アナーキー小池の反体制日記

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#2200 過労死と超過勤務(3)

2017年01月24日 | ボクの思い・信条・理念
ボクが就職したとき、周りは温かく迎えてくれました。
でもちょっと不快な記憶もあります。

就職したての頃、ボクは仕事のわからないところを先輩職員に聞きに行きました。
積算という、工事の設計金額を算定することについてです。
先輩職員は「そんなこと大学で習わなかったの?」って言うのです。
ボクは内心”ばっきゃろ~!銭(ゼニ)の勘定(かんじょう)など習うわきゃねぇだろ~”って思ったのだけど「不勉強ですいません」と応えたのでした。

別の日、測量に駆り出されました。
測量機器の据付を命じられたのです。
長い時間がかかったけど、ボクとしては奇跡的に据え付けることが出来ました。
先輩職員は「4年も余計に勉強してきたのに、ずいぶん時間がかかったな」って言うのです。
ボクは内心”ばっきゃろ~!これでも上等なんだぜ”って思ったのだけど「未熟者ですいません」としおらしく応えたのでした。
測量の資格を持っているけど、職場で測量機器に触れたのは、このときが最初で最後でした。

上記2件は不快な記憶と記しましたが、それほどのこともなく、ずっと忘れていたものを電通の事件で思い出したものです。
からかって茶化した、そんな言い方だったものだから、恨みを抱いたなんてことは決してなかったのです。

当時の職場は、高卒者が多数派で、大卒は少数でした。
電通の新人社員とその上司、東大と東大卒以外との関係と似たところがあります。
三流(みながれ)大学と東大、比較の対象が違いすぎて比較にもならないのかもしれません。
それこそ”月とスッポン””雲泥の差””ミソとクソ”の違いといわれましょう。
しかし、スッポンで泥でクソのボクは電通新人社員の痛みがわかるような気がします。

長いたとえ話で申し訳ありません。
ついでに電通についてもう一つ思い出したので記します。

ボクの高校の同級生で高校卒業後、美術関係の専門学校に進み、電通に入社したのがいます。
もう40数年前のことですが、当時の電通は今と態様が違っていました。
エリートがどんどん志願するほどの人気ではなく、自前のデザイナーを養成していたのです。
その後、広告産業は需要増から急激に規模を広げ、以前とは桁が違うほどの活況を見せます。
電通社員はみな一所懸命働いたのでしょう、博報堂と並ぶ巨大な総合広告企業になったのです。
そんな歴史から”鬼の百訓”新人へのシゴキが生じたのでしょう。

大企業は大企業としての規範が求められます。
電通はいつの間にか大企業になってしまったため、内部の変革について気が回らなかったのでしょう。
でも、この事件の前に何人も過労のための自殺をしているというのに、対応が遅すぎました。

・・・
関電の原発担当課長が過労死自殺した件も悲惨です。
元をただせば、東電福島第1原発メルトダウン事故がもたらせた悲劇です。
次回、検証しましょう。
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