7月25日(金) 天気:晴れ 室温:30.9℃
今回の山歩きは、2008.4.14に登った 西脇市の南部、高松町の和布山 313.4mです。 長明寺の
駐車場に車を停め、頼政池の傍から山へ取りつきます。 ここへは、金城山に登るのに 何度か来たので、様子は
分かっています。 金城山は、登山口が分からず、シダヤブと格闘したり、頂上から 北端の雨乞いの峰へ行こうと
歩きましたが、途中で 雨が降ってきて 断念したこともあり 苦労させられました。
和布山は、登山口の頼政池から 北へ進むと、昔のハイキングコース?があり、尾根をほぼ一本道で 登ることがで
きます。 和布山の四等三角点を踏んで、さらに北へ登り、電波塔の山へ。 展望を楽しんで、さらに北の鈴堀山34
2mまで 行きます。 鈴堀山は 登った当時は 山の名前が分からず、テレビ塔の山と呼んでいました。 鈴堀山から 東
へ尾根がのびていて、尾根を東へ登ると 金城山へ登れますが、今回は 金城山には 登りません。 鞍部へ降りて、南
の箙谷を下り、金城池に降ります。 下山後、長明寺の頼政・鵺(ヌエ)の像を見ます。 頼政の鵺退治の話は 割愛。
道標のある分岐に登りました。 ここは 南から登って切る道と 南西から登ってくる道の合流点です。 この
道標のあるピーク(220m)が 高松山なのでしょうか? ここからは 一本道で 尾根を北へ登ります。
電波塔のある所から 少し北が 鈴堀山 342mのようです。 鈴堀山は、「播磨国風土記」に 応神天皇が この
地を巡行したとき 、鈴を落としたので、土を掘って 鈴を探したことから 名付けられたと言われているそうです。
下の四天王岩は、箙谷の賽の河原にあるものですが、金城山に登って、降りてきたとき、散歩中の元住職さんに
お会いして 教えていただきました。 本来 中央の岩は 帝釈天ですが、ここでは 我々自身で、山に登る我々を 四天
王が 守ってくれているのだそうです。 東南西北の四方を 持国天、増長天、広目天、多聞天が 守っている形です。
それにしては、多聞天と持国天の位置が違う・・。 当時 90歳くらいだったので もう聞くことはできない・・。
高松山・長明寺は、651年 法道仙人開基の真言宗高野山派のお寺ですが、山号の高松山が あるのか 探しまし
たが 見当たりません。 金城山に登ったとき、下山後、長明寺の元住職さんにお会いし、箙谷にある 四天王岩のこ
となど いろいろ教えていただきました。 源頼政は、平家と戦って、宇治川のほとりで 亡くなったはずですが、
近くに 頼政の墓があったり、頼政池があったり、頼政・鵺の像があるのは なぜでしょう。 当時、この辺りは 頼政
の所領地だった? 下の写真には、2007.2.25に 長明寺から金城山に登ったときの写真も含まれます。
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