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私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

千年水と御形神社

2012-09-13 15:23:04 | ドライブ
 9月13日(木)  天気:晴れ   室温:33.4℃ まだ暑い

 きょうは 宍粟市の 「千年水」 と 「御形神社」 へドライブしました。 水が 残り少なくなったので
いつものように 福地渓谷の 「文殊の水」 へ行こうかと 思いましたが 御形(みかた)神社へ まだ
行ったことがないので 「千年水」 を 汲んで 御形神社へ寄ることにしました。
 御形神社は パンフレット ”武士のこころ 息づく西播磨” に 「宍粟の歴史景観・文化遺産を巡る
道」 という項目で 載っています。 山崎の街は この前 歩いたので きょうは 御形神社だけ 訪れま
す。 伊和神社に 寄っても 良かったのですが いつでも 行けるでしょう。

 9:11 出発。 太子町、たつの市を通り 新宮で 国道179号線を離れ 県道26号線を 北上。
山崎で 国道29号線に入り さらに北へ。 安積橋で 右折して 国道を離れ 県道6号線に入りま
す。 三方町に入り 左折して 前川橋を渡り 県道521号線を 北へ5.4km行くと 「千年水」。
県道521号線は 緩い登りで 細い山道で おまけに一部工事中で 走り難い道です。
10:33 到着。 ここまで 55km、1時間20分 かかりました。 着いたときは 夫婦が 汲んでい
ましたが 蛇口を一つ空けてくれ すぐ 汲むことができましたが 帰るときには 3組汲みに来て
30分待ち・・。 私は ちょうど いいタイミングでした。


 千年水の由来 :「播磨風土記」 の御方(みかた)の条りに 「鉄を生かすは 金内と称う」 とあり 公
文には 金屋、タタラ場、鍛冶屋敷、堤ヶ谷、カマス置場等 鉄に因んだ場所と 数ヵ所のタタラ址が
あります。 この地より北へ100m先は 手洗渕鉄山で 高殿や千種への馬路も残っています。
 古歌に 「朝日さす 夕日かがやく この奥は 真金千杯 うるし千杯」 タタラの炉の色は 真赤
に 燃える朝日、夕日の色をもって 最上とした。
 公文の枝郷小原、溝谷は 木地師の里で 小椋姓ばかりである。 木地屋、鉄山、うるし採取、
炭焼き等 山は栄え 賑やかで 但馬との交流も多かった。 往来の人々のオアシスとして 千年
の前より 飲用されてきました。
 最近 水質検査も 実施され 美味しい湧水として 大変 喜ばれています。   西公文


 20分ほどで 水を汲み 10:33 南へ戻ります。 4.5km下り 左折して 高見橋を渡ると
400m先が 御形神社です。 手前の広い駐車場に 車を停めました。 なんと 駐車場の脇に
播磨の戦争遺跡には無い 大きな 「忠魂碑」 があります。 いつ建立されたのが 分かりませ
んが 字を書いたのは 陸軍中将・男爵 安東貞美。 好き嫌いは 言えませんが 機雷はなし・・。
 神社とは 関係はないようで 在郷軍人会が 建てたものらしい・・。 あちらこちらに 忠魂碑が
あるらしく 神戸小学校にもある?


御形神社の御祭神は
 本殿 : 葦原志許男神・相殿神素戔嗚神・高皇産霊神・月夜見神・天日槍神
 末社 : 佐閉神社(右側) 日吉神社(左側)

御形神社 御由緒略記
 当社は 「みかた神社」 または 「たかみさん」、「県社」 などとも 申し上げます。
当社のご祭神は 葦原志許男神(アシハラノシコヲノカミ)と申し、又の御名を 大国主神(オオクニ
ヌシノカミ)とも 申し上げます。 志許(シコ)は 元気のある、武勇に優れた、或は神威赫(シンイ
カク)たる神といふ意味であります。
 この神様は 今の高峰山に居られて この三方里や但馬の一部も開拓され 蒼生(アヲヒトグ
サ)をも定められて 今日の基礎を築いて下さいました。
 しかし その途中に 天日槍神(アメノヒボコノカミ)が 渡来して、国争ひが起こり 二神は 黒葛(ツ
ヅラ)を 三條づつ 足に付けて投げられましたところ 葦原志許男神の黒葛は 一條は 但馬の気
多郡に 一條は 養父郡に そして最後は 此の地に落ちましたので 地名を三條(三方)といひ伝
へます。 又、天日槍神の黒葛は 全部 但馬国に落ちましたので そのところの出石に お鎮まり
になり 今に 出石神社と申します。
 やがて 葦原志許男神は 事を了へられて この地を去られるに当り 愛用された御杖を形見と
して その山頂に 刺し植えられ 行在の標とされました。 以って 当社の社名 「御形」 は 形見代・
御形代より 起こりました。



 その刺し植えられた所に 社殿を建てて お祀り申しましたのが 当社の創祀であります。 やがて
奈良朝の宝亀三年(772) 里人数人が 一夜の間に 三本の大杉が 山神社の森に鼎立(ていり
つ)するという霊夢を見 これは 山頂の大神の当地への ご遷座の所望であらう との事で 早速
ご社殿を造営し お祀り申し上げたのが 当地での起源であると 「夜の間の杉の伝説」 は 伝え
ています。
 尚 当社は 古くより蟇目(ひきめ)の祈祷を 伝へてをり 特に 難病治癒に霊験あらたかな神社
として 知られています。


 本殿の建立は 奈良朝 宝亀三年(772)が創建で その後 再建立、さらに 室町末期に 再々
建立がなされ それが 現存する本殿です。
 本殿は 三間社流造、桧皮葺で 側廻りに 高欄を付けた椽を設け 柱の上の組物は 三ッ斗
の出組で 軒支輪を配し 木鼻や手挟(たばさみ) 蟇股などには 室町末期の様式技法を伝える
繊細な木組や彫刻が 彩色も施されている。 明治36年 透塀が新設され 現状の姿に整えられた。
 昭和42年 国の重要文化財に指定され 宍粟市では 唯一の重文建造物です。 昭和46、7年
に 解体復元工事が 施工されて 室町時代後期の見事な彫刻や 繊細な組物が 甦がへりました。
 パンフレットの 「御形神社御由緒略記」 が 長文なので 写真と文が 大幅にズレてしまい・・。



 大きな鳥居を潜って 境内に入ると 右に 小さい小屋のような建物があり 物置かと思いましたが
帰りに 覗くと 観音堂でした。 左に 屋根が高い 手水舎があり 龍の口から水が流れ 気持ちが
いい。 正面が 神門(随身門)で 中に 大きな随身さんがおられます。 彩色が施され 目が大きく
なかなか迫力があります。 神門の右に 天然記念物の ”正福寺桜” と ”五色椿” の木があります
が 今は 花が咲いていないので・・・。
 境内の右奥にある 忠魂社 は 先代・住職さんが 皇紀2600年を記念して 昭和15年に建立さ
れたそうです。 神社は 死者を祀ることを 嫌うそうですが 今は 境内末社として 396柱を祀って
いる。 ここには 大砲の砲弾があったそうで 今でも 台座があるが 砲弾は 格納してある・・。


 神門を潜ると 正面に 日本一大きいと言われるジャンボ絵馬があり 今年の干支・辰(龍)が
描かれています。 神門の前に 宍粟市指定文化財の 「左義長羽子板」 と 「御前勇戦図絵馬」
の説明板が ありましたが これは 物置に 仕舞ってあるそうで 見ることはできません。
・「左義長羽子板」 は 正月15日 宮中で 行われた左義長(とんど)の様子が 表・裏に描かれ
ているそうで 正徳三年(1713)のもの。 54.5×17.5cm。
・「御前勇戦図絵馬」 は 打出浜での 最後の戦いで 奮戦する巴御前の勇姿が描かれ 嘉永
七年(1846)に奉納された。 204.5×147.5cm。 巴御前は 木曽義仲の愛妾で 平安
時代の女性武将で 平家と戦い 最後まで 義仲を助けた?
 石段の下にある石灯籠は 面白い形をしてます。 三段の石積の上に 灯籠が乗せてあり 足
の形も変わっていて 上には 鳩が止っています。 これも 忠魂碑と関係があるのでしょうか?


 左の建物は なんだったのか? カーテンは 開いていましたが・・。 社務所? 舞台には 「百人
一首図」 が 17面 掛けてあり 百人一首の歌仙全部が 描かれた 全国的にも 珍しいもので 県
内では 唯一のもので 極めて貴重。 江戸末期の弘化三年(1846)に奉納されたものです。



 本殿は 「流造」 ですが 流造とは 伊勢神宮の神明造から発展し 屋根が反り 正面屋根が
前に曲線形に 長く伸びて 向拝となったもの。 本殿を 横から見ると 屋根が正面に長く流れて
いるのが よく分かります。 室町時代の木組や彫刻は 本殿より 拝殿の方が 分かりやすい。
 拝殿の屋根の上にある破風飾りの 丸い金色の紋は やはり 神紋だそうで ”抱き茗荷”と
言うそうです。 この紋は 陰陽道と関係がある? ここに 陰陽道が出てくるとは・・。 茗荷紋に
も 深い謂われがあるようです。 抱き茗荷は 女性自身に似ている?(写真は一番下に)


 本殿の後ろに 「願掛け鈴」 があり これを鳴らすと ロープで つながった杉の御神木に通じ
御神木の鈴が鳴り 願い事がかなう。 ここは 知る人ぞ知るパワースポットだそうです。
御神木の杉は 樹齢700年、御由緒略記にある ”一夜の間の杉” です。


 帰り際 物置?の戸を開けると 鍵はかかっておらず 中へ入ることができ 観音堂でした。
金色の観音像が たくさん納められています。 2、3日前 歴史教室で 観音さんを勉強した
ばかりなので ちょうど良かった。 しかし 手の多い千手観音しか 分かりません・・・。
 写真をよく見ると 右膝を立てた像(如意輪観音)も 十一面もあるようです。 馬頭観音は?
こんなに たくさんあるのなら 一つ貰えないかな? 三十三間堂には 千手観音が千体ある?

 えぇっー! これは 33体の観音像で ”西国三十三所”の観音様ですか? 神社に 33ヵ寺
の観音があるのは おかしいっ!・・・これは 神仏習合の名残だそうで 御形神社が この辺り
三地区の氏神社として お寺から預かった? 御形神社は この辺りの13番札所になっている。


 車に戻り 帰路につきます。 道標だったか 石碑だったか あると思ったのですが 捜して
も 見付けられません。 すこし南の田圃の中にあるそうです。
 国道429号線に出て 南下。 安積橋まで戻り 信号待ちの間に 西の山を撮ったのですが
黒尾山は あの山かな? 国道29号線を南下して 山崎で 県道26号線に入り 西の国見山
を 撮りました。 新宮へ戻り たつのを抜け 13:26 家に 帰ってきました。
 帰路は 概ね下りなので パネルに表示される平均燃費が 21.4kmだったのを 必死で
運転し 23.1km/L に 回復させました。 この車を運転すると 疲れが どっとでます。


 本日の走行距離は 往路:55.0km 御形神社まで 4.9km 復路:51.0kmで
計:110.9kmでした。 帰路 下り基調だったからか 60~70kmくらいの速度で
走ると 意外と静かに 調子良く走りました。
 私は この車は 欠陥車だと思うのですが 8月は プリウスを抜いて 月間販売台数が
トップになったとか・・。 信じられません・・。 こんな車を運転してる人の顔を見たい・・。
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コメント
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