前回、母の葬儀で四十九日法要のことを記しました。
「宗教を否定しているお前が人並みに仏教の習わしに従うのかい?!」って、悪罵が飛んできそうです。
確かにボクは宗教について懐疑的な記し方をし続けています。世界中の紛争の原因の多くが宗教がらみです。信仰に付け込んだ悪質な犯罪も多発してます。
そもそもボクは、宗教ってもう使命を終えている、って思っています。
科学が未発達なころ、人は理解不能なことの答えを宗教に求めたんです。人はどうして誕生したのだろう、疫病はなぜ流行るのだろう、地の果てはどうなってるのだろう、なんてを。
昔の人は、神が人を創りたもうた、疫病は神がお怒りなった証、地の果ては断崖絶壁で海水が流れ落ち続けている、な~んてことを易々と信じたんです。
今は小学生だって、ヒトは400万年前にサルから枝分かれした種に過ぎないこと、疫病は細菌やウイルスによる感染症なこと、地球は丸くて地の果てなど存在しないことを知っています。
科学が発達して、宗教の入り込む隙など無いように感じます。ただ宗教には、人を癒(いや)したり寂しさをまぎれさす効能?があるんです。大勢の信者が経文を唱えることへの快感もあるのでしょう。人は群れたがる、って言われるけど、その仕掛けの一つなのかもしれません。
宗教には、天地創造なんて馬鹿げた面はあるんだけど、全く無価値だと断じることはできません。ヒトは長い進化の上で、自然を崇(あが)める、故人を愛(いつく)しむような感情を獲得しました。それはそれで立派な心掛けだと思います。
そんなsのが長く続いていて良かったのだけど、呪術師(シャーマン)が登場する頃から怪しくなったのです。
続きます。