので 駅前で 回転焼き・御座候を 買い
14:28 の電車で帰りました。 きょうは よく歩いたのに 12000歩ほどでした。
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