2月27日(月) 天気:晴れ 雲あり 室温:13.2℃ 地図:網干(東端)
きょう 午前中 暇にまかせて 京見山へ行ってきました。 きのう しみけんさんのページを見ると
京見山の砲台跡へ行かれ 砲台跡の石積みの写真がありました。 私も 昨年 5月18日に 京見山の
山火事跡を視察に行った際 砲台跡へ寄ったのですが 石積みを見ていません。 わざわざ 見に行く
価値があるかどうか 分かりませんが 暇だし 簡単に短時間で 行けるので ちょっと 行ってきました。

きょうは 自転車で行きます。 従って 時間集計も 距離集計も ありません。 適当に 東へ行き
適当に 踏切を越え はりま勝原駅へ。 駅の手前に 夫婦地蔵があります。 石に 二体のお地蔵
さんが彫ってあり 右の地蔵さんは 錫杖を持っています。 子供を授かりたい人に ご利益がある
そうです。 室町時代末期の作? 説明板によると この辺りの地名は 熊見ですが 源満仲が
西国へ下向するとき 熊が出たから という説もあるそうです。 ここで 源氏の祖・源満仲に 会うとは
思いませんでした。
坂は 自転車を押して 歩きましたが 家から 15分ほどで 登山口に 着いたでしょか?

登山口に 自転車を置いて 砲台跡へ行くだけなので 手ぶらで スタート。 上の地図は 「京見
山散策マップ」の一部分ですが 砲台跡への道は 描かれていません。 分岐から 折り返すよう
に 南へ尾根道を進みます。 詳しくは しみけんさんのページのGPS軌跡を見てください。
道は はっきりしているので 迷うことはないと思います。 登山口から 真っ直ぐ進み 分岐を 右
の岩の方へ上がります。 自然林の山道を登ると 標識のない分岐に出ます。

分岐を折り返すように 尾根を南へ 約100m進むと 開けた岩場に出ます。 ここが 砲台跡で
南から振り返ると 高さ50cmほどの石積みがあります。 低い雑木が茂って 一部隠れています
が 石積みは 三辺あり 一辺は 3mほど。 角には 錆びた鉄の金具もあります。
歴史的遺構なので せめて 標識でも あったらと思いますが・・。 少し雑木を整理して 丸太を
組んで 高射砲の模型でも 作ってもらうと いうことなしですが・・。


ここは 岩場で 南が開け 展望良好。 東は 明石大橋から 南の家島諸島、小豆島 南西の御
津山脈の東端が見渡せます。 ただし 天気が良ければ・・。 真下には はりま勝原駅の シラサギ
が 羽を広げた形の駅舎が見えます。 山頂の方が 景色は いいのですが きょうは 行きません。
砲台跡を確認して 岩場から 景色を見て 10分ほどいて 下山。
京見山の周りには 古墳が多くありますが やはり 古墳より 砲台跡の方が いいのは 私だけ?


登山口から 砲台跡まで 10分ほど 砲台跡に 10分ほど居て 下山も 10分ほどで 計30分で
一件落着。 はりま勝原駅に降りて イオン大津ショピングセンターの前を通って 重い 折畳み自転
車を 必死に漕いで 向かい風に 悪戦苦闘しながら 帰りました。 ツカザキ病院の前まで戻り ふと
この前の歴史教室の ”朝日尋常小学校跡” を思い出し 畑の中を通って 南の小学校跡へ回り 標
識を撮って帰りました。 標識は 「歴史教室 その3」 のページに 入れておきました。

。。。。。。。。。。。。
3月5日 手柄山へ行った帰りに 京見橋の上から 去年の京見山の山火事跡が見えました。
天気が 良くなかったので 暗くなっていますが 京見山の東尾根と トンガリ山東尾根の 南斜面
が 茶色く 焦げているのが 分かります。

。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。
きょう 午前中 暇にまかせて 京見山へ行ってきました。 きのう しみけんさんのページを見ると
京見山の砲台跡へ行かれ 砲台跡の石積みの写真がありました。 私も 昨年 5月18日に 京見山の
山火事跡を視察に行った際 砲台跡へ寄ったのですが 石積みを見ていません。 わざわざ 見に行く
価値があるかどうか 分かりませんが 暇だし 簡単に短時間で 行けるので ちょっと 行ってきました。


きょうは 自転車で行きます。 従って 時間集計も 距離集計も ありません。 適当に 東へ行き
適当に 踏切を越え はりま勝原駅へ。 駅の手前に 夫婦地蔵があります。 石に 二体のお地蔵
さんが彫ってあり 右の地蔵さんは 錫杖を持っています。 子供を授かりたい人に ご利益がある
そうです。 室町時代末期の作? 説明板によると この辺りの地名は 熊見ですが 源満仲が
西国へ下向するとき 熊が出たから という説もあるそうです。 ここで 源氏の祖・源満仲に 会うとは
思いませんでした。
坂は 自転車を押して 歩きましたが 家から 15分ほどで 登山口に 着いたでしょか?



登山口に 自転車を置いて 砲台跡へ行くだけなので 手ぶらで スタート。 上の地図は 「京見
山散策マップ」の一部分ですが 砲台跡への道は 描かれていません。 分岐から 折り返すよう
に 南へ尾根道を進みます。 詳しくは しみけんさんのページのGPS軌跡を見てください。
道は はっきりしているので 迷うことはないと思います。 登山口から 真っ直ぐ進み 分岐を 右
の岩の方へ上がります。 自然林の山道を登ると 標識のない分岐に出ます。



分岐を折り返すように 尾根を南へ 約100m進むと 開けた岩場に出ます。 ここが 砲台跡で
南から振り返ると 高さ50cmほどの石積みがあります。 低い雑木が茂って 一部隠れています
が 石積みは 三辺あり 一辺は 3mほど。 角には 錆びた鉄の金具もあります。
歴史的遺構なので せめて 標識でも あったらと思いますが・・。 少し雑木を整理して 丸太を
組んで 高射砲の模型でも 作ってもらうと いうことなしですが・・。






ここは 岩場で 南が開け 展望良好。 東は 明石大橋から 南の家島諸島、小豆島 南西の御
津山脈の東端が見渡せます。 ただし 天気が良ければ・・。 真下には はりま勝原駅の シラサギ
が 羽を広げた形の駅舎が見えます。 山頂の方が 景色は いいのですが きょうは 行きません。
砲台跡を確認して 岩場から 景色を見て 10分ほどいて 下山。
京見山の周りには 古墳が多くありますが やはり 古墳より 砲台跡の方が いいのは 私だけ?





登山口から 砲台跡まで 10分ほど 砲台跡に 10分ほど居て 下山も 10分ほどで 計30分で
一件落着。 はりま勝原駅に降りて イオン大津ショピングセンターの前を通って 重い 折畳み自転
車を 必死に漕いで 向かい風に 悪戦苦闘しながら 帰りました。 ツカザキ病院の前まで戻り ふと
この前の歴史教室の ”朝日尋常小学校跡” を思い出し 畑の中を通って 南の小学校跡へ回り 標
識を撮って帰りました。 標識は 「歴史教室 その3」 のページに 入れておきました。


。。。。。。。。。。。。
3月5日 手柄山へ行った帰りに 京見橋の上から 去年の京見山の山火事跡が見えました。
天気が 良くなかったので 暗くなっていますが 京見山の東尾根と トンガリ山東尾根の 南斜面
が 茶色く 焦げているのが 分かります。

。。。。。。。。。。。。。











私も砲台跡の方がいいです!
姫路空襲で撃墜されたB29はいませんが、1回目、2回目の姫路空襲ともに各2機のB29が対空砲火で損傷を受けています。
B29は 高射砲の射程より 上を飛んだのでは?
空襲で 姫路城が被害を受けなかったのは 良かったですよね。
PS:きょう わーさんから 近況報告のメールが来ました。
私もそう思っていましたが、米軍の資料を読むと、爆撃行程では5000m(1回目)、3500m(2回目)を飛んだので、高射砲でも十分に射程に入ります。
高高度から爆弾を投下しても当たりませんから、爆撃行程では低めに飛んだんですね。
今のような誘導兵器が無い時代、高度数千メートルから焼夷弾をばらまく空襲で、姫路城だけを避けるなんて不可能です。
姫路城が無事だったのは本物の奇跡ですね。
地上に落ちるのですか?
高射砲で 撃っても とても当たるとは思えない・・。
かなり前に テレビで見ましたが 姫路城には
見えないよう 黒い幕を被せていたとか・・。
爆撃機のパイロット?は 姫路城は 見えていたと 言っていたような気がするのですが・・。
わたしは 戦後生まれだし 姫路には35年しか
住んでいないので 詳しいことは知りません・・・。
> 地上に落ちるのですか?
B29がいる高度まで上がったところで爆発する
ように時限信管をセットして発射するので、
そのまま落ちてくることはないと思います。
B29に当たる当たらないかにかかわらず、
空中でドカンドカンと爆発し、破片で敵機に
損傷を与えます。
B29は対地レーダーで目標を捜索したので、
日本の灯火管制や黒い幕作戦なんて全く意味が
ありませんでした。
夜間でもレーダー画面には海岸線がくっきり
写り、優秀なレーダー要員にとっては姫路城は
姫路市街地の位置を示す大きな目印でしか
なかったと思います。レーダーなので、肉眼で
見えるかどうかなんて関係無かったのです。
ところで
世界の梅公園、綾部山梅林 梅は いまいちのようですね。
私も 久しぶりに 好古園へ盆梅展を見に行こうと思ったのですが
電話すると ほとんど咲いていない とのことなので やめました。
盆梅展は 会期を延長するとか・・。