西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

大分への研修、今日の稽古

2014-07-04 21:56:30 | 日記

西都地区建築業協会の年一回の研修旅行に参加してきました。

場所は大分県です。

研修先で色々今と符合することがあったので少し書きますね。

行き帰りとも東九州自動車道を使いました、蒲江では行き帰り共に

によりました。矢張り地域の名物を中心に地域を見るためには良い施設です。

土曜日曜など、結構な数のお客さんが寄られるとのことでした。わたしは帰りに海産物を買い求めました。

さて宮崎県から大分にはいってすぐ気が付いたのが

鳥獣対策の柵が延々と続いていました。

佐伯市では

ここに行きました。

ここで「人同士のつながりが平和をつくる」という良い言葉に出合いました。

またこの文章により、その当時の日本の軍備の状況のお粗末さが伺われました。

「航空機の訓練は機体の故障、操縦ミスによる事故が非常に多く、墜落して搭乗員が死亡したり怪我をしたりするのが日常的だった」

そんな中で、育った優秀なパイロットを無駄死にさせていったのが当時の軍部でした。飛行機の作り方も、米国は強力なエンジンと搭乗者を守る安全性を重視したのに引き替え、日本は被弾された機体の安全性よりも攻撃性を重視し(これは戦争初期は良かったですが、技術更新の良い米国にその特徴まで凌駕されました)、そして足りない部分は精神性で乗り越えようとしたのです。

あの時代の米国の戦闘機のプロペラとエンジンです、技術の差は明らかです。

また開戦通告書が55分遅れたたことから、今でも「リメンバー・パールハーバー」といわれ続けています。(卑怯の代名詞です)

「大政翼賛会」が1940年に生まれ、ナチスドイツのような一党独裁を目指します、政党にはならなかったのですが管制の上意下達機関となり、戦争遂行のため国民生活を縛ることとなっていきました

そこにあったポスターが気持ち悪かったです、老若男女が右に向かって行進する絵柄で「胸を張って、歩きませう」と書いてあります。

この会館を見ながら思ったのですが、歴史を振り返って、戦争へと突き進めた指導者は「戦争をしましょう」と言っていません、「平和な国に」とか「国を愛しましょう」という切り口から、入っていますね。

肝に銘じましょう

中津は今NHKで放映中の黒田官兵衛ゆかりの地です

中津城です

有名な石垣です、黒田家が作ったところと細川家が作ったところがハッキリわかるところです。丁度Yの字になっています

神様仏様稲尾様で有名な稲尾選手の記念館にも行ってきました

投球数制限の厳しい今じゃ信じられない登板数です。選手寿命が短い原因かもしれませんね

さて今日稽古を終わってテレビを見ていると「双葉山」の特番をやっていました。まさに今日私は双葉山の生誕の地に行ってきました。

大相撲史上最強の力士といって間違いないと思います

愛用のプラチナ製の時計です

こんな新聞記事もありました

立ち姿のホントうつくしい力士です。

無理が無く「すくっ」と立っています、バランスの素晴らしさを感じます

さて私の大好きな言葉に出会いました

双葉山が生まれた家です、そこに・・

「いまだ、木鶏たりえず」です、69連勝で終わってしまったとき、心の師である安岡師に電報で送ったとされる言葉です。

安岡師から中国の故事の「木鶏」を学びます。真の強者は木彫りの鳥のように泰然自若しているものだというものです。そして木鶏にいたるその過程を学びます。

双葉山は単に勝ち負けでなく「相撲道」に向かって邁進していきました。

素晴らしいです

帰って直ぐ稽古です、日曜日のフェステイバルに向けての稽古です

騎馬立ち中段突きを300本、回し蹴りを300本やってリハーサルです

進行は妻中三年生の緒方明日香さんです

それぞれ形を演武します

さ~頑張りましょう!

 

コメント
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