3月29日(土) 天気:晴れ・薄雲 室温21.5℃
今回の山歩きは、2007.7.8に登った 宍粟市一宮町の宮山(岡城山) 514.4mです。 宮山は、国道29
号線の傍にある伊和神社から 東に入ったところにあります。 この辺りは、 伊和の里と呼ばれ、伊和神社を中心に、北
の花咲山、南西の高畑山、南東の白倉山の伊和三山に 囲まれています。 宮山は、花咲山と白倉山の中間に位置してい
ます。 宮山は、岡城山とも呼ばれ、かって 南西にある長水城の出城として築かれた 岡城がありました。 また、伊和
神社の北東に位置し、鬼門の方角です。 「播磨国風土記」 「播磨鑑」 「峰相記」に 記載される 歴史的にも 興味深い
地域でも あります。 これらの事は、「播磨 山の地名を歩く」の 「伊和三山と宮山」の項に 詳しく書かれています。
西の麓にあるスポニックパークに 車を停めて、山荘横の登山口から 山へ入り、フェンスの扉を潜り、左に右に 曲が
りながら登り、ベンチのある展望所へ。 展望所から ほぼまっすぐ 北へ登ると 山頂です。 山から降りて、車を移動し
て、伊和神社の南西にある一つ山古墳へ行き、四等三角点を踏み、周りの景色を堪能して、伊和神社へ戻り お参りします。
岡城は、岡山城・宮山城とも呼ばれ、播磨国 一宮伊和神社を 眼下に望む 岡山の山頂に 築かれています。
「播磨鑑」などの古記録によれば、七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘が 明徳3年(1392) ここに初めて城を
築いたとされますが、嘉吉の乱(1441)のときに 一旦 落城したものと見られます。
その後、天文年中(1532~54)にいたり、岡城 豊前守吉政が 再び この地に城を築いて 居城としましたが、天文8年
(1580) 羽柴秀吉によって 宇野氏の居城である長水城が 攻め落とさた際に、岡城も落城したものと伝えられています。
山頂からの眺望は すばらしく、この城の軍事的な重要性を よく物語っています。 一宮町教育委員会
ベンチまで降りてきて 景色を眺めていると、東に見える山並が 雪彦山ではないかと・・・。 稜線に 鉄塔が並んでい
ます。 家に帰って 地図で調べると、鉄塔の並んでいる山並は 雪彦山の手前にある山のようで、雪彦山は その奥でした。
山から降りて、車で 伊和神社へ行きます。 神社の裏に 車を停めて、まず 一つ山古墳へ行きます。 古墳は、伊
和神社の南西 約500mにあり、田んぼの中で 周囲に 何もないので、花咲山、高畑山、白倉山など 伊和三山、宮山
(岡城山)を 見渡たすことができます。 一つ山古墳(兵庫県指定史跡)は、円墳で 長径約22m、高さ3mで、発
掘調査は 行われていませんが、墳丘が 削平され、上に 四等三角点があります。
伊和神社は、「播磨国風土記」で 有名な伊和大神(大己貴神)を お祀りしています。 一宮町で 総氏神様と崇めら
れ、農・工・商業等産業の神、縁結びの神、病気平癒の神、交通安全の神として 多くの人々の信仰を集めています。
本殿の脇を通って進むと 裏には 鶴石と呼ばれる石があり、この石が 当時は 信仰の対象だったと言われ、この石には
かつて 2羽の白鶴が舞い降りて 北向きに眠ったという伝説が語られており、本殿が 北向きに建てられた 由来になっ
ています。 伊和神社は、2012.9.27に ”波賀城跡と伊和神社” で 訪れています。 こちら を見てください。
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