5月20日(火) 天気:曇り 室温:27.5℃
きょうは 公民館の歴史教室に 出席しました。 今月は 姫路古文書研究会の大西 文雄先生で
題目は 「黒田官兵衛 と 城」 です。 大西先生の講演のときは いつも 資料が 多く 今回も A4
サイズ 13ページもあります。 全部 記すことはできないので 項目だけ書いておきます。
講演も 1.の はじめに で 15分かかって 後半は 超特急で進み 時間通り 終了しました。
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旭陽公民館講演資料 黒田官兵衛 と 城 姫路古文書研究会
大 西 文 雄
1.はじめに
2.黒田家と黒田官兵衛
(1)黒田家姫路に
①黒田氏の出自・・宇多天皇の皇子敦実親王→近江佐々木氏:佐々木信綱のとき 四家に分かれる。
その一家・京極宗清が 現長浜市木之本町黒田村に住し 黒田氏を名乗る。
②黒田氏 姫路へ・・黒田高政の時 備前・長船町福岡に居住。 重隆の時 姫路へ移る。
③なぜ 姫路か・・「夢幻物語」 に 重隆が夢を見て 目薬を 広峯神社の御札と配ると よく効く・・・
(2)官兵衛の誕生 : 『黒田家譜』 貝原益軒著
①官兵衛の誕生・・天文15年11月29日 姫路に生まれる。
②万吉時代・・幼名を万吉といい 14歳の時 母親死去、16歳の時 小寺政職の近習となる。
③官兵衛になる・・17歳の時 元服し 初陣を飾る。22歳で 幸円と結婚、黒田家の家督を継ぐ。
(3)官兵衛 黒田姓に復す・・天正6年4月 秀吉からの手紙の宛名に 小官兵 とある。
天正6年3月 信長からの手紙の宛名は 小寺官兵衛尉とのへ
天正8年7月 秀吉からの手紙の宛名は 黒官兵 進之候
(4)官兵衛 大名になる
①秀吉 三木城開城で 播磨支配を認められる
②三木開城後の恩賞分配・・蜂須賀正勝:53000石、龍野城主・前野長康:32000石・・
③黒田官兵への恩賞・・秀吉から10000石(揖東郡福井庄6200石、揖東郡岩見庄2700石、
揖東郡伊勢村1100石 ) 1万石以上を大名といい 官兵衛 大名に。
④恩賞の基準・・兜首をあげる。 情報の提供。 交渉の成否(調略、和睦)
3.官兵衛の生きた時代の城
(1)城とは・・土よりなる防禦的な施設、敵を防ぐために築かれた軍事的構造物
(2)城の種類
①形式からの分類・・環濠集落、柵、都城、館、陣屋、城郭(山城、平山城、平城、水城)
②縄張りからの分類・・円形、方形、輪郭式、梯郭式、連郭式、並郭式、稜堡式、複合的
③軍事的な性格による分類・・本城、支城、枝城、繋ぎの城、伝えの城、付城 etc.
④天守閣や櫓との組み合わせからの分類・・独立式、複合式、連結式、連結複合式、連立式 etc.
4.黒田官兵衛と城
(1)軍師官兵衛
①軍師の分類・・軍配者型(太田道灌ら)、策士型(黒田官兵衛ら)、参謀型、官僚型、交渉型
②戦国時代の軍師たち・・戦略:黒田官兵衛、竹中半兵衛、太原雪斎、天海僧正、直江兼続
戦術:真田幸村、立花宗茂 etc.
③軍師官兵衛の戦略
永禄12年 土器山の戦い 赤松政英 夜襲
天正 4年 英賀合戦 浦宗勝 奇襲 偽兵
天正 5年 福原城の戦い 福島則尚 囲師必闕 内応
天正 6年 三木城の合戦 別所長治 兵糧攻め
天正 9年 鳥取城攻め 吉川経家 兵糧攻め
天正10年 備中高松城攻め 清水宗治 水攻め
山崎の戦い 明智光秀 大返し 偽兵 囲師必闕
天正11年 賤ヶ岳の戦い 柴田勝家 美濃返し
天正13年 岩倉城攻め 比江山親興 高櫓からの攻撃
天正15年 高城の戦い 島津義久 挟撃
城井谷城討伐 宇都宮鎮兼 兵糧攻め だまし討ち
天正16年 長岩城の合戦 野仲鎮兼 内応
天正18年 小田原城攻め 北条氏政 降伏勧告
慶長 5年 安岐城の戦い 熊谷外記 矢文で降伏勧告
富貴城の戦い 筧利右衛門 城主の密使を使い降伏勧告
(2)官兵衛の居城・・・姫路城、国府山城、篠ノ丸城、馬ヶ岳城(行橋市)、時枝城(宇佐市)、
中津城、名島城(福岡市)、福岡城
(3)官兵衛が 攻撃の拠点とした城・・志知城(南あわじ市) 長宗我部氏に備える
(4)官兵衛が 築城にかかわった城・・大坂城、広島城、名護屋城
(5)官兵衛が 攻撃した城
①播磨時代・・福原城、上月城、三木城、淡河城、高砂城、中道子城、英賀城、志方城、端谷城
②鳥取城攻撃時・・鳥取城・・天正8年 勧降政策(調略) 天文9年 兵糧攻め
③四国征伐時・・由良古城、喜岡城、植田城、岩倉城 etc.
④備中 高松城 攻撃時・・常山城、冠山城、宮路山城 etc.
⑤天王山の戦い時・・勝竜寺城
⑥柴田勝家との戦い時・・長浜城、亀山城
⑦毛利氏との境目決定に関して・・高山城、高田城、松山城 八橋城
⑧四国攻めの時
⑨九州征伐時・・宇留津城、小倉城、犬丸城 etc.
⑩小田原城攻撃時・・山中城、小田原城、支城(岩付城 etc.)
⑪朝鮮征伐時
⑫関ヶ原合戦時・・高田城、安岐城、富貴城、小倉城、久留米城 etc.
(6)官兵衛が捕えられていた城・・有岡城(城主:荒木村重 平城 伊丹市)
5.黒田24騎・・官兵衛・長政に仕えた 黒田家草創期の精鋭24人、官兵衛 子飼いの家臣
後藤又兵衛基次、 黒田兵庫助利高、 黒田修理亮利則、 黒田図書助直之、 栗山四郎右衛門利安、
久野四兵衛重勝、 井上九郎右衛門之房、 母里多兵衛友信、 黒田三左衛門一成、野村太郎兵衛佑勝、
吉田六郎太夫長利、 桐山孫兵衛信行、 小河伝右衛門信章、 管六之助正利、 三宅山太夫家義、
野口左助一成、 益田与助正親、 竹森新右衛門次貞、 林太郎右衛門直利、 原弥左衛門種良、
堀平右衛門定則、 衣笠久右衛門景延、 毛屋主水武久、 井口兵助吉次
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きょうは 公民館の歴史教室に 出席しました。 今月は 姫路古文書研究会の大西 文雄先生で
題目は 「黒田官兵衛 と 城」 です。 大西先生の講演のときは いつも 資料が 多く 今回も A4
サイズ 13ページもあります。 全部 記すことはできないので 項目だけ書いておきます。
講演も 1.の はじめに で 15分かかって 後半は 超特急で進み 時間通り 終了しました。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
旭陽公民館講演資料 黒田官兵衛 と 城 姫路古文書研究会
大 西 文 雄
1.はじめに
2.黒田家と黒田官兵衛
(1)黒田家姫路に
①黒田氏の出自・・宇多天皇の皇子敦実親王→近江佐々木氏:佐々木信綱のとき 四家に分かれる。
その一家・京極宗清が 現長浜市木之本町黒田村に住し 黒田氏を名乗る。
②黒田氏 姫路へ・・黒田高政の時 備前・長船町福岡に居住。 重隆の時 姫路へ移る。
③なぜ 姫路か・・「夢幻物語」 に 重隆が夢を見て 目薬を 広峯神社の御札と配ると よく効く・・・
(2)官兵衛の誕生 : 『黒田家譜』 貝原益軒著
①官兵衛の誕生・・天文15年11月29日 姫路に生まれる。
②万吉時代・・幼名を万吉といい 14歳の時 母親死去、16歳の時 小寺政職の近習となる。
③官兵衛になる・・17歳の時 元服し 初陣を飾る。22歳で 幸円と結婚、黒田家の家督を継ぐ。
(3)官兵衛 黒田姓に復す・・天正6年4月 秀吉からの手紙の宛名に 小官兵 とある。
天正6年3月 信長からの手紙の宛名は 小寺官兵衛尉とのへ
天正8年7月 秀吉からの手紙の宛名は 黒官兵 進之候
(4)官兵衛 大名になる
①秀吉 三木城開城で 播磨支配を認められる
②三木開城後の恩賞分配・・蜂須賀正勝:53000石、龍野城主・前野長康:32000石・・
③黒田官兵への恩賞・・秀吉から10000石(揖東郡福井庄6200石、揖東郡岩見庄2700石、
揖東郡伊勢村1100石 ) 1万石以上を大名といい 官兵衛 大名に。
④恩賞の基準・・兜首をあげる。 情報の提供。 交渉の成否(調略、和睦)
3.官兵衛の生きた時代の城
(1)城とは・・土よりなる防禦的な施設、敵を防ぐために築かれた軍事的構造物
(2)城の種類
①形式からの分類・・環濠集落、柵、都城、館、陣屋、城郭(山城、平山城、平城、水城)
②縄張りからの分類・・円形、方形、輪郭式、梯郭式、連郭式、並郭式、稜堡式、複合的
③軍事的な性格による分類・・本城、支城、枝城、繋ぎの城、伝えの城、付城 etc.
④天守閣や櫓との組み合わせからの分類・・独立式、複合式、連結式、連結複合式、連立式 etc.
4.黒田官兵衛と城
(1)軍師官兵衛
①軍師の分類・・軍配者型(太田道灌ら)、策士型(黒田官兵衛ら)、参謀型、官僚型、交渉型
②戦国時代の軍師たち・・戦略:黒田官兵衛、竹中半兵衛、太原雪斎、天海僧正、直江兼続
戦術:真田幸村、立花宗茂 etc.
③軍師官兵衛の戦略
永禄12年 土器山の戦い 赤松政英 夜襲
天正 4年 英賀合戦 浦宗勝 奇襲 偽兵
天正 5年 福原城の戦い 福島則尚 囲師必闕 内応
天正 6年 三木城の合戦 別所長治 兵糧攻め
天正 9年 鳥取城攻め 吉川経家 兵糧攻め
天正10年 備中高松城攻め 清水宗治 水攻め
山崎の戦い 明智光秀 大返し 偽兵 囲師必闕
天正11年 賤ヶ岳の戦い 柴田勝家 美濃返し
天正13年 岩倉城攻め 比江山親興 高櫓からの攻撃
天正15年 高城の戦い 島津義久 挟撃
城井谷城討伐 宇都宮鎮兼 兵糧攻め だまし討ち
天正16年 長岩城の合戦 野仲鎮兼 内応
天正18年 小田原城攻め 北条氏政 降伏勧告
慶長 5年 安岐城の戦い 熊谷外記 矢文で降伏勧告
富貴城の戦い 筧利右衛門 城主の密使を使い降伏勧告
(2)官兵衛の居城・・・姫路城、国府山城、篠ノ丸城、馬ヶ岳城(行橋市)、時枝城(宇佐市)、
中津城、名島城(福岡市)、福岡城
(3)官兵衛が 攻撃の拠点とした城・・志知城(南あわじ市) 長宗我部氏に備える
(4)官兵衛が 築城にかかわった城・・大坂城、広島城、名護屋城
(5)官兵衛が 攻撃した城
①播磨時代・・福原城、上月城、三木城、淡河城、高砂城、中道子城、英賀城、志方城、端谷城
②鳥取城攻撃時・・鳥取城・・天正8年 勧降政策(調略) 天文9年 兵糧攻め
③四国征伐時・・由良古城、喜岡城、植田城、岩倉城 etc.
④備中 高松城 攻撃時・・常山城、冠山城、宮路山城 etc.
⑤天王山の戦い時・・勝竜寺城
⑥柴田勝家との戦い時・・長浜城、亀山城
⑦毛利氏との境目決定に関して・・高山城、高田城、松山城 八橋城
⑧四国攻めの時
⑨九州征伐時・・宇留津城、小倉城、犬丸城 etc.
⑩小田原城攻撃時・・山中城、小田原城、支城(岩付城 etc.)
⑪朝鮮征伐時
⑫関ヶ原合戦時・・高田城、安岐城、富貴城、小倉城、久留米城 etc.
(6)官兵衛が捕えられていた城・・有岡城(城主:荒木村重 平城 伊丹市)
5.黒田24騎・・官兵衛・長政に仕えた 黒田家草創期の精鋭24人、官兵衛 子飼いの家臣
後藤又兵衛基次、 黒田兵庫助利高、 黒田修理亮利則、 黒田図書助直之、 栗山四郎右衛門利安、
久野四兵衛重勝、 井上九郎右衛門之房、 母里多兵衛友信、 黒田三左衛門一成、野村太郎兵衛佑勝、
吉田六郎太夫長利、 桐山孫兵衛信行、 小河伝右衛門信章、 管六之助正利、 三宅山太夫家義、
野口左助一成、 益田与助正親、 竹森新右衛門次貞、 林太郎右衛門直利、 原弥左衛門種良、
堀平右衛門定則、 衣笠久右衛門景延、 毛屋主水武久、 井口兵助吉次
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