アナーキー小池の反体制日記

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#1146 昔の大晦日

2012年12月29日 | 昔の思い出
小学生の頃の年の瀬(大晦日)を思い出しています。
父が庭や川原から、松や柳の枝を切ってきました。
50cmくらいの松の枝を、玄関両側に釘で打ちつけます。
釘は頭のところを残して打ってあるので、その釘の頭にみかんを一個ずつ刺し止めるのです。

しめ縄を玄関の上に這わせるのだけど、しめ縄に半紙を切ったもの、松の小枝、昆布の細切りを挟めるのです。
ほかに物置や書庫の入り口上に一個ずつ丸くした小さいしめ縄を飾りました。
そのしめ縄にも半紙・松の小枝・昆布を挟めるのです。

神棚を清掃します。(清める、が正しいのかもしれません)
新しいお札に取り替え、水や塩をお供えるのです。

神棚の前に柳の枝を差しかけます。
その柳の枝には繭(まゆ)玉を取り付けました。
半球の赤や白の最中(もなか)の皮のようなものを舐って枝に取り付けるのです。
後に黄色や緑や青のものもあったように記憶しています。
舐めると口が真っ赤になります。きっと有害な色素を使っていたのでしょう。

繭玉飾りは当時からかなり簡略化されていたようです。
本当は柳ではなくまゆみの木の枝ですし、繭玉も最中の皮でなくて紅白の餅(もち)を用いるものだそうです。

それらが整うと、お神酒を供え蝋燭(ろうそく)に火を点し、家族が順番にお参りするのです。
そういえば、お供え餅にみかんを乗せたのを飾ります。
お正月、どうしてみかんが大活躍だったのでしょう。

・・・
ボクが所帯を持ってから、神棚はそれなりに清掃お参りはしますが、繭玉飾りなんてしたことがありません。
本当は古きよき伝統を守のがいいとは思うのです。
この無神論者でも。






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