9月19日(水) 天気:晴れ 室温:29.6℃
きょうは 龍野の街を ちょこっと 歩いてきました。 きのう 播磨の近代建築を訪ねて 赤穂へ行
きましたが 雨が降ってきて たつのの醤油資料館へ行くことが できませんでした。 きょう リベン
ジに 行ったのですが ついつい 帰り討ちに遭い あちこち 歩いてしまいました。
驚いたことに 醤油資料館の中を見学していると 「播州電鉄」 に関する資料があり・・・。 展示し
てある資料 「播電鉄道 沿線案内」 は 観光用?もので 面白くありませんでしたが 資料館の人に
資料を頂き お話を聞くことができました。 近くに 播電の関係者が 住んでいる・・。
本当は 醤油資料館は 前のページの ”播磨の近代建築” に 入れるべきなのですが 話が長く
なりそうなので 新しいページにしました。 あしからず・・。
駐車場があるかどうか 分からなかったので 北の歴史文化資料館に 車を置き ①資料館・別館、
②醤油倉(カネヰ醤油)、③如意寺、④本行寺、⑤龍野醤油資料館、⑥法雲寺、⑦龍宝寺 を訪れ
ました。 地図を見ると 宮本武蔵が 龍野藩で 修行したお寺など まだまだ見るものがありそう・・。
10:04 出発。 JRの陸橋を渡り 国道179号線に出て 北へ走り 龍野橋を渡り 市街を
抜け 龍野城の埋門の前を左に登り 10:29 歴史文化資料館の駐車場に 駐車。 白い土塀
に沿って 東へ下ると 角が 醤油資料館の別館でした。 が 週末のみ開館のため 門は閉ま
っています。 外から レトロな建物の外観を 撮りました。 対面が カネヰ醤油の醤油蔵です。
川に沿って 南へ下ると お寺があったので 軽ーい気持ちで ちょっと寄り道。 ここは 松龍山
如来寺でした。 西山浄土宗の如来寺は 天文二年(1533) 当案賢正上人の開基で 本尊は 阿
弥陀如来(鈴懸の弥陀)。 御霊堂:藩主 脇坂家総霊牌奉安菩提寺。
寺伝によると 延文元年(1356) 神岡郷 大住寺に創建された喜多野氏の菩提寺 大義寺が 嘉
吉の乱の後 山名軍の兵火で 焼失した際 本尊は 炎の中より 助け出され 近くの皿池に沈めら
れ 難を逃れた。 後になって 池より仏像を掘り上げ 賢正上人に託し 天文二年(1533) 内山
城主 塩津新左衛門等に依って 龍野の地に 如来寺を 開いたといわれている。
十王堂(庚申堂)には 三十三観音も 安置されている。( 揖保西国第22番札所 )
見ることはできませんでしたが 開山堂には 賢正上人像、釈迦三尊像、四天王像、釈迦十大
弟子像、十六羅漢像などが 安置されているそうです。 ひょっとして 頼めば 拝むことができた
のでしょうか? 十王堂の青い像は 不動明王かと思いましたが 手が六本の青面金剛像でした。
鐘楼堂は 文化三年(1806)の建立で 山門(四脚門)は 享保15年(1730) の建立。
たつの市文化財の 「涅槃図」 は 説明板と 写真がありました。 涅槃図には 右下に 慶安四年
(1651) 狩野永納筆とあり 絵は 細部にいたるまで 丁寧な描写がなされ 全体の調和がとれた
構図であり 彩色も美しい。 下のほうには 鳥や虎などの動物が描かれているようです。
本堂の前には 三木露風先生 筆塚があり 天才詩人・三木露風先生 遺愛の筆を 昭和41年
松龍山 如来寺の境内に埋めて 筆塚を築き 傍に ”松風の 清きみ山に ひびきけれ 心澄むら
ん 月明らけく” の歌碑を造る とあります。 三木 露風は 明治22年 たつの市生れの 詩
人、童謡作家、歌人、随筆家で 童謡 赤とんぼ の作詞で 知られています。
十王堂には 十王尊像があり ちょうど 奥さんが 掃除されていたので 十王像を見せていた
だきました。 十王は 冥府で 死者を生前の罪行によって裁く 十尊で 初七日は 秦広王、以下
十日ごとに 初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪
王が 裁きます。 お堂には 十王像の左側にも 仏像がありましたが・・。
十王像を見るの初めてです。 できれば 釈迦三尊像、釈迦十大弟子像も見たかった・・・。
如来寺で すっかり 時間をとってしまいました。 如来寺の前が うすくち龍野醤油資料館でし
た。 きょうは 資料館の近代建築を 見るために 来たのです。 資料館、醤油蔵は 国の登録有
形文化財で 兵庫県の指定文化財です。 入館料は 10円なので 外観だけでなく 中も見学し
ましょう。
19世紀中頃に 建てられた醤油蔵二棟を 古い形態に修復し これに 改装した旧本社社屋を
加えて 誕生した醤油資料館は 龍野地方の地場産業である 「うすくち醤油」 の生産工程を公開
している 有形民俗文化財を利用した ユニークな資料館です。 醤油蔵と 醤油造り行程の全貌を
伺うことのできる 全国でも 数少ない貴重な施設です。
うすくち龍野醤油資料館は ノスタルジックな町並みに残る 昭和?の洋館です。
しょうゆの産地として有名な たつの市。 その旧市街地に ひときわ目を引く レンガの洋館が
あります。 ヒガシマル醤油の資料館となっている この建物は 昭和7年(1932) に 菊一醤
油の事務所として 建築。 外観は ルネサンス様式を取り入れ 左側に 玄関を配置、右側は
屋根の一部を 三角にするなど 左右非対称でありながらも バランスの良さが特徴です。 醤
油蔵や レンガの煙突など 古い建物が残る 周辺風景との一体感も 見逃せません。
資料館から 北に 徒歩2分のところにある別館は 大正12年(1924) 龍野醤油組合として
建てられたものです。 1階は 展示室、2階は 日本画家の常設展を 週末のみ 開館。
資料室に展示してある資料を見ていると 「播電鉄道沿線案内」 という冊子があったので 係
りの人を呼んで 見せていただきました。 新宮~網干港の路線図は ありますが 内容は 沿線
の観光案内で 参考になりません。 播電が 地元の名産品の素麺や醤油などの物資を輸送し
たことは知っていましたが・・・。
係り員の話では 以前 この冊子を見せてくれと言われ 貸したことがあるとか・・。 誰でしょう?
インターネットのページを 打出した資料を頂きました。 資料の中に 歴史が書いてあり ”これに
対して 地元有力者の堀豊彦を中心とする・・”とあり この堀さんの関係者が 近くに住んでいる・・。
資料館の西に 日蓮宗の本行寺があったので 寄りましたが これというものはなく・・。
縁起・由来などを書いたものが あるといいのですが・・・。
南へ廻ると 真宗大谷派の法雲寺。 山門の軒丸瓦には 脇坂家の輪違紋があります。 山門
の前に柵があり 通れません。 横の通用口から入ります。 立派な紋がありますが・・。
法雲寺の向かいが 紫雲山 龍宝寺。 ここも 真宗大谷派のお寺です。 このお寺の彫り物は
大変 立派でした。 ただ 梁の間で しゃがんで 押さえつけられていた老婆?は・・・。
障子が開いていて 内陣を見ることができますが 仏像はない・・・。
きょうは ここで引きあげます。 醤油資料館、如来寺の横を歩き 資料館・別館の前を戻り
ます。 11:58 車に戻り 帰路につきます。
来た道を戻ります。 龍野の街を抜け 龍野橋から 国道179号線を南へ。 ちょっと 寄り道
をして 12:49 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:9.5km 復路:10.0kmで 計:19.5kmでした。
まだ 高砂商工会議所と加古川図書館が 残っていますが 姫路近辺の近代建築を調べてみると
・旧姫路電話局 総社本町 昭和5年
・市立美術館 旧陸軍第10師団兵器庫 明治39年
・第10師団長 官舎 1924年
・県立姫路工大 旧姫路高等学校 本館、講堂 新在家本町 1926年
・京見会館 1914年
・旧三十四銀行 姫路支店
・浅田化学工業 倉庫 1876年
・カトリック教会 ザビエル館 1949年 ・・・・・など いろいろあるようです。
。。。。。。。。。。。。 。。 。。 。。 。。 。。 。。 。。 。。 。。。。。。。。。。
きょうは 龍野の街を ちょこっと 歩いてきました。 きのう 播磨の近代建築を訪ねて 赤穂へ行
きましたが 雨が降ってきて たつのの醤油資料館へ行くことが できませんでした。 きょう リベン
ジに 行ったのですが ついつい 帰り討ちに遭い あちこち 歩いてしまいました。
驚いたことに 醤油資料館の中を見学していると 「播州電鉄」 に関する資料があり・・・。 展示し
てある資料 「播電鉄道 沿線案内」 は 観光用?もので 面白くありませんでしたが 資料館の人に
資料を頂き お話を聞くことができました。 近くに 播電の関係者が 住んでいる・・。
本当は 醤油資料館は 前のページの ”播磨の近代建築” に 入れるべきなのですが 話が長く
なりそうなので 新しいページにしました。 あしからず・・。
駐車場があるかどうか 分からなかったので 北の歴史文化資料館に 車を置き ①資料館・別館、
②醤油倉(カネヰ醤油)、③如意寺、④本行寺、⑤龍野醤油資料館、⑥法雲寺、⑦龍宝寺 を訪れ
ました。 地図を見ると 宮本武蔵が 龍野藩で 修行したお寺など まだまだ見るものがありそう・・。
10:04 出発。 JRの陸橋を渡り 国道179号線に出て 北へ走り 龍野橋を渡り 市街を
抜け 龍野城の埋門の前を左に登り 10:29 歴史文化資料館の駐車場に 駐車。 白い土塀
に沿って 東へ下ると 角が 醤油資料館の別館でした。 が 週末のみ開館のため 門は閉ま
っています。 外から レトロな建物の外観を 撮りました。 対面が カネヰ醤油の醤油蔵です。
川に沿って 南へ下ると お寺があったので 軽ーい気持ちで ちょっと寄り道。 ここは 松龍山
如来寺でした。 西山浄土宗の如来寺は 天文二年(1533) 当案賢正上人の開基で 本尊は 阿
弥陀如来(鈴懸の弥陀)。 御霊堂:藩主 脇坂家総霊牌奉安菩提寺。
寺伝によると 延文元年(1356) 神岡郷 大住寺に創建された喜多野氏の菩提寺 大義寺が 嘉
吉の乱の後 山名軍の兵火で 焼失した際 本尊は 炎の中より 助け出され 近くの皿池に沈めら
れ 難を逃れた。 後になって 池より仏像を掘り上げ 賢正上人に託し 天文二年(1533) 内山
城主 塩津新左衛門等に依って 龍野の地に 如来寺を 開いたといわれている。
十王堂(庚申堂)には 三十三観音も 安置されている。( 揖保西国第22番札所 )
見ることはできませんでしたが 開山堂には 賢正上人像、釈迦三尊像、四天王像、釈迦十大
弟子像、十六羅漢像などが 安置されているそうです。 ひょっとして 頼めば 拝むことができた
のでしょうか? 十王堂の青い像は 不動明王かと思いましたが 手が六本の青面金剛像でした。
鐘楼堂は 文化三年(1806)の建立で 山門(四脚門)は 享保15年(1730) の建立。
たつの市文化財の 「涅槃図」 は 説明板と 写真がありました。 涅槃図には 右下に 慶安四年
(1651) 狩野永納筆とあり 絵は 細部にいたるまで 丁寧な描写がなされ 全体の調和がとれた
構図であり 彩色も美しい。 下のほうには 鳥や虎などの動物が描かれているようです。
本堂の前には 三木露風先生 筆塚があり 天才詩人・三木露風先生 遺愛の筆を 昭和41年
松龍山 如来寺の境内に埋めて 筆塚を築き 傍に ”松風の 清きみ山に ひびきけれ 心澄むら
ん 月明らけく” の歌碑を造る とあります。 三木 露風は 明治22年 たつの市生れの 詩
人、童謡作家、歌人、随筆家で 童謡 赤とんぼ の作詞で 知られています。
十王堂には 十王尊像があり ちょうど 奥さんが 掃除されていたので 十王像を見せていた
だきました。 十王は 冥府で 死者を生前の罪行によって裁く 十尊で 初七日は 秦広王、以下
十日ごとに 初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪
王が 裁きます。 お堂には 十王像の左側にも 仏像がありましたが・・。
十王像を見るの初めてです。 できれば 釈迦三尊像、釈迦十大弟子像も見たかった・・・。
如来寺で すっかり 時間をとってしまいました。 如来寺の前が うすくち龍野醤油資料館でし
た。 きょうは 資料館の近代建築を 見るために 来たのです。 資料館、醤油蔵は 国の登録有
形文化財で 兵庫県の指定文化財です。 入館料は 10円なので 外観だけでなく 中も見学し
ましょう。
19世紀中頃に 建てられた醤油蔵二棟を 古い形態に修復し これに 改装した旧本社社屋を
加えて 誕生した醤油資料館は 龍野地方の地場産業である 「うすくち醤油」 の生産工程を公開
している 有形民俗文化財を利用した ユニークな資料館です。 醤油蔵と 醤油造り行程の全貌を
伺うことのできる 全国でも 数少ない貴重な施設です。
うすくち龍野醤油資料館は ノスタルジックな町並みに残る 昭和?の洋館です。
しょうゆの産地として有名な たつの市。 その旧市街地に ひときわ目を引く レンガの洋館が
あります。 ヒガシマル醤油の資料館となっている この建物は 昭和7年(1932) に 菊一醤
油の事務所として 建築。 外観は ルネサンス様式を取り入れ 左側に 玄関を配置、右側は
屋根の一部を 三角にするなど 左右非対称でありながらも バランスの良さが特徴です。 醤
油蔵や レンガの煙突など 古い建物が残る 周辺風景との一体感も 見逃せません。
資料館から 北に 徒歩2分のところにある別館は 大正12年(1924) 龍野醤油組合として
建てられたものです。 1階は 展示室、2階は 日本画家の常設展を 週末のみ 開館。
資料室に展示してある資料を見ていると 「播電鉄道沿線案内」 という冊子があったので 係
りの人を呼んで 見せていただきました。 新宮~網干港の路線図は ありますが 内容は 沿線
の観光案内で 参考になりません。 播電が 地元の名産品の素麺や醤油などの物資を輸送し
たことは知っていましたが・・・。
係り員の話では 以前 この冊子を見せてくれと言われ 貸したことがあるとか・・。 誰でしょう?
インターネットのページを 打出した資料を頂きました。 資料の中に 歴史が書いてあり ”これに
対して 地元有力者の堀豊彦を中心とする・・”とあり この堀さんの関係者が 近くに住んでいる・・。
資料館の西に 日蓮宗の本行寺があったので 寄りましたが これというものはなく・・。
縁起・由来などを書いたものが あるといいのですが・・・。
南へ廻ると 真宗大谷派の法雲寺。 山門の軒丸瓦には 脇坂家の輪違紋があります。 山門
の前に柵があり 通れません。 横の通用口から入ります。 立派な紋がありますが・・。
法雲寺の向かいが 紫雲山 龍宝寺。 ここも 真宗大谷派のお寺です。 このお寺の彫り物は
大変 立派でした。 ただ 梁の間で しゃがんで 押さえつけられていた老婆?は・・・。
障子が開いていて 内陣を見ることができますが 仏像はない・・・。
きょうは ここで引きあげます。 醤油資料館、如来寺の横を歩き 資料館・別館の前を戻り
ます。 11:58 車に戻り 帰路につきます。
来た道を戻ります。 龍野の街を抜け 龍野橋から 国道179号線を南へ。 ちょっと 寄り道
をして 12:49 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:9.5km 復路:10.0kmで 計:19.5kmでした。
まだ 高砂商工会議所と加古川図書館が 残っていますが 姫路近辺の近代建築を調べてみると
・旧姫路電話局 総社本町 昭和5年
・市立美術館 旧陸軍第10師団兵器庫 明治39年
・第10師団長 官舎 1924年
・県立姫路工大 旧姫路高等学校 本館、講堂 新在家本町 1926年
・京見会館 1914年
・旧三十四銀行 姫路支店
・浅田化学工業 倉庫 1876年
・カトリック教会 ザビエル館 1949年 ・・・・・など いろいろあるようです。
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