アナーキー小池の反体制日記

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#1976 お仕置き

2016年06月05日 | 昔の思い出
5月28日に道南の山中で起こった、しつけと称する”お仕置き”による小学児童行方不明事件、1週間を経過した一昨日、ひょっこり見つかって無事解決です。
もう亡くなっているのではないか?と心配していたところだったので、心底ホッとしています。
事件のことは、児童発見後もいろんな人がいろんな事を述べていますので、ボクは何も申しません。

この事件が報じられたとき一番最初に感じたのは、ボクの昔の思い出です。
小学校に上がる前に、母親に”お仕置き”で押入れに入れられたものです。
”言う事を聞かない”時にされたお仕置きですが、ボクはご幼少の頃から、自分が悪くないと思っていたら絶対に謝(あやま)らなかったのが、そもそもの要因です。
母はそんなボクを見て「メンコクない子だこと!」と嘆きながら、ボクを押入れに入れたのです。

ボクは泣きも喚(わめ)きもせず、自ら進んで押入れに入ったものです。
ボクは暗い押入れに入れられるなんて少しも怖くは無く、むしろ抗議の意を込めて、進んで押入れに入ったものです。
今回の事件の一報を聞いたときも、ボクは不明になった児童が抗議の意を込めて遠くに去ったのではないか?と思ったものです。

押入れに入れられることが何回かあったのだけど、ボクは押入れの中で当然腹を立てていたのです。
そして思いついて、わざとに押入れの中から、押入れの襖(ふすま)に向かってオシッコをしたのです。
気付いた母は、「オシッコがしたきゃ~呼びなさい」と言いながら、オシッコを拭いていました。

そんなことを、あと2回繰り返しました。
ボクの魂胆(こんたん)を知った母は、「強情張り(ごうじょっぱり)な子供だ!」と酷(ひど)く憤(いきどお)ったものです。

親は子に対し”しつけ”と称し”お仕置き”をします。
ボクや今回の事件の児童だけでなく、多くの人に経験があるはずです。
親の立場になってからも、そのような振る舞いをしたように思うのです。

一概に”お仕置き”を否定するものではありません。
ただ、”しつけ”のための”お仕置き”としながら、内実は親の一時的な感情の暴発の場合って結構あるのです。

今回の事件は、ちょっとした感情の暴発が世界中を駆け巡るニュースになりかねない、そんな恐ろしいことを教えてくれました。
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