アナーキー小池の反体制日記

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#4735 生と死(2)

2024年05月25日 | 健康と生と死と

#3135  再掲シリーズ㉕ #78 ボクの死生観(1)

ボクの死生観について、昔に投稿したのを再掲します。

#78 ぼくの死生観(1) 2008年1月8日投稿

#1に、ボクは小さい時から周りの人との感覚の違いを感じていた、と記しました。
ボクの死生観は、小さい頃からではなく中学生の頃、大方の人とは違うと認識しました。

死生観と言っても死についてです。
端的に言えば、ボクにとって死は怖いものではなく、むしろ甘い誘惑と感じるものなんです。
もちろん、死に至るまでの肉体的苦痛に対しては、たまらない思いを持ちます。(このあたりは#2に述べています。)
しかし、ヒトが根源的に持っていると言われる死に対する恐怖はボクには無いのです。(小学生の頃はあったのかもしれません。)

昔から倫理上でも宗教でも、自殺はタブーとされていました。
ヒトという生物の種を存続させるため、マイナスの作用を及ぼすためでしょう。
自殺について、マスコミの扱いや評論家の論評から、「自殺はしてはいけないもの。防がなければならないもの。」とされ続けています。
また、健全な人?には、「死のうと思ったらなんでもできる。死ぬのはいつでもできる。」とか、見当はずれの説教をされちゃいます。

世界は変わってきています。
自殺と同じく、種を存続させる妨げになることからタブーとされてきたゲイはここ20年ほどで市民権を得るほど認知が進んでいます。
認知が進んで、その存在は実に人口の10%を占めるとの調査結果があります。
マイノリティーとは言えない程、たくさんいるんです。
ボク達の国ではまだ市民権を得られたという状態ではないので、10%ものゲイがいるようには見えません。

話が飛んでしまいましたが、ボクは自殺についてもゲイと同様、そろそろ市民権を得させなければならない、と感じている、そのことを伝えたいのです。

健全な自殺は地球を救う。
見識ある自殺は人類を救う。
そして・・・

佳境に入る前ですが、長くなりましたので次回に続きます。


2008年1月8日投稿#78 ぼくの死生観(1) の再掲でした。
文中ゲイとの表記は、今でいうLGBTのことです。
次回はその続きの(2)です。

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