1月 7日(土) 天気:晴れ 室温:15.6℃ 2.5万地図:龍野
きょうは いい天気だったので たつの市神岡町の鶴嘴山へ登ってきました。 今年の干支の山に
と思ったのですが 山頂で 会った女性が 「播磨歴史の山ハイキング」 の本を持っていて 鶏籠山
は? と言われ そうか 酉年には 鶏の方が いいか・・。 また いつか 鶏籠山に登らなくては・・・。
10時過ぎに家を出て 179号線を走って たつのへ行き 船渡の信号で 右折して 觜崎橋を渡り
左へ曲がり 摩崖仏の下へ 車を停めました。 10:40 スタート。 まず 摩崖仏を見ます。
県重要文化財の 「觜崎の摩崖仏」 は 舟形の光背を持つ地蔵尊で 切り立った岸壁に彫られていま
す。 この地蔵尊には 「右志逆善廻向藤原〇〇建立 文和三年(1354)十月二十四」 の銘が彫られ
ており 紀年銘のある石仏では 県内最古のものです。 少し北には 4体の地蔵尊もあります。
橋の少し南には 「寝釈迦の渡し」 の碑があります。 ここは 美作街道の渡し場の跡です。 この
辺りから 西方の山々をながめると あたかも 釈迦が 頭を南に向け 横たわっているように見えるの
で こう呼ばれました。 寝釈迦の姿は 尾根の展望処から よく見えます。
鳥居をくぐり 石段を上がり 古宮天満神社へお参りし 安全登山を お祈りしました。 神社の横の岩を
上がり 岩の上を進みます。 少し進むと 墓地を通ります。 尾根へ出ると 岩尾根で 見晴らしがいい。
「播磨歴史の山ハイキング」 を参考にしますが 本には 山名は 山並みが 鶴の嘴(くちばし)に 似て
いるところから 付けられたということですが 山の姿からは 想像できません とありますが 地図に 山
の輪郭を描くと 尾根の先端が 鶴の嘴に見える?
金網のフェンスの扉を開けて 進むと 展望岩に出ます。 ちょうど? 姫新線の電車が 鉄橋を渡ります。
168mピークの手前は 岩場で ここは 觜崎の屏風岩。 屏風岩の岩脈は 鶴嘴山を形成する流紋岩質
凝灰岩に 地下から石英安山岩質のマグマが 貫入して 冷え固まってできたものです。 この岩脈は 硬い岩石
で できており 周囲の岩石よりも 風化に対して 強く そのため 周囲の山肌が 風化され この岩脈が 露出し
さながら 屏風を立てたように 直立しています。 この屏風岩は 8世紀の 「播磨国風土記」 にも 記され 古
来より 注目されてきた珍しい天然の造形で 国の指定天然記念物です。
この岩場は 右に巻いて 迂回します。 上に出ると 絶好の展望台で 南が 一望できます。
尾根道は 見晴らしがいいので 右や左の展望を楽しみながら 歩けます。 登山口から 山頂までは
168mP、208mP、214mPなどのピークがあり アップダウンを 繰り返しながら登っていきます。
尾根には 以前はなかった 林間広場からの登山道が 新設されていて 2カ所に道標があり 東の林間
広場から 階段道が 上がってきているようです。 「播磨の山々」 のしみけんさんは これを登った・・・。
11:18 屏風岩、11:36 208mピークに登り 一枚岩の急斜面を登り 11:49 214mピーク
に 登頂。 以前は 208mピークを 亀山、214mピークを 鶴山と呼んでいましたが いまは 214m
ピークは タイコ岩というようですが なぜ タイコ? 前方に 鶴嘴山が 形よく見えます。
12:07 鶴嘴山に 登頂。 四等三角点:池ノ内 263.0m は 雑木林の30mほど 奥にあります。
三角点を撮って 降りようとすると 小柄の女性が登ってきました。 上は Tシャツ一枚で 軽装です。
しばらく お話ししました。 マラソンを走るそうで 今度の姫路マラソンも走るとか。 北の大正池へ降
りて 觜崎橋まで 走るそうです。 私は ずっと前に 折り畳み自転車を使って 戻ったことがあります。
私は ピストンで 登ってきた道を降ります。 降りるときは あまり写真を撮る必要もないので どんどん
降りました。 ベンチのある展望台で 休憩しながら 姫新線の電車を待ったのですが 電車は きません・・。
腰を上げ 降りようとすると 踏切が鳴って 下りの電車が来ました。 やれやれ・・。
13:12 車に戻り 帰ろうとすると 山頂で会った女性が 走ってきました。 大正池へ降りて 無事 戻って
きました と挨拶して また 觜崎橋を 走っていきました・・・。 13:51 帰着。
。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。
きょうは いい天気だったので たつの市神岡町の鶴嘴山へ登ってきました。 今年の干支の山に
と思ったのですが 山頂で 会った女性が 「播磨歴史の山ハイキング」 の本を持っていて 鶏籠山
は? と言われ そうか 酉年には 鶏の方が いいか・・。 また いつか 鶏籠山に登らなくては・・・。
10時過ぎに家を出て 179号線を走って たつのへ行き 船渡の信号で 右折して 觜崎橋を渡り
左へ曲がり 摩崖仏の下へ 車を停めました。 10:40 スタート。 まず 摩崖仏を見ます。
県重要文化財の 「觜崎の摩崖仏」 は 舟形の光背を持つ地蔵尊で 切り立った岸壁に彫られていま
す。 この地蔵尊には 「右志逆善廻向藤原〇〇建立 文和三年(1354)十月二十四」 の銘が彫られ
ており 紀年銘のある石仏では 県内最古のものです。 少し北には 4体の地蔵尊もあります。
橋の少し南には 「寝釈迦の渡し」 の碑があります。 ここは 美作街道の渡し場の跡です。 この
辺りから 西方の山々をながめると あたかも 釈迦が 頭を南に向け 横たわっているように見えるの
で こう呼ばれました。 寝釈迦の姿は 尾根の展望処から よく見えます。
鳥居をくぐり 石段を上がり 古宮天満神社へお参りし 安全登山を お祈りしました。 神社の横の岩を
上がり 岩の上を進みます。 少し進むと 墓地を通ります。 尾根へ出ると 岩尾根で 見晴らしがいい。
「播磨歴史の山ハイキング」 を参考にしますが 本には 山名は 山並みが 鶴の嘴(くちばし)に 似て
いるところから 付けられたということですが 山の姿からは 想像できません とありますが 地図に 山
の輪郭を描くと 尾根の先端が 鶴の嘴に見える?
金網のフェンスの扉を開けて 進むと 展望岩に出ます。 ちょうど? 姫新線の電車が 鉄橋を渡ります。
168mピークの手前は 岩場で ここは 觜崎の屏風岩。 屏風岩の岩脈は 鶴嘴山を形成する流紋岩質
凝灰岩に 地下から石英安山岩質のマグマが 貫入して 冷え固まってできたものです。 この岩脈は 硬い岩石
で できており 周囲の岩石よりも 風化に対して 強く そのため 周囲の山肌が 風化され この岩脈が 露出し
さながら 屏風を立てたように 直立しています。 この屏風岩は 8世紀の 「播磨国風土記」 にも 記され 古
来より 注目されてきた珍しい天然の造形で 国の指定天然記念物です。
この岩場は 右に巻いて 迂回します。 上に出ると 絶好の展望台で 南が 一望できます。
尾根道は 見晴らしがいいので 右や左の展望を楽しみながら 歩けます。 登山口から 山頂までは
168mP、208mP、214mPなどのピークがあり アップダウンを 繰り返しながら登っていきます。
尾根には 以前はなかった 林間広場からの登山道が 新設されていて 2カ所に道標があり 東の林間
広場から 階段道が 上がってきているようです。 「播磨の山々」 のしみけんさんは これを登った・・・。
11:18 屏風岩、11:36 208mピークに登り 一枚岩の急斜面を登り 11:49 214mピーク
に 登頂。 以前は 208mピークを 亀山、214mピークを 鶴山と呼んでいましたが いまは 214m
ピークは タイコ岩というようですが なぜ タイコ? 前方に 鶴嘴山が 形よく見えます。
12:07 鶴嘴山に 登頂。 四等三角点:池ノ内 263.0m は 雑木林の30mほど 奥にあります。
三角点を撮って 降りようとすると 小柄の女性が登ってきました。 上は Tシャツ一枚で 軽装です。
しばらく お話ししました。 マラソンを走るそうで 今度の姫路マラソンも走るとか。 北の大正池へ降
りて 觜崎橋まで 走るそうです。 私は ずっと前に 折り畳み自転車を使って 戻ったことがあります。
私は ピストンで 登ってきた道を降ります。 降りるときは あまり写真を撮る必要もないので どんどん
降りました。 ベンチのある展望台で 休憩しながら 姫新線の電車を待ったのですが 電車は きません・・。
腰を上げ 降りようとすると 踏切が鳴って 下りの電車が来ました。 やれやれ・・。
13:12 車に戻り 帰ろうとすると 山頂で会った女性が 走ってきました。 大正池へ降りて 無事 戻って
きました と挨拶して また 觜崎橋を 走っていきました・・・。 13:51 帰着。
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