アナーキー小池の反体制日記

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#2223 アイスホッケーの思い出(3)

2017年02月16日 | 昔の思い出
苫小牧は昔からアイスホッケーが盛んで、ボクが小中学生の頃にはすでに、苫小牧市の小中学生はアイスホッケーチームに入り練習していました。
ボクたちの田舎では、全くそんな気配はありません。
アイスホッケーは用具などにお金がかかるし、リンクの維持も大変です。
そして一番肝心なのがコーチの存在です。
みんな欠けていました。

中学生のときに初めて、本物のアイスホッケーのパックを見ました。
ボクたちの丸太の輪切りのものと色や形は似ていたけど、全く違っていました。(ボクたちの丸太の輪切りのパックには墨(スミ)が塗られ黒かったのです)
ゴム製とは聞いていたのだけど、石のように硬くて重いのです。

・・・
高校3年生になってひょんなことから応援団員になりました。
野球部の応援に苫小牧へ宿泊付き遠征です。
苫小牧は高校野球の強豪校がそろっています。
苫小牧駒沢、苫小牧工業、苫小牧東などです。

そんな強豪工の野球選手たちを見ると、前歯が欠けてるのが散見されます。
不思議に思って聞いてみると、前歯の欠けた選手は冬にはアイスホッケーをやってる、というのです。
苫小牧の強豪高の選手の中には、夏は野球、冬はアイスホッケーの選手として活躍しているのが結構いたのです。

アイスホッケーの選手はなぜ前歯が欠けていたのでしょう?
当時は今と違って、顔に防護マスクを付けてるのはゴールキーパーだけでした。
なもんだから、顔中にあの固いパックが激突するのです。
歯に当たると歯は欠けちゃいますし、鼻に当たると鼻が曲がってしまいます。
顔面は傷だらけでした。

高校のスポーツ部はどこでも野球部が幅を利かせています。
しかし、苫小牧の高校はアイスホッケー部が一番幅を利かせていたのです。
そしてアイスホッケー部員の証は、前歯が欠けたり鼻が曲がったり顔に傷が付いていたりすることなのです。
彼らは、堂々と顔を晒(さら)していました。

・・・
ボクは中学生の1年か2年の頃を最後に、アイスホッケーの真似事をすることもなくなりました。
でも、テレビで王子製紙や岩倉組の対戦を見ては心踊らせたものです。
その後札幌で十数回ですが、本物のゲームを観て感動したのです。

その頃、アイスホッケーを女性がするなんて思いもしませでした。
あんな激しいスポーツを女性が出来るわけない、顔がぐしゃぐしゃになってしまうのに。
でも全身にプロテクターを着ければできるんですね。

今回の五輪最終予選をテレビで観て、思ったことを書き連ねました。
アイスホッケーの思い出シリーズを終えます。
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