4月 6日(金) 天気:曇り 室温;21.9℃
この前 イーグレひめじで FMゲンキのフリーマガジン ”春号” を入手しましたが
3ページに 地域探求図鑑 姫路鑑シリーズ②「ふらっと文学」 というページがあり
姫路文学館 学芸員 徳重公美(くみ)さんによる新シリーズが スタート! 文学や地域
を軸にしつつ 筆の向くまま 色んなテーマに アプローチします。 というわけで 第1
回は 『播磨国風土記』 と 「ひめじ」 です。
「姫路」 という名前を みなさんは ご存知でしょうか。 命名の由来を語るものとし
て もっとも 知られているものに 『播磨国風土記』 があります。 第一回目の今回は
『播磨国風土記』 で 語られる 「ひめじ」 の由来について 紹介します。
<『播磨国風土記』>
奈良時代に 各国から中央政府へ提出された報告書をまとめたものを 「風土記」 と
いいます。 提出されたこの報告書では まず 各国の名前と そこに含まれる郡名・郷名
が 表記と命名の由来とともに報告され その他 土地の肥沃度や 特産物、山や川や原
野の名の由来、古い言い伝えなどが まとめられました。 播磨国から 提出されたもの
が 『播磨国風土記』 です。
<十四丘の物語>
『播磨国風土記』 では 「ひめじ」 の命名の由来も まとめられています。 それが
「十四丘」 の物語です。
昔 オオナムチノミコト(大汝命)という神様がおりました。 その子・ホアカリノ
ミコト(火明命)は 気性が荒く 強暴でした。 困った大汝命は 火明命を 因達神山
(八丈岩山のこと)へ置き去りにしてしまおうと考えます。
因達神山に 火明命を残し 船に乗って去ろうとした大汝命ですが それに気づいた火
明命は 激怒! 火明命は 波風をを起こして 父・大汝命の乗った船を 転覆させてしま
いました。
そのとき 転覆した船から12の積荷ー琴・箱・梳匣(くしげ・くし)・箕(み)・
甕(かめ)・稲・冑(かぶと)・沈石(いかり)・綱・鹿・犬・蚕子(ひめこ)-が あ
たりに 散らばってしまい それらが落ちた場所は 次のように 呼ばれるようになりました。
・船が転覆した場所:船丘(景福寺山)、波丘(栗林山・名古山の東端)
・琴が落ちた場所:琴神丘(薬師山)
・くしが落ちた場所:匣丘(くしげおか)(船越山または鬢櫛山)
・かめが落ちた場所:甕(みか)丘(神子岡山)
・冑がおちた場所:冑(かぶと)丘(冑山)
・綱が落ちた場所:藤丘
・犬が落ちた場所:犬丘
・箱が落ちた場所:箱丘(男山)
・箕が落ちた場所:箕形(みかた)丘(秩父山)
・稲が落ちた場所:稲牟礼(いなむれ)丘(稲岡山
・沈石が落ちた場所:沈石(いかり)丘
・鹿が落ちた場所:鹿丘
・蚕子が落ちた場所:日女道(ひめじ)丘(姫山)
※( )は その場所として 考えられている山
返りうちにあってしまった大汝命は しょんぼりして 妻・ノツヒメ(弩都比命)に
「悪い子から逃れようとしたが かえって 洪水に巻き込まれ 辛く 苦しい思いをした」
と 伝えたのでした。
「日女道(ひめじ)丘」 は 今の姫山のことです。 『播磨国風土記』 は 「ひめじ」
の名の由来を 蚕子が落とされた ことにちなんでいると 伝えています。 かっての日本
では 養蚕業が盛んで 播磨でも 行われていました。 蚕が 船の積荷となっていることか
ら その製品は 日本中に行きわたっていたのでしょう。 また 物語の中では 二神が 船
に乗って 行き来していますが 姫路城築城以前 姫山の西側には 大川という川がありま
した。 その流れは 八丈岩山と 14の丘を取り巻く 平地に広がっており 洪水がおこ
れば その被害も大きかったのであろうと 予想されます。
『播磨国風土記』 は 実際の風景や 出来事を 神様の事跡として 語り伝える魅力あふ
れる文学です。
読者へのひとこと
姫路にゆかりのある文学作品や 文人を紹介してゆきたいと思います。
文学は 作家の人生や内面、思想、理想、そして 社会そのものまで 多くのものをえが
きだしています。 作品に込められた様々な魅力を お届けできたら とおもいます。
。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。
この前 イーグレひめじで FMゲンキのフリーマガジン ”春号” を入手しましたが
3ページに 地域探求図鑑 姫路鑑シリーズ②「ふらっと文学」 というページがあり
姫路文学館 学芸員 徳重公美(くみ)さんによる新シリーズが スタート! 文学や地域
を軸にしつつ 筆の向くまま 色んなテーマに アプローチします。 というわけで 第1
回は 『播磨国風土記』 と 「ひめじ」 です。
「姫路」 という名前を みなさんは ご存知でしょうか。 命名の由来を語るものとし
て もっとも 知られているものに 『播磨国風土記』 があります。 第一回目の今回は
『播磨国風土記』 で 語られる 「ひめじ」 の由来について 紹介します。
<『播磨国風土記』>
奈良時代に 各国から中央政府へ提出された報告書をまとめたものを 「風土記」 と
いいます。 提出されたこの報告書では まず 各国の名前と そこに含まれる郡名・郷名
が 表記と命名の由来とともに報告され その他 土地の肥沃度や 特産物、山や川や原
野の名の由来、古い言い伝えなどが まとめられました。 播磨国から 提出されたもの
が 『播磨国風土記』 です。
<十四丘の物語>
『播磨国風土記』 では 「ひめじ」 の命名の由来も まとめられています。 それが
「十四丘」 の物語です。
昔 オオナムチノミコト(大汝命)という神様がおりました。 その子・ホアカリノ
ミコト(火明命)は 気性が荒く 強暴でした。 困った大汝命は 火明命を 因達神山
(八丈岩山のこと)へ置き去りにしてしまおうと考えます。
因達神山に 火明命を残し 船に乗って去ろうとした大汝命ですが それに気づいた火
明命は 激怒! 火明命は 波風をを起こして 父・大汝命の乗った船を 転覆させてしま
いました。
そのとき 転覆した船から12の積荷ー琴・箱・梳匣(くしげ・くし)・箕(み)・
甕(かめ)・稲・冑(かぶと)・沈石(いかり)・綱・鹿・犬・蚕子(ひめこ)-が あ
たりに 散らばってしまい それらが落ちた場所は 次のように 呼ばれるようになりました。
・船が転覆した場所:船丘(景福寺山)、波丘(栗林山・名古山の東端)
・琴が落ちた場所:琴神丘(薬師山)
・くしが落ちた場所:匣丘(くしげおか)(船越山または鬢櫛山)
・かめが落ちた場所:甕(みか)丘(神子岡山)
・冑がおちた場所:冑(かぶと)丘(冑山)
・綱が落ちた場所:藤丘
・犬が落ちた場所:犬丘
・箱が落ちた場所:箱丘(男山)
・箕が落ちた場所:箕形(みかた)丘(秩父山)
・稲が落ちた場所:稲牟礼(いなむれ)丘(稲岡山
・沈石が落ちた場所:沈石(いかり)丘
・鹿が落ちた場所:鹿丘
・蚕子が落ちた場所:日女道(ひめじ)丘(姫山)
※( )は その場所として 考えられている山
返りうちにあってしまった大汝命は しょんぼりして 妻・ノツヒメ(弩都比命)に
「悪い子から逃れようとしたが かえって 洪水に巻き込まれ 辛く 苦しい思いをした」
と 伝えたのでした。
「日女道(ひめじ)丘」 は 今の姫山のことです。 『播磨国風土記』 は 「ひめじ」
の名の由来を 蚕子が落とされた ことにちなんでいると 伝えています。 かっての日本
では 養蚕業が盛んで 播磨でも 行われていました。 蚕が 船の積荷となっていることか
ら その製品は 日本中に行きわたっていたのでしょう。 また 物語の中では 二神が 船
に乗って 行き来していますが 姫路城築城以前 姫山の西側には 大川という川がありま
した。 その流れは 八丈岩山と 14の丘を取り巻く 平地に広がっており 洪水がおこ
れば その被害も大きかったのであろうと 予想されます。
『播磨国風土記』 は 実際の風景や 出来事を 神様の事跡として 語り伝える魅力あふ
れる文学です。
読者へのひとこと
姫路にゆかりのある文学作品や 文人を紹介してゆきたいと思います。
文学は 作家の人生や内面、思想、理想、そして 社会そのものまで 多くのものをえが
きだしています。 作品に込められた様々な魅力を お届けできたら とおもいます。
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