12月22日(木) 冬至 天気:曇りのち晴れ 室温:16.9℃
きょうは、姫路市立美術館へ 「鉄と技の美 ー姫路藩主 酒井家の刀剣ー」 を見に行き
ました。 火曜日の歴史教室で 中川先生が 美術館で 酒井家の刀剣の展示をしているので、
見に行ってください と言われたので、行ってきました。 藩主 酒井家が作陶した刀 11振り
が 展示されています。 入場無料で、写真撮影OKです。 残念ながら 刀剣女子は いません。
出かけるときは、曇りで 小雨が降っていましたが、午後には 晴れて 日がさしてきました。
姫路城管理事務所が 管理していた 「酒井家の刀剣」 は、江戸時代の幕末までは 姫路城内に
保管されていたものと 考えられる。 それぞれの刀剣は、共鎺(ともはばき)などの白鞘に 収
められていて、刃文を焼刃した藩主の戒名(院号)が 白鞘に墨書されている。 もとは、拵(
柄・鍔・鎺・塗鞘)が 付属し、武器蔵の刀箪笥に収納保管されていたと推定される。
江戸時代後期に 酒井家にあった御宝器のうち、刀剣類を記した 「姫路酒井家宝器明細簿・乾」
に記載される155口の一部と考えられる。 なお 本書で 歴代の焼刃だけで 43口を数える。
姫路藩主 酒井雅樂頭家は、鎌倉時代の後鳥羽上皇による鍛刀・貴人が 刀を打つという系譜を
受け継ぎ、当主自らが 鍛刀に携わっていた。 姫路城内の大手門東の内堀に沿って 鍛冶小屋
(現在の護国神社本殿付近)があり、これらの刀剣も ここで 作刀されたと推定される。
相手鍛冶は、馬橋時代からの 「服部秋広」 や 「市橋秋久」、「伊勢崎正次」 などが知られ
ている。 現在は、13口が 伝来し、1口を除いて ほとんどが 酒井家歴代の焼刃による作刀
と指料である。 今回は、当館が所蔵する10口と 姫路神社の1口を 紹介する。
2月26日に 市立美術館へ ”姫路市美術展” を見に行ったときにも 刀剣が 展示されていました。
◆酒井雅楽頭家:
酒井家の遠祖は、徳川家康の8代前の祖・松平親氏が 三河国坂井村の五郎左衛門の養子となり
雅楽助(うたのすけ)と称し、五郎左衛門の女を妻とし、生まれた子・広親により始まると伝えられる。
広親の二男・家忠の玄孫・正親は、幼少の頃から徳川家康に仕え しばしば 軍功をあげた功により、
三河国西尾城を与えられた。 その二男・忠重も 関ケ原合戦などで 戦功をあげ、慶長6年(1601) 上野国
厩城主(前橋市)となり 3万石を与えられた。 以降 この重忠の子孫が、酒井雅楽頭(うたのかみ)家
として 社稷を守っていくのである。 その後 8世の孫・忠恭の時に、播磨国姫路城へ転封となるのである。
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12時前に 美術館を出ました。 いそいで 駅に戻れば 12:14の電車に間に合うかと
思いましたが、急ぐこともないので 山陽百貨店へ寄りました。 美術画廊では、”東京芸術大学
彼末 宏と門下生たち 油彩画展” をしていました。 これを見て 駅に戻りました。
12:49の電車は しばらく待たないと・・、ところが ホームに上がると 電車は 約10分遅れ。
約40分待たされることに。 駅そばを 食べて 時間をつぶし、寒風の椅子に座って・・。 悪いこ
とに 50分頃に 姫路止めの電車が着くと、乗客が どっと降りてきて 7番ホームに並びました。
仕方なく 後ろに並びました。 が、遅れた電車が来ても 誰も乗りません。 並んだ人は 後発の
赤穂行の電車を待っていたのです。 家に帰ると、BSシネマのジェームス・スチュアートの
映画 ”素晴らしき哉、人生!” は もう始まっていました。 やれやれ・・。
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