私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

破磐神社へ 初詣 2018

2018-01-02 12:39:12 | 日記
 1月 2日(火)   天気:晴れ   室温:14.3℃

 みなさん あけまして おめでとうございます。 今年も よろしく お願いいたします。

 きょうは 太市の破磐神社へ 初詣に行きました。 いい天気で 気持ちよくお参りできました。
ここの宮司さんと お話したことがありますが 破磐神社は この辺りでは 有名なパワースポット
だそうです。 神社の境内は 広く 明るく さわやかに 後ろの森は こんもりと を モットーにさ
れています。  手水鉢の水が 枯れていると 神様は 寝ているので お参りしても ご利益がな
いので ここでは 湧き水、井戸水、水道水の三種を使って 枯れないようにしている など い
ろいろと教えていただきました。 宮司さんは 利き酒師で 拝殿の前に 呑みやすい お神酒が
置いてあります。  呑みすぎない程度に ありがたく いただきました。


 破磐神社のご祭神は 息長帯日売命(神功皇后)、帯中津日子命(仲哀天皇)、品陀和気命
(応神天皇)、須佐之男命(明治40年合祀)

     破磐神社の由緒
 往古の昔 息長帯日売命(神功皇后)が 三韓を討征し ご凱旋されたとき 忍熊王の難が あ
ったので 御船を妻鹿の湊に寄せられ 朝敵退治を祈られ ・・・・ その麻を弦として 三本の矢
を試射された。 第一の矢は 虚矢し 第二の矢は 辻井に 第三の矢は 太市郷西脇山中の大
磐石にあたって 磐を三つに破った。 神功皇后 これを 吉兆として この地に 矢の根を祭られた。
後に 仲哀天皇、応神天皇の二柱を 崇め奉り 破磐三神と称し 奉った。
   神のさち 吹風弓の かふら矢と いかで磐をも 通ささらめや  と詠まれている。  

 神社は 山の傾斜を利用して 本殿、幣殿、拝殿が 一体形に配置されていますが このような
建築様式を 流れ権現造りというそうです。 屋根の構造も複雑で 唐破風と入母屋破風は 分かり
ますが・・。 屋根は 銅板葺きですが 長持ちするように 普通 2、3mmの厚さの銅板を使うところ
5mmの銅板を使ったそうで 厚いので 曲線に曲げるのが 難しかったそうです。 

 天満社(旧本殿)の御社は 破磐神社が誕生の地・宮ヶ谷より遷座されたとき 造営された。 徳川
初期の神社建築を 今に伝えるもので 天保八年 本殿改築に伴い ここに移され 現在は 学問の
神様として 多くの人々に崇拝されている 菅原道真公が祀られています。

 三光堂は 神仏混淆の世 破磐神社が 三所大権現と称されていた時代 神前に 安置されて
いた仏体が 明治戊辰の神仏分離令によって 取り除かれ この御堂に安置され 祀られている。

 帰りに 1.7km南西にある 大磐石に寄ってきました。 大磐石の大きさは 高さ6.5m、
前幅5.5m、奥行7.5mです。


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