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私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室10月 「姫路の大名行列」

2022-10-18 14:03:28 | 歴史探索

 10月18日(火)   天気:曇り のち 晴れ    室温:23.0℃

 きょうは、公民館の歴史教室へ行きました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭先生の
「姫路の大名行列」で、先月の 「大名の格式と参勤交代」 の続きです。

 公民館だより10月には
 昨年、第71回 「姫路お城まつり」 で、大名行列の衣装や 行列道具が 復元され、
かっての大名行列が 現代に甦りました。 これは、安政6年(1859) 姫路藩主
酒井忠顕が 第14代将軍・徳川家茂の名代として、時の孝明天皇に 挨拶するため 上
洛した際の絵図 「顕徳院様将軍御名代 上京行列図」(姫路市像)をもとに 再現され
たものです。 そこで、この度 復元された大名行列の衣装や道具、また、絢爛豪華な
姫路の大名行列の姿を紹介します。            中川秀昭
  


 。。。。。。。。。。。 姫路の大名行列 。。。。。。。。。。。。   

1.大名行列

 1)大名行列とは

  ・大名が 公式に外出するときの行列ー「軍隊(軍勢)」の行軍(軍法に則る)

                    「武威」を見せつけるための軍事パレード

  ※武家の行列は 「押」が 基本。 戦国時代以来の臨戦的な行軍形式に始まった大名行列は、

   江戸時代前期以降は 実用性がうすれて 形式的なものになり、その服装も 質実剛健なものから

   華美に流れていった。

  ・大名行列:参勤交代、江戸城登城、日光・紅葉山社参、上野寛永寺・芝増上寺参詣、日光法会・

        京都大礼、改易、減転封の際の城受取、江戸市中を行く

 2)大名行列の構成ー「備」(そなえ)

   先 払       ②本陣            ③騎馬隊      ④小荷駄

   ①前線部隊   ・持組(足軽:大将の武器管理)  ・騎馬の武士と   ・輸送部隊

   ・鉄砲足軽   ・徒組(鎗組の歩兵、本陣の警護)  その家来、手周り

   ・弓足軽    ・中小姓(歩兵、主君警護)

   ・長柄     ・大将(藩主と側近・小姓など)

  ◆「備」のままに行軍すること・・・「押」(おし)という

   ※「徒(かち)」:主君に謁見が許されない 目見得以下の歩兵

   ※③騎馬隊:騎馬を許された上級家臣たちで、これらを囲む陪臣たちが行列に いくつも含まれた

 

 3)大名行列で 大名の権威を高めるため 重要視されたもの

  <見せる側>

   ・行軍の人数を増やす:「人宿」といわれる人材派遣業者に 奉公人などを派遣してもらう

   ・道具などを「見せる」:家格を表わす重要な指標

  <大名行列を見物する側>

   ・江戸中期以降、大名行列のガイド本「武漢」が 出版された

   ※寛永20年(1643)発刊が 最初で、須原屋と出雲寺の二大出帆元が競った

   ※「武漢」には、系図、本国、紋所、当主の名前、江戸城内での殿席、参勤交代の時期、献上品、拝領品・・・

 4)幕府による大名行列の規制・制限

 〈行軍の人数(従者)の制限〉

  ・各大名が 威勢を誇示し、行列の華美を競うあまり 供連れの人数が多くなる傾向となることから、

   これまでも 「武家諸法度」(元和令、寛永令、天和令、法永令)などで 従者の制限について 度々 規制した

   ≪享保6年:幕府による供人数制限令≫

   ・8代将軍 徳川吉宗の代に、幕府は 供人数制限をだし、大名行列の全体の人数制限を行うとともに、

    藩財政の窮乏化により 家臣を減らし、その不足分を賃金で 雇い入れた「渡り者」を使用する風潮を禁じた

  〈行軍の格式規制〉

   ・諸大名が 格式を無視して行列を装飾していったのか、安永年間になって、乗り物、虎皮鞍覆、爪折傘の

    使用規制と鎗、長刀、挟箱などの位置(配置)規制を行った

2.姫路の大名行列

  ・第71回 姫路・お城まつりで 「姫路の大名行列」を 再現しようとする機運の高まり

   ●衣装・調度品など 900点を復元

    ・典拠:江戸時代後期の大名行列絵図 「顕徳院様将軍御名代 上京行列図」(姫路氏所蔵)

   ●姫路版大名行列を再現

    ・典拠 「播州姫路 酒井雅楽頭御行列・行列道具コレクション」

  ※参照:『現代によみがえる! 姫路の大名行列衣装・行列道具コレクション』

 1)姫路の大名行列のポイント ー酒井家の格式を示す様々な調度品ー

  ・金御紋付対挟箱:挟箱は、殿様(藩主)や 藩士の着替えなどを入れたもので、家の格と

          威厳を示すもの。 金紋付は、家格の高い家のみが 徳川幕府から使用を許された。

  ・朱柄槍:天正3年 諏訪原城攻めの戦功で 酒井正親が 徳川家康から 朱長柄100本を拝領した

       由緒ある槍、朱長槍を持てるのは 非常に名誉なことで、持てるのは 酒井家ほか数家のみ

  

  ・鷹匠:酒井家では、姫路に就封する際に 将軍から拝領品として、鷹と馬を拝領したがこの両方を

      拝領した藩は、御三家、越前松平家などに限られていた。 酒井家の価格の高さを示す。

  ・子馬印:馬印は、殿様(藩主)の所在を示す目印で、この馬印は 徳川家康が 本能寺の変で、窮地に陥り、

       船で伊勢・白子から知多半島に逃げる際に使用した船印で、褒美として酒井家が拝領したもの。  

  ・空穂(うつぼ):矢を収納し 弓兵が 腰に背負うもの、全体に金箔を貼り、酒井家の家紋が描かれている。

  ・御用物長持:長持とは 長方形の大きな箱のこと。藩主の甲冑や刀など 殿様が使う大切な物品が収納された。  

  ・長刀:三日月形の覆いは 酒井家の長刀の特徴を示し、この長刀を見ると 大名行列が酒井家であることが

      一目でわかる。 行列で 長刀も 家格により 使用が制限された。

 

  ・虎皮鞍覆:御召馬の鞍に掛けられた虎皮鞍覆は、将軍家に 特に近い御三家や徳川家一門の各松平家、

        国持大名しか 許されていなかったが、酒井家は 特別な家柄として 使用が許された。 

  ・茶弁当箱:殿様(藩主)の外出用の飲食物運搬用具。 この弁当箱も、幕府から許可された特別の

        家柄だけが 持って行くことを許された。

 

 2)参考資料(姫路藩 榊原家)

  ・参勤交代の所要日数:姫路~江戸 27泊28日、一回の費用:約1000両、行列の人:数約450人

    姫路~江戸間の距離・行列速度:約640km、34km/一日、:陸尺の酒の量:8合(約1.44L)

  ・殿様(藩主)の駕籠舁(かごかき):陸尺(ろくしゃく)といい、人足と呼ばれる日雇い労働者で、行列が通ると

     見物する人たちも多いため、美男で 体格のよい者が選ばれ、賃金も 他の人足に比べ 高かった。  

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